大槌町は東日本大震災の際、津波の他に大規模な火災も発生し、町の中心部は焼け焦げた鉄筋コンクリートの建物の残骸が多く見られ、海岸線ではちょっとしたアパートくらいの大きさの堤防がゴロゴロと倒れていたりと、震災から時間が経過した頃でも生々しい爪痕が残っていました。

 

 宮古市だけを巡回するなら、毎週末の土曜日だけを充当していれば良かったのですが、一時間ほど三陸海岸を南下した大槌町まで足を伸ばして、何箇所かローテーションに組み入れるには、日帰りではスケジュールを組むのが困難と予想されました。また、宮古市での活動を終えた後に大槌町へ、となると時間的にどうしても夕食の支度をしている住民が多いため、参加人数が少ないことも懸念しました。

 

「現地に一泊して、土日であちこち回るのはどうだろう?」

 

 私は同行するアシスタントなすちゃんに相談しました。月曜日から金曜日まで普通に仕事をして、週末が全部被災地巡回で潰れるとなると、かなりの身体的、精神的負担があります。彼と話し合った結果、泊まり込みは月に一度と決めました。その代わり、宮古市のように二十数箇所を回るのではなく、毎月同じ仮設を数か所と決めて、集中的に訪問することにしました。

 

 全くのボランティアとして活動していたので、往復のガソリン代やアシスタントなすちゃんの昼食代は私が自費で出していましたが、二人分の宿泊費が増えるとなると大変です。また、いつぞやの正面衝突事故のようなアクシデントがあると、ボランティアの状態ではどこからも保証がありません。

 

 そこで、私はそれまで務めていた医療法人を退職し、あらたに自分の活動法人を設立する決心を固めました。同じように沿岸地区で音楽療法のボランティアをしてた、気心のしれた仲間に声をかけ理事に入ってもらい、尊敬する先輩セラピスト(アメリカとイギリスの音楽療法士免許を持つ国際的な方です)に顧問をお願いしました。

 

 当初、NPO法人にしようかどうかと悩んでいましたが、知り合いが「一般社団法人」という聞き慣れない団体を運営していたので、調べてみたところ、公益性を持った事業であればそれほどNPOと法人税も変わらず、自治体への決算報告の義務も無いと知り(ものぐさなのです)、手続きを開始しました。幸い、近所に親切な行政書士の方がいらしたので、思ったより早く法人化が実現しました。これで助成金の申請や社会保障、何よりアシスタントなすちゃんにお給料を支払うことができます。本腰を入れて、被災地支援を充実させよう、と奮起しました。

 

 そして、初めて被災地に泊まる日が来ました。ホテルは予算オーバーだったのと、あまり味気ないと思ったので、色々調べて大槌町の民宿に予約を入れました。移動中に見かけたことはあったのですが、まさか自分たちがここに泊まる日が来るとは、夢にも思いませんでした。場所は、海水浴場のすぐそばでした。ここは片寄波なので、真夏以外でもサーファーが大勢やってきます。しかし、この日の宿泊客は我々だけでした。一階の食堂で夕食を食べて(イカづくしですごかったです)、年季の入った部屋と風呂に圧倒され、夜の海岸線をなすちゃんとタンタンと散歩しながら、綺麗な月を眺めました。

 

「不謹慎かもしれないけど、何だか修学旅行みたいで楽しいかも」

 

 なすちゃんはタンタンのウンコを片付けながらタバコを吸っていたので、それには何も答えず、でもやはり何だか楽しそうな顔をしていました。

 

 その晩。

 

 私はいったん眠ったものの、真夜中にふと目が覚めました。さっきまで夢を見ていたのはおぼえているのですが、どんな夢だったかは分かりませんでした。冷や汗をかいていました。何故、目が覚めたのかはすぐに判明しました。波の音です。窓のすぐ真下は、片寄波の激しく打ちつける海岸だったのです。気づいた途端、波の音がどんどん激しくなってきました。まるで今にも、大波が押し寄せて、民宿ごとさらわれそうな勢いに思えました。きちんと睡眠を取らないと、翌日の強行軍(一日に仮設三箇所の巡回)に体力が持たないので、何とか再び目を閉じて横になったのですが、激しい波濤が砕けて飛び散る轟音が耳から離れず、そのまま朝を迎えました。まどろみの中で私が感じたのは、ただ海が怖い、という感覚だけでした。

 

 窓から朝日が差し込み、ぐっすりと眠るなすちゃんの寝顔を照らしていました。すぐには起きそうにないので、私は駐車場の車に入れっぱなしのタンタンを連れだして、一人で再び海岸線を散歩しました。

 

 朝六時、遠くから「ひょっこりひょうたん島」が聞こえてきました。町内一斉に流れる時報で、朝六時、正午、夕方六時に放送されているとのことでした。朝のバージョンはピアノの音色で、ほんのりとジャズ風味にアレンジされていました。

 

 ひょっこりひょうたん島は昭和三十九年から四十四年まで放送されたNHKの人形劇で、全国的な人気を博しました。作者の井上ひさしは山形県の出身ですが、一時期釜石市の病院に勤務していたこともあり、また著作に「吉里吉里人」という大槌町の地名を配した小説もあることから、ひょうたん島のモデルは大槌湾に浮かぶ小さな島、蓬莱島と言われています(諸説ありますが)。

 

 我々は午前中の仮設での活動を終えて、ほど近い蓬莱島を間近で見てみようと思いたち、大槌湾に向かいました。潮風は冷たく、休日で誰もいない埠頭は寂しい雰囲気でしたが、青空の広がる晴れた昼間に見る蓬莱島は、波のきらめきに彩られ、人形劇の舞台になったのもうなずけるほど幻想的なたたずまいでした。

 

「なすちゃん、ひょっこりひょうたん島っていう人形劇は知ってる?」

 

 彼は首を横に振りました。無理もありません、私でさえリアルタイムでは見たことが無い、古いコンテンツなのですから。

 

「子どもたちが数人で、移動する島に住みながら世界中を旅する話なんだけどね。実は子どもたちは火山噴火で全員死んでいて、旅のエピソードは全部死後の話っていう設定らしいんだよね。最初聞いた時は、びっくりした」

 

 私はうろ覚えの歌詞を思い出しながら、小さな声でひょっこりひょうたん島のテーマソングを口ずさみました。死後の世界の話だと思って、あらためて歌詞を見るとなかなかにブラックな世界観でした。

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