亡夫の遺作・「道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』」を出版したい

亡夫の遺作・「道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』」を出版したい

支援総額

1,820,000

目標金額 1,500,000円

支援者
169人
募集終了日
2023年8月16日

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プロジェクト本文

 

 

【目標金額達成のお礼とネクストゴールについて】


道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』出版プロジェクトは、おかげさまで当初の目標150万に到達いたしました。


ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました!

私たち実行者の予想を大きく超える反響をいただき心より感謝申し上げます。
そして北海道内はもとより沖縄のみなさまにも支援の輪が広がっていること、そして世代を問わず支援を頂いたこと、なによりも次代を担う若い方々からの支援が多かったことに私たちは、あらためてこのプロジェクトの意義の大きさを感じています。

私たちは、ネクストゴールを300万円と定め、その達成如何に拘わらず、次の3点を皆様にお約束いたします。

 

1.    発行部数を1000部から2000部に倍増します。
2.    発行期日を本年12月27日に前倒しします。
3.    北海道と沖縄、世代間の掛け橋となる活動を開始します。※

※具体的には、イベントへの参加やネットワーキングなどの活動を予定しています。

ネクストゴールで頂いた支援を財源として、上記3点を新たな目標として、皆様から頂いたご支援と期待に応えたいと思います。

 


       2023年7月11日追記
       実行者:清水 藤子
       サポートスタッフ: 楠 順一

正木 一樹

 

 

道産子たちの沖縄戦記「あ沖縄」出版プロジェクト

 

ご挨拶

 

わたしは北海道の月形町という小さな町で、ひとり田舎暮らしを営んでいる清水藤子(とうこ)と申します。

 

このたび78歳という高齢をかえりみず、周囲の皆さんの応援に支えられながら「クラウドファンディング」に挑戦することにしました。

 

わたしが皆さんにお願いするのは、17年前に他界した夫清水幸一が遺した「あゝ沖縄」の書籍化・出版です。

 

「あゝ沖縄」は清水幸一が北海道の日刊紙『北海タイムス社』の記者として1964年に担当した連載記事です。わたしは、手元に残されたこの記事の267枚のコピーを読み返すたびに、「この時代にこそ多くの人々に読んでもらいたい。」との思いがつのってきました。

 

亡き夫が「二度とこの悲惨な戦争を繰り返してはならない」との使命感で心血を注いだこの記事を再び世界に送り出したいのです。皆さんの温かいご支援をお願いします。

 

                2023年6月15日

清水 藤子

 

 

「あゝ沖縄」とは…

 

 

いまから59年前、1964年4月1日から12月28日まで、当時の日刊紙「北海タイムス」に9か月267回にわたって連載された特集記事です。

 

清水藤子さんが保管している記事のスクラップ

 

太平洋戦争における最激戦地となった沖縄には、北海道から多数の兵士たちが送られ、全国最大(沖縄を除く)1万人を超える犠牲者がでました。 

  

終戦後、北海道各地には、我が子を亡くした母たち、夫を失った妻たちが大勢いました。わずかに生き残った帰還兵たちは「なんでオメオメと帰ってきた。」と冷たい目にさらされ、生還できた僥倖を喜べず、肩身の狭い思いで暮らしていました。 

 

1964年、終戦後20年を迎え、ようやく混乱期を脱し高度経済成長に差し掛かった当時、生活も落ち着き、人々がやっと心に刺さったままだった痛みに向き合えるようになったとき、地元の新聞社が彼らに声を掛けました。「顔を上げて下さい。」「話を聞かせてください。」と。

 

記事の随所に登場する夥しい人名や住所は、今日では個人情報となり容認されないのでしょうが、それこそが当時の読者を強く惹きつけたのでした。

 

「あゝ沖縄」

 

10,085名(当時)の戦死者の中で、遺族のもとに遺骨が返還されたのはほんの数名だったといいます。(元北海道沖縄会会長黒田練介氏)。戦死公報と空の遺骨箱だけで死を告げられても、家族にはとても納得できるものではなかったのでしょう。

 

せめて故人につながる何らかの手がかりを求めて日々を送っていた遺族たちに、兵士たちの手記や証言をもとに記述されたこの特集記事は、大きな反響を呼びました。

 

戦死した兵士たちの家族や生還した戦友たちが故人の消息を尋ねて投書したり、読者同士が情報を交換したり、現代のSNSさながらの交流が新聞紙上で発生しました。

 

「戦記係」こと清水幸一記者は、取材、執筆のかたわら、読者から殺到する問い合わせや来訪に応じていたといいます。9か月267回に及ぶこの連載記事の取材・執筆・編集をほとんど一人で担当したのが、故清水幸一氏でした。

 

 

 

清水記者は、当時は米軍の施政権下にあり渡航も困難であった沖縄での数次にわたる取材を重ね、兵士たちの苦難の足取りを尋ねたのでした。

 

兵士たちが立てこもった壕の入口を調査
「本部」と思われる壕の入り口
兵士たちが立てこもった壕の内部
壕内に残されていた銃弾など
激しい爆撃により樹木の無くなった丘

 

清水記者は、当時実施された北海道戦没者慰霊団の沖縄行にも同行取材しました。当時の沖縄行は今とは違い、パスポートの取得はもとより、三日三晩の船旅の強行軍の旅でした。

 

第2回北海道戦没者慰霊祭のようす

 

沖縄に建立された北霊碑の前で。左から二人目が清水記者。

 

「あゝ沖縄」114回の記事中に、清水記者本人の執筆方針が記されています。

 

「これまでの記述は、巨視的な態度をさけ、微視的な形式ですすめてきた。沖縄戦を概念としてではなく、たたかい、死んでゆかれた同胞とともにある臨場感を、読者の肉体で感じとっていただきたかったからである。」

 

「あゝ沖縄」の最大の特徴は、徹底して戦場の兵士の目線で貫かれていることです。兵士たちが戦場で見たもの、体験したもの、そして彼らが何を感じ、何を思ったのか、兵士たちの遺した手記や証言をもとに清水記者自身の想像力で補って記述されています。そこには,清水記者が「あゝ沖縄」に託した強い使命感があったのです。

 

清水記者が「あゝ沖縄」連載の準備をしていたころ、国の防衛研修所では「戦史叢書」の編纂が進められていました。その責任者は奇しくも元関東軍幕僚であった彼の父のいとこでした。父から「彼から助言をもらったらどうか?」と問われた清水記者は「彼の編んでいるのは日本国の正史です。私が目指すのは、民衆の歴史である野史です。」と答えたといいます。(清水藤子さん談)

 

「あゝ沖縄」が多くの沖縄戦記と異なるのは、記者自身が戦場に身を置いているかのごとく、北海道から送られた道産子兵士たちの痛みや苦しみを、自らの肉体で感じつつ記述されていることです。

 

随所に登場する目をそむけたくなるような悲惨な場面は、それこそが戦争の現実なのでしょう。IT技術を駆使した現代の戦争も、結局は殺し殺される殺し合いだという意味では同じではないでしょうか。

 

そして「あゝ沖縄」151回には、戦時中に清水氏の心に深く刻まれた沖縄出身の詩人 山之内貘 の詩「ねずみ」との出会いが記されています。

 

昭和十八年六月ころ、記者は山砲兵上等兵として、旭川北部第六部隊長谷川隊に、高玉英一補充兵を迎えた。道立図書館司書の高玉さんは、薄い詩誌を一冊もって入隊していた。

 

新聞ラジオいっさい禁止の内務班で、記者は活字に飢えていた。詩誌『山河』のなかにバクさんの詩『ねずみ』があった。それはー

   生死の生をほっぽり出して

   ねずみが一匹浮彫みたいに

   往来のまんなかにもりあがってゐた

   まもなくねずみはひらたくなった

   いろんな

   車輪が

   すべって来ては

   あいろんみたにねずみをのした

   ねずみはだんだんひらたくなった

   ひらたくなるにしたがって

   ねずみは

   ねずみ一匹の

   ねずみでもなければ一匹でもなくなって

   その死の影すら消え果た

   ある日往来に出てみると

   ひらたい物が一枚

   陽にたゝかれ反ってゐた

 

すでにノモンハンの戦のみじめな敗戦状況は、ちまたにささやかれていた。

〈ああ、かわいそうに兵隊さん…〉そう絶叫するバクさんの暖かい心が身にしみ、いま直面している戦争の無残、激烈さを覚悟した。〈バクさんが鎮魂歌にうたいあげているネズミに見習おう〉そう思った。

 

    ≪ 中略 ≫

 

〈バクさん、あれから二十年私はあなたの生まれた沖縄へ、あなたのうた『ねずみ』の実証を命ぜられてきているのです。きょうも、草むらの遺骨に祈りました。〉

  「あゝ沖縄」第151回掲載分より抜粋

 

       

 

 

詩人山之口貘の名は、フォークシンガーの草分け高田渡の名曲「生活の柄」の作詞で知られていますが、戦争という大きな時代の流れに押し潰される人々の姿を「ねずみ」になぞらえて検閲を逃れたというこの詩は、とりわけ私たちの胸に深く刺さります。   

   

清水幸一はこの詩の影響もあってか、詩人を志した時期もあるそうです。転じて新聞記者となった彼は『あゝ沖縄』で「『ねずみ』の実証」を期したのでした。

 

月形歴史研究会  楠 順一 

 

 

プロジェクト実行者 清水藤子について

 

 

 

私は北海道の月形町という小さな町で、自然に囲まれた豊かな田園の中でひとり田舎暮らしを営んでいる78歳の老女です。

 

私は ここから60Km北にある沼田町という静かな水田地帯の農家に生まれ、美容師見習いとして働きながら深川西高校に通学しました。

           

自由で民主的な校風に刺激を受けた私は、親の反対を押し切って、好きだった絵画の道を志し北海道学芸大学(現道教育大)特設美術科に進学しました。大学生活も働きながらの4年間でしたが、様々な活動に精を出すうちに恋に落ち、卒業を待って結婚。家庭人となり3児の母となりましたが、紆余曲折あり離婚しました。

 

人生最大の挫折感のさなかにあったそのころ、清水幸一と出会ったのでした。

 

当別町中小屋の山懐に抱かれた古民家に住み、山野を逍遥し書に親しむ25歳年上の博学の彼は、人生のやり直しを期していた当時の私には「この人こそ人生の師」と映りました。弟子入りを頼み込み押しかけ、ほどなく同居生活が始まりました。しかし、いい年の男女が師弟関係というわけにもいかず半年後に入籍、妻となりました。

 

 

夫は野鯉釣りや山菜取りに駆け回る野人の如き日々、私は夫の気まぐれな言動に振り回されながらも、山野草の写生など細々ながら絵の道を続けてることができました。

 

その折々に、夫は軍隊時代や新聞記者時代のこと、そして「あゝ沖縄」のことを聞かせてくれました。その頃の私にとっては遠い世界のことでしたが、不思議と記憶の片隅に残っていました。

 

来道した幸一の妹・川村夫妻と(2001年9月 石狩川河畔にて)

 

そんな夫も80歳を越え、健康に不安を抱くようになったこともあり、身辺の整理を始めるようになりました。夫は物欲の少ない性質で財産と呼べるものは皆無でしたが、記者時代の資料や書籍もすべて知人に委ね、「あゝ沖縄」の267枚のコピーだけを私に遺し、2006年12月27日静かに息を引き取りました。

 

 

 

 プロジェクトを立ち上げたきっかけ

 

 

夫の死後10年が経ち、ようやく一人暮らしに慣れた20016年ころ、私は手元に残された267枚のスクラップブックの存在が次第に重く感じる様になってきました。  

 

周囲の人々に打ち明けアドバイスを求めていましたが、今回のプロジェクトを支えていただいている楠さんから「インターネットに載せたらどうか?」という提案をもらいました。

 

当時我が家には、都会生活になじめない若者たち大勢出入りしており、私は一人暮らしの気安さもあり、彼らのお世話を焼くことが老後の楽しみでもありました。 

 

自宅を開放して開催した若者交流会のようす 2018年ころ

 

自宅を開放して開催した若者交流会のようす 2018年ころ

 

彼らの中から「あゝ沖縄」のことを聞き、パソコン入力を買って出る若者や、それをサポートする地元の方々も現れ、1年余りの奮闘の結果2017年にインターネット上に全文をアップすることができました。

 

その後は、沖縄で遺骨収集されている浜田さんのグループをはじめ、遺族の足取りを探している方などからアクセスや問い合わせがあり、一定の役割を果たした思いでいました。

 

ところが昨年、ウクライナでの戦争がはじまり、砲弾が飛び交う戦場での兵士たちの姿が報道されるたびに、「あゝ沖縄」の中の道産子兵士たちの姿が蘇ってきました。

 

「戦争」が過去の出来事ではなく現にいま起きているのだ、という事実を突きつけられ、あらためて戦争の実相を映す「あゝ沖縄」の存在意義を再認識させられました。わたしは、亡き夫清水幸一の思いを受継ぐ役割を果たしたいと思います。

 

「戦争」は絶対に避けなければなりません。その思いを共有する皆さんにお願いします。

 

「あゝ沖縄」を世界に送り出させてください。

                     2023年6月

清水 藤子

 

 

             

 

 プロジェクトの内容

 

 

1.道産子たちの沖縄戦記「あゝ沖縄」書籍化・出版

 

 

1964年に北海タイムス紙に267回に亘って連載された記事を書籍という形で再現します。

 

  装丁      B5版 ハードカバー

  予定出版部数  1000部          

  予定ページ数  500頁

  著者      清水幸一 

  編著者     清水藤子

 

・・・構成(予定)・・・

 

目次

はじめに        清水藤子

本文          清水幸一

寄稿(予定)

北海道沖縄会元会長   黒田練介氏(医師)

研究者         北村毅氏(大阪大学教授)

沖縄での遺骨収集活動  浜田哲二氏(みらいを紡ぐボランティア主宰)

空知民衆史講座代表   殿平善彦氏(僧侶)

 

解説 月形歴史研究会  楠 順一 (NPO法人サトニクラス代表)   

       

清水幸一経歴

巻末  ・参考資料 

    ・その他

       

 

 

2.書籍の贈呈

 

  200部程度を関係機関に贈呈配布する

  ( 国会図書館 北海道立図書館 沖縄県立図書館 道内市町村図書館 等)

 

 

3.収支予算

 

 収入 クラウドファンディング      1,500,000円

    完成予定書籍の予約販売      500,000円

 

 支出 出版費用(編集・校正・印刷・製本) 1,600,000円

    クラウドファンディング経費     280,000円

    諸経費               120,000円

 

 

 プロジェクトの展望・ビジョン

 

 

①「抑止力」という言葉は、通常は相手に恐怖を与える「武力」を指すが、「あゝ沖縄」を通じて、戦争がもたらす悲惨な結果を改めて再認識することで、「心の抑止力」を世界中の人々の心の中に育む草の根運動の魁としたい。

 

②これまで知られていない歴史や文化や自然を発掘することで、北海道の多面的重層的な魅力の再発見につなげたい。幕末の「草莽の志士」に擬して「草莽の北海道学」と自称し、北海道を愛する市井の人々とともに、北海道の民の歴史=「野史」の集積を図りたい。

 

③上記を通じて、北海道の次世代を担う若者たちが、自由に活動・交流できるフィールドを提供したい。

 

 

 支援者の皆さんからの応援メッセージ

 

 

 「あゝ沖縄」連載当時、沖縄戦に関する文献は数えるほどしかなく、資料集めに大変な苦労があったようです。故・清水幸一氏は、全道中の沖縄帰還兵に執筆を依頼した手記や自身が聞き取った証言をもとに、北海道出身兵士の沖縄戦記を書きました。沖縄に渡航するのも困難だった時代に現地取材を何度か実施し、多くの沖縄の人びとの協力も得て沖縄戦の実相に迫ろうとした記念碑的労作です。同連載が書籍化されて、再び北海道と沖縄の掛け橋となることを願っています。  

             

北村 毅(大阪大学 教授)

 

清水藤子さん宅にて
後ろは右から卒ゼミ生の砂金さん、前田さん

 

一人ひとりの兵士の目線から戦争、しかも沖縄戦をとらえた記録は、今こそ読まれるべきものと考えます。この貴重な記録が、より多くの人びとの手に届く形になることを心より願っております。清水藤子さんの悲願が実現しますように・・・

 

辻 智子(北海道大学教授)

 

 

建立に尽力された沖縄戦戦没者慰霊碑の前で
(札幌護国神社内)

 

私の父は、野砲兵第四十二聯隊の軍医として、沖縄で戦没しました。私は、遺族として、沖縄戦没者の慰霊に携わった立場から、「戦争の醜さの極致」とまで言われた、沖縄戦の実相を末永く後世に伝えることを責務と考えています。感情を抑えた静かな語り口であっても、戦争犠牲者の声を感じ取る感性と情念があれば、戦争を語り継いでいくことができるのではないでしょうか。

「あゝ沖縄」が出版され、多くの人が、兵士たちの体験したことを追体験し、兵士たちが何を思ったのか、戦没者の数だけあるドラマに思いを巡らせてほしいと思っています。

 

元北海道沖縄会会長 黒田練介

 

「あゝ沖縄」は戦争がいかにむごいか、残酷か、非道か、を伝える貴重な記録です。膨大な史料や手記に当たり、取材した清水幸一さんは、国家事業としての「青史」ではなく「民衆の歴史、野史を書く」と語ったそうです。その真骨頂は、登場する固有名詞の多さにあります。清水さんがいなければ世に知られることはなかったであろう人たちです。凄惨な戦場体験。一人ひとりのかけがえのない「生」と「死」。時計の針が戦前の巻き戻されようとしているいまこそ、多くの人に読んでほしいと思います。

 

日本ジャーナリスト会議北海道支部代表委員  高田正基(元北海道新聞記者)

 

明治政府の最初のターゲットは蝦夷島だった。1869年に北海道と改称して、「無主の地」と称して屯田兵をはじめ、大量の和人を送り込んで入植植民地が成立

する。続いて1872年に始まる琉球処分を通して沖縄の植民地化が始まる。 第2次世界大戦末期の沖縄戦には多くの北海道出身の兵士が動員され、アイヌの兵士もいた。南北の地を支配して海外への侵略を続けた日本国家を辺境から見直すことで、自分たちが何者なのか考え直さなければならない。

 

空知民衆史講座代表 殿平善彦 (北海道深川市 一乗寺住職)

 

みらいを紡ぐボランティア(以下みらボラ)に所属する若者たちからのメッセージです。みらボラは、沖縄で実施する戦没者の遺骨収集と、ご遺族へ遺留品などを返還するNPO団体で、首都圏や東北地方などの若者たちが活動を担っています。

 

・社会人メンバーの麻莉亜です。

 『あゝ沖縄』に掲載されている戦没者の母の手紙。息子が所属する部隊の記事を涙にむせびながら読んだとの記述があります。その「垂乳根の母」が、私たちの探しているご遺族でした。終戦直後、母が部隊の大隊長へ認めた手紙を戦没者の甥とその親族へ返還した時、戦禍の犠牲になった身内への哀惜の記憶が、現代の遺族の胸中へ蘇る瞬間に立ち会えました。このご遺族との交流は今も続いています。連載記事がきっかけとなった貴重な体験。感謝の念に堪えません。

 

・社会人メンバーの日南子です。

 恐ろしく、生々しい戦場の様子が記録された連載記事に、最初は目を覆いたくなりました。でも、私たちが活動を続ける沖縄で戦った兵士たちが何を見て、何を感じたのか。『あゝ沖縄』にはそれが、余すことなく描かれていたのです。終戦から78年が経ち、当時の悲惨な歴史を語り継いでくださる体験者やご遺族は少なくなっています。この記事が一人でも多くの方に読まれることで、戦争の恐ろしさ、平和の尊さが伝わることを願っています。

 

・社会人メンバーの桃子です。

 想像を絶するほどの凄惨な情景を突きつけられるような記事の数々。でも、この記憶と記録は色褪せさせてはいけない、と思いました。3年前に沖縄でお会いし、手を握り合いながら別れを惜しんだ女子学徒たちが最近、次々と亡くなられました。時の経過と共に、戦争の記憶が薄れていくことに、寂しさと恐ろしさを感じています。戦禍の犠牲になった先人がいたからこそ、今の平和があるのです。『あゝ沖縄』が出版されることで、一人でも多くの読者に戦争の狂気と悲劇が伝わってほしいです。

 

・高校生メンバーのSAKURAです。

 一人ひとりの兵士が戦場で体験した悲惨な情景が、細部に亘って丁寧に描かれており、項目が変わるたび、人が変わるたびに、胸が締め付けられました。誰もが失いたくない命が奪われる戦争の事実を『あゝ沖縄』の記事は、「これでもか、これでもか!」と訴えてきます。今の時代だと、こんな残酷な描写に出会えることは難しいでしょう。戦争の罪悪感が心に植え付けられるようです。この記事が出版されて、私のような若い世代が戦争を考えるきっかけになるべきだ、と気づかされました。

 

学生たちが中心になって臨んできた活動ですが、皆が社会人となって、沖縄の現場へ簡単に通えなくなっています。でも、職場に無理を言って数日間の休みを取り、壕に入って、土塗れになりながらも遺骨を探すメンバーたちは、戦争の記憶と記録を紡いで行く取り組みに燃えています。

 

今回、メッセージを送った女子たちが、自らの担当する戦没者とご遺族の記載がないかと、眼を皿のようにして読み込んだのが『あゝ沖縄』の連載記事。そのなかに、たくさんの発見と教えがあったと口を揃えています。

 

この記事が出版されて、多くの読者が手に取ってくれることをチーム一同、願っています。沖縄戦の惨劇と悲劇を二度と繰り返さないためにも、クラウドファンディングの成功をお祈り申し上げます。

 

みらいを紡ぐボランティア       浜田哲二・律子

 

 

右はコミュニティワーク研究実践センター代表 穴澤義晴氏
左は サトニクラス 代表 楠 順一 氏

 

私たちの最良の理解者であり支援者である清水藤子さんを、

月形町で活動する2つのNPO が全力で応援します!

 

*使用画像は全て掲載許諾を取得しています。

プロジェクト実行責任者:
清水藤子
プロジェクト実施完了日:
2024年3月31日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

道産子たちの沖縄戦記「あゝ沖縄」の書籍化・出版と完成書籍の関係各所への贈呈

リスク&チャレンジ

プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
必要金額と目標金額との差額50万円は、完成書籍の販売で補い、更なる不足は自己資金で賄う

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プロフィール

北海道月形町に住む78歳の一人暮らしの老女です。マイペースで山野や花を描き、頼まれれば肖像画も書いています。趣味は野草を育て食べることと、町内のNPOの若者たちを応援すること。自宅をLIVE会場に提供したり、若者の製作する動画に出演したりしてます。町内の友人で「歴史オタク」の楠順一さんと月形歴史研究会を立ち上げ、2020年の「月形学」の出版を皮きりに、この度の「道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』」プロジェクトに至りました。これを足掛かりに、北海道のアイデンテティを深堀りする「草莽の北海道学」と自称する一大ムーブメントを巻き起こしたい。

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リターン

5,000+システム利用料


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読んで応援コース 感謝のメールと完成書籍の進呈(1部)

感謝のメールと完成した「道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』」1部を
進呈します。

申込数
116
在庫数
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発送完了予定月
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純粋応援aコ―ス 感謝のメールをお送りします。

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北海道月形町に住む78歳の一人暮らしの老女です。マイペースで山野や花を描き、頼まれれば肖像画も書いています。趣味は野草を育て食べることと、町内のNPOの若者たちを応援すること。自宅をLIVE会場に提供したり、若者の製作する動画に出演したりしてます。町内の友人で「歴史オタク」の楠順一さんと月形歴史研究会を立ち上げ、2020年の「月形学」の出版を皮きりに、この度の「道産子たちの沖縄戦記『あゝ沖縄』」プロジェクトに至りました。これを足掛かりに、北海道のアイデンテティを深堀りする「草莽の北海道学」と自称する一大ムーブメントを巻き起こしたい。

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