こんにちは、藤﨑です。今日はシャプラニール物語1でお伝えした最初の失敗の後のお話です。

 

私たちは、貧しい人たちと同じものを食べ、同じ言葉を話し、生活を共にすることで、本当に必要なものが分かるはずだと考え、日本人数名が村で生活を始めました。まず取り組んだのが、青空識字学級と戦争で夫を失った女性たちにジュート(黄麻)を使って手工芸品を作ってもらう仕事です。しかし、そんな矢先に村の事務所が強盗に襲われ、駐在員が重傷を負うという事件が起こりました。襲った人は捕まっておらずその真意はわかりませんが、日本人が主役の支援活動になっていなかったか、それが村に新たな軋轢を生んでしまったのではないかなど、この事件は多くの反省を生みました。

 

ジュートの手工芸品生産を村の女性たちに指導していた

 

  この反省をふまえて、1980年から「ショミティ」を通じた支援活動を始めました。ショミティとは相互扶助グループという意味です。社会的にも経済的にも弱い立場にある人々がグループをつくり、互いに助け合い自分たちの力で生活をよくしていくことを目指すものです。シャプラニールは、このショミティをベースに貯蓄活動をすすめたり、識字学級や保健衛生の学級を開いたりしました。こつこつと貯めた資金の使い道はメンバー自らが決めていきます。「牛の飼育を始めたい」、「お店を出したい」と要望を出すと、メンバー同士で話し合いお金を貸し出すかどうかを決められました。私たちの役割は、帳簿の付け方や話し合いの進め方の補助でした。識字学級の先生も、地域で学校を出た人にボランティアでなってもらうようにしました。

 

主人公は、現地の人々。

 

この考え方は、今でも変わっていません。

 

次は、村での活動から都市での活動へ移ってのお話をしたいと思います。

 

集まって貯蓄をする女性のショミティメンバー

 

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