みなさん、こんにちは。
フリー・ザ・チルドレン・ジャパンの代表をしております中島早苗です。

「障害者の可能性を閉ざさない フィリピンたった1つの盲学校の挑戦」を

応援くださりありがとうございます。

 

フリー・ザ・チルドレン・ジャパンは設立時の1999年からフィリピンの現地NGOとパートナーを組んで、 支援活動を始めたので今年で活動歴は18年目となりました。

 

そんなフィリピンとの関わりの中で、心を揺さぶられるような忘れられない出来事がいくつかありました。今日はそのひとつをお話したいと思います。

 

1998年、私はフリー・ザ・チルドレンの活動を日本でも展開しようと思い、どの国を支援対象地にするかを決めるために、様々な開発途上国のNGOについて調査をしていました。

その結果、英語が通じる日本から比較的距離が近い国から活動をスタートしようという結論に至り、フィリピンを支援地域に選びました。

 

すると、人身売買や性産業での労働から子どもの救出や支援活動を行っている信頼できるNGOがあるという情報を入手し、そのNGOを訪問することにしました。

 

 

しかし、私はそれまでフィリピンに行ったことがありませんでした。

フィリピンは治安が悪く危険だと複数の友人から心配の声をかけられ、不安になりましたが、フィリピンに何度か渡航歴のある1つ年上の従姉に相談すると、一緒に行ってくれると嬉しい返事をもらい、女2人で行くことにしました。

 

 

私たちの便は夜の11時にマニラ空港に到着し、そこから運転の荒いタクシーに揺られ、マニラのギラギラとしたネオンの中を走りました。

 

私たちは安いホテルを予約していたためか、タクシーの運転手はそのホテルを知らないと言い出し、なかなかそのホテルにたどり着けずにいました。

道でたむろする人々にホテルの場所を聞きながらようやくたどり着いた頃には夜の12時を過ぎ、ぐったりしたのを覚えています。

 

 

翌日、NGOを訪問するためマニラから4時間ほど長距離バスに乗り、オロンガポ市に向かいました。

オロンガポはマニラの北西にあるスービック湾に面した港町で1992年まで米軍が駐留していたためにオロンガポの中心地(ダウンタウン)は商店街などがたくさんあり栄えています。

 

目的のNGOはその中心地から山のほうに上った高台にあり、ブーゲンビリアがきれいに花開く静養地といった場所で、美しい海が眼下に広がっていました。マニラの喧騒から離れホッとしたのを覚えています。

 

 

私たちの訪問をNGOスタッフは暖かく迎えながら、活動や施設について説明してくれました。

 

そのNGOは「プレダ基金」といって聖コロンバン教会のアイルランド人の神父さんとフィリピン人が1974年に共同で設立した組織で、貧困にあえぐ女性や子どもを支援することを目的に活動しています。私が訪問した当時は性的虐待などから救出された4歳~18歳までの少女20人ほどが共同で暮らしていました。

 

少女たちはとても人懐っこく、私たちを見るなり駆け寄ってきて、どこから来たのか、どのくらい滞在できるのかなど質問をしてきました。中には遠巻きに私たちを見る少女たちもいましたが、どの子どもも話しかけるとはにかむような笑顔が可愛かったのを覚えています。

 

■当時の中島とフィリピンの子どもたち

 

 

しかし、その晩、子どもたちをケアするソーシャルワーカーや心理療法士の女性スタッフから、そこで暮らす少女たちの過去を聞くととても笑顔で接することができないような話がありました。

 

 

母親や父親が路上生活者だったために、育ててもらえず、路上に置き去りにされたところ、その事実を知った祖母が引き取ってくれたものの、その家で虐待を受け、路上生活に戻り、小学2年生の時に騙されて外国人観光客相手に買春被害にあったという少女の話や、母親の雇い主に性的虐待を受けたが、警察が買収され加害者を訴えられず傷を負っている少女など、耳をふさぎたくなるようなかこくな経験をした少女たちばかりでした。

 

 

少女たちの話を聞き、押し黙ってしまった私たち二人に、明るく声をかけてきたマーリーンという一人の女の子がいました。

 

彼女は英語が堪能で自分の話をしてくれました。

14歳の時にこのNGOに助けられ、3年がたち現在は17歳で高校に通っていること。母親の再婚相手の義理の父親に小学生の時にレイプをされるようになり、耐えられず路上生活を始めたら、騙されて人身売買の被害にあり、性産業で働かされるようになったこと。日本人を含む外国人観光客相手に性的虐待を受けたけれど、今はこの施設に来て学校に通えるようになり、希望を見出していること。

 

「いつか、日本に行ってみたいな。」

 

と日本のことを色々聞いてくる彼女に、将来挑戦してみたいことはほかにある?と聞くと、

 

「私はここのNGOのスタッフの愛情に救われたから、将来は、ソーシャルワーカーになって、つらい体験をした子どもたちを助ける仕事をしたいの。」

 

と話してくれました。

 

そうか、周囲の支えや愛情や、そして教育は、虐待を受けた子どもや貧困の中にいる子どもたちが希望を見出し立ち上がるために本当に不可欠なんだと思いました。

 

 

ここのNGOが虐待を受けた子どもたちの救出をしているだけでなく、そもそも、子どもが児童労働や搾取を受けなくていいように、おとなに教育や収入を得るための術を伝え与えている活動を同時にしていることに感銘を受け、パートナーとして活動することを決めました。

 

さて、最初の訪問からほぼ毎年、このNGO「プレダ基金」を訪問するようになった私ですが、あれからマーリーンの姿を見かけることはありませんでした。スタッフに聞いてみると、高校を卒業した彼女はプレダ基金の支援を受けて大学に通っているという話でした。

 

いつか彼女が夢だと言っていたソーシャルワーカーになっているといいなと思って10年が過ぎたころ、2009年3月にプレダ基金を訪問した時、どことなく見覚えのある女性がいました。

 

豪快に笑いながら働くその女性は、もしかして、マーリーンではないかと思った私は、

 

「10年前に高校生だったあなたに会ったように思うけど、もしかして、マーリーン?」

 

と聞くと、

 

「イエス!!わー、なんて久しぶりなの!」

という嬉しい返事が返ってきました。

 

なんでも、彼女はソーシャルワーカーになるという夢を叶え、2009年2月からプレダ基金にスタッフとなって戻ってきて働いているということでした。

 

■2009年プレダで再会した時のマーリーンと中島

 

彼女は小学生の時から虐待を受け、貧困のために路上での生活を強いられていた幼い少女でした。

 

親からの性的暴力や外国人からの性的虐待や搾取を受け、自分の人生に絶望し、生きていても仕方がないと思っていた彼女ですが、周りからの愛情や支えに気が付き、希望を失わずに歩み続け、自分の夢を叶えた彼女の勇気と強さを思うと、私は言葉を失い、ただ、彼女の手を握りしめることしかできませんでした。

 

2017年現在も、マーリーンはプレダ基金でソーシャルワーカーとして、人権活動家として、また、プレダ基金の理事として、精力的に活動しています。

 

 

さて、そんな素敵な女性活動家のマーリーンに会えるスタディツアーを3月25日からフリー・ザ・チルドレン・ジャパンでは企画しています。

 

ツアーでは、プレダ基金を訪問するだけでなく、このReadyforを通じてご支援いただいているフィリピン国立盲学校にも訪問します。

きっと、素晴らしい出会いや体験があることでしょう。一緒にフィリピンを体験しませんか?興味のある方はぜひ、お問い合わせください。

 

詳細は
http://www.ftcj.com/get-involved/study-tour/philippine2017spring

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