だいぶ寒くなってきました。雪の地方もありますね、皆様お元気ですか?

ご無沙汰しております。先月の陸前高田市米崎町にある仮設住宅二か所で、気仙茶のお茶会&お話会を行いましたので、ご報告します。

 

米崎小学校、旧・米崎中学校(現在は高田東中学校)それぞれの校庭に作られている仮設住宅の方々に、自治会から呼びかけいただき、11月19日、各集会場にて行いました。(今回も、盛岡市中央公民館の出張公民館として行いました)

 

それぞれ、12人ほどの参加者の方々をお迎えしました。

中には、5月のお茶摘みや手もみ茶づくりにご参加くださった方々もたくさんお越しくださいました。なかなかお茶会を開くことができず、やっと伺うことができました。遅くなって申し訳なかったです。

 

今年の気仙茶を3種、飲みくらべていただきながら、話は昔のお茶づくりやお茶請け・おやつの話へ。

 

特に印象に残ったのは、柿の食べ方の話と、まっか大根をお供えする話です。

 

こちらの柿は、全部渋柿なので、その渋をどうやって抜いて食べるか、いろいろな方法があったそうです。

 

渋をぬくことを、柿を「サシ」て食べる、渋をぬいた柿を「サシ柿」と呼ぶそうです。

柿の渋抜き、今は焼酎でやるのが一般的かと思いますが、

昔は、ひと肌くらいのぬるま湯に入れて、そばがら(蕎麦の茎)などと一緒に渋柿を入れて、一昼夜くらいかもっと、渋が抜けるまでいれておいて食べたそうです。

(そばがら、の他に、スイカズラ、カキドオシ(カキズラ)、ミョウガの葉、などのバリエーションがあったようです)

 

また、海の近く(浜)ではコガ(樽)に潮水を汲み、その中に渋柿を入れて渋を抜いたり、また、漬物のコガに渋柿も入れて渋を抜いたりしたそうです。

 

それから、木の上で熟させたり、渋柿を藁の上に置いて熟させたりして、渋が抜けて甘いものも食べたそうです。(これは今でも食べることはありますよね)これを、ウンダッコと呼ぶそうです。

そして、ウンダッコと、香煎(麦こがしの粉)を混ぜてついて、丸めたものを、「柿餅」と呼んで、食べることもあったそうです。

 

干し柿は、竹の串に5個ずつくらい刺したものを何本かまとめたものなど、リヤカーで売られてきたそうです。

 

干し柿づくりで余った「柿の皮」も無駄にせず、干してから、大根の漬け物などに入れて、甘みを出すのに使ったそうです。そうやって干しているのを、子供の頃、つまみ食いしたのが甘くておいしかった、とおっしゃる方もありました。

 

 

もう一つ、興味深い話題は、「12月頃、まっかの大根と、生きたどじょうを、神様に供えた」というお話です。

 

まっかの大根、というのは、真っ赤な大根のことだと思って聞いていましたら、どうも話が噛みあいません。よくよくお聞きすると、まっかとは、二股、という意味あいなんですね。二股になった大根を選んで、神様に供えるのだそうです。

 

他の方から、必ず、二股の大根と「おとこ大根」(まっすぐな大根)を一緒に神様に上げた、というお話も出ました。

 

また、その時には、「どじょうすくってこ」って言われて、近くですくってきて、そのどじょうを母さんが、生きたまま、神様に(神棚の下前に)置いたそうです。

どじょう、の方は、高田町の山手の、田んぼの近くの方でしたが、海に近い方の方は、別な魚を上げたようです。

このことについて、あとで、文献を調べてみました。「気仙郡語彙集覧稿」という、4センチくらいある分厚い辞典です。住田町が発行していて、著者は住田町出身の菊池武人氏、監修が方言研究の小松代融一氏、編集が郷土史・民俗研究の金野静一氏という本です。方言の他、民俗に関する記述も大変詳しい本です。(伊達先生、お貸しくださりありがとうございます!!)

 

この中に、12月10日の大黒様の年取り(嫁とり)の時、マッカ大根等を供えることと、12月20日の恵比寿講の際に、生きた魚を供えることが、書かれていました。

 

ここから考えると、もしかして、まっかな大根と、生きたどじょうや魚を一緒に神様に上げたのは、10日か離れていない、大黒様の年取りと恵比寿講を一緒にしたものかな、と思いました。

 

仮設住宅を始めとして、気仙地方で気仙茶のお茶会をすると、昔のお茶づくりの話から始まって、様々な暮らしの話を聞かせていただいています。その昔話には、身近な自然を利用した暮らしの知恵や技術、節節の、自然に感謝し神々に感謝する暮らし、人と人が思い遣る社会の在り方をうかがい知ることができます。

 

気仙の暮らしの記憶を記録し、気仙の今や未来に引き継ぐことを目的に行ってきましたが、これは、気仙にとどまらず、広く今・未来を生きる人々にとって大切なお話なのではないかと、思い始めています。もちろん自分自身にとってもです。