神戸アイダホが始まったのは、私が21歳の時でした。

 

三宮の駅前、人が行き交うマルイ前の交差点のそば。

レインボーフラッグを掲げて、手書きのフリーペーパーと、カラフルなチラシを配るだけの小さなアクションでした。

 

神戸で育った私にとって、地元で顔を出してチラシを配るということは様々な恐怖を感じることでした。

 

「中高の同級生や先輩後輩にばったり出会うかも」

「家族やその知人に見られて、バラされたらどうしよう」

「訝しげに見られたり、笑われたりしたら嫌だな」

「自分の母校や大学で嫌な噂が広まりませんように」

 

そんな思いを抱えながら、それでもあの場所に立ち続けました。

私自身や、かつての私のような人たちに、自分が自分であることは恥じることじゃないと証明したかったからです。

 

中高生の頃、私は、自分は人と違う、1人で生きていくんだと思っていました。

 

女性の体でありながら女性ではない、恋をするのは性別を問わない。

 

こんな人間は自分だけだ。自分は誰にも理解されない。結婚もせず子どもも持たず、友人や家族に本音も言わず、1人で大人になって老いていくんだろう、そう本気で思っていました。

 

でも、そんなのは嫌でした。

 

本当は素の自分でいたかった。

1人は嫌だった。そのままの自分で、大事な人と本音を話して生きていたかった。

 

20歳になってその想いが抑えきれなくなり、必死に探し回った末に、幸運にも他のセクシュアルマイノリティの人々と出会うことができました。

その時、着たくもない制服のスカートを身につけて、孤独と戦っていた10代の自分のような人たちは、まだまだたくさんいるんだと気づきました。

 

多様な性を生きる人は、たいてい見た目で違いが分かるものではありません。

だから、声をあげないと、その存在が、その声が伝わらない。私のような当事者にさえも。

 

だから1年で1日だけでも、声をあげたいと思っています。

 

あなたは1人ではない。

自分が自分であることは、恥じることでも嘆くことでもない。

ひとと違う自分も、自分と違うひとも、豊かな大切な存在だ、と。

 

7年目を迎える神戸アイダホは、ひとつ一つの小さな声を丁寧に拾いながら、多様な性にYESを表現し続けてきた場所だと感じています。

 

今年も来年もその次も、その場所が存在し続けられるように。

私は今年も、神戸アイダホを応援しています。

 

吉川ヒロ

 

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