支援総額
目標金額 50,000円
- 支援者
- 11人
- 募集終了日
- 2020年10月20日
飛鳥仏ミステリ(来年4月幻冬舎より刊行予定)原稿完了
今回のイベントに先立って、前著「白鳳仏ミステリ 武蔵国分寺と渡来人」(9月文芸社)に引き続いて時代を遡った形で検討や調査を進めて来ました、飛鳥仏、取り分け、法隆寺金堂に祀られた2つの三尊像について私にとって”謎”と思われたご本尊の変遷をまず、整理して著書の形で纏めたものです。
実は、飛鳥時代の本格寺院である法隆寺を巡っては、当時の蘇我氏と”聖徳”太子(上宮一家)の悲劇的ドラマが展開されてきたことが少しずつ分かって来ました。
皆さんご存知の太子が執務され、母堂、妃とともに居を構えていた、斑鳩宮は若草伽藍など一部は発掘されて、蘇我氏の急襲により焼失したことが判明してきました。法隆寺は太子発願と言われていますが、完成には15年を要し、巨額の費用も使われましたが、完成した時には既に太子および妃、母堂は亡くなっており、その後の法隆寺や金堂の仏像には謎めいた歴史がついて回っています。
これは太子の怨霊を恐れたり、斑鳩宮の焼失直後は暫く表向きには太子を悼めなかった事情もあるようです。よく知られた法隆寺夢殿の厨子に祀られた救世観音も1000年、それ以上に亘り秘仏として開帳されなかったこと、太子の死後世界を描いたといわれる(我が国最古の刺繍)の引き裂かれた天寿国繍帳
の存在などこの悲劇に纏わる事実を示唆するものもあります。
私は、日本書紀天智天皇の項で記されている法隆寺の全焼は無かった、と考えています。巨額の費用と渡来人の技術により長期を必要とする再建は書紀の何処にも記述がありませんし、焼けたはずの壁画が現存しているなど全焼したというには根拠がありません。
明治になり、フェノロサの来日により救世観音の厨子が開かれ、厳重に像に巻かれていた布が除かれ(長さ500ヤードあったとされていますから、450メートルほどあった)、黄金色に輝く救世観音のお姿が現れました。この厨子の開扉時には、法隆寺の僧全員が伽藍から逃げて行ったとも言われています。
説明が長くなりましたが、結果的に私の著作は時代を遡っていく形になっていますが、最近、このアプローチには大きなメリットがあることにも気づきました。次回はこれについて書かせて頂きます。
リターン
3,000円
飛鳥時代の斑鳩宮を読み解いた、新たな発見についてカフェで自由討論、当日参加出来ない方にはご希望があれば資料送付致します。
10月22日に奈良市高畑にある、こじんまりしたカフェで歴史発見(飛鳥時代の聖徳太子斑鳩宮)の基調説明と自由討論のイベントを企画しています。
近くの古刹で国宝を拝観(御住職に説明を依頼済みです)、古社も訪れます。
途中にはクラシックギターの演奏も楽しんで頂けます。
現地参加をご希望の方は20名まで御参加いただくことが可能です(13時から17時くらいまでカフェを貸し切りします。休憩に近くにある、徒歩1~2分の古社・古刹へのミニツアーを予定しています)。
現在の状況も踏まえ、参加人数は20名になりましたら、締め切らせて頂きます。予めご了解ください。
なお、感染症などによる自粛要請が出ている場合には延期いたしますので、ご了承ください(後日改めて企画ご案内いたします)。
当日、参加出来ない方で希望される方には資料をお送りします。
- 支援者
- 11人
- 在庫数
- 3
- 発送完了予定月
- 2020年11月