ちょうど149年前の明治2年(1869)11月5日、適塾出身の大村益次郎が死去しました。大村は文政8年(1825)、周防国吉敷郡鋳銭司村(山口市)の町医師の子に生まれ、はじめ村田良庵を名乗ります。適塾には弘化3年(1846)に入門し、長崎遊学を経て再入塾して嘉永2年(1849)から塾頭を務めました。その後は宇和島藩、幕府の蕃書調所・講武所、長州藩で兵学を教え、軍制改革に携わりました。戊辰戦争では上野の彰義隊討伐から新政府軍の指揮を執り、戦争終結に導きます。明治2年には兵部大輔に就任して、国民皆兵の近代的兵制の確立を目指しますが、9月に京都で襲われ重傷を負います。大阪府病院の緒方惟準(洪庵次男)とオランダ人医師ボードインは大村を収容し、右脚切断手術を施すなど懸命に治療しましたが、志半ばで死去しました。

なお切断された右脚は、大村の遺志により洪庵の遺髪が埋葬された龍海寺(大阪市北区)の墓のそばに埋められました。また手術には女性としては日本初の西洋医とされる楠本イネ(シーボルト娘)が、宇和島時代に医学の指導を受けた縁から立ち会っています。

ちなみに現在放送中のNHK大河ドラマ「西郷どん」では、大村を林家正蔵さん(私にとっては「こぶ平」の名がなじみ深いのですが…)が演じました。おでこの特殊メークも話題になりました。

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