プロジェクト終了まで残り9日となりました。メディアの後押しもいただきまして、支援の輪の広がりをひしひしと感じております。ご支援頂いた方は180名を超え、支援金額も750万円を突破いたしました!みなさまからの温かいご支援本当にありがとうございます!忘れてはいけないこと、なくしてはならないものを大切に伝える喰丸小の応援、よろしくお願いします。

 

喰丸小で行ったフィールドワーク報告会で。(写真提供 明治大学・環境人文学研究室)

 

さて、今回の「わたしとあなたと喰丸小」は、哲学者であり明治大学理工学部准教授の鞍田崇さんです。先週公開されたWEBメディア「灯台もと暮らし」の喰丸小応援企画「特別対談 坪川拓史×鞍田崇『廃校から37年。次の世代へ喰丸小学校という「カノン」をつないでいくために』」では、喰丸小を残して生かす意義についてお話しいただきましたが、改めて、喰丸小に馳せる想いを綴っていただきました。鞍田崇さんは、民藝の思想からこれからの生き方の視座を提起し、昭和村にもたびたび訪れ「織姫※」の生き方を聞き歩くなど、村の暮らしの営みに10年来眼差しを送り続けています。

 

※昭和村の「からむし織体験生事業」で来村した体験生の通称。村伝統の「からむし織」の制作工程を通じた1年間の農村生活を体験し、修了後も村の暮らしを気に入り定住する方も多数いる。体験生のことを村の人々は愛着を込めて「織姫さん」と呼ぶ。

 

 

鞍田 崇(くらたたかし)

 

(プロフィール)

哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院人間・環境学研究科修了。博士(人間・環境学)。専門は哲学・環境人文学。総合地球環境学研究所を経て、2014年より明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、工芸・建築・デザイン・農業・民俗など様々なジャンルを手がかりとして、現代社会の思想状況を問う。著作に、『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(単著、明治大学出版会 2015)、『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』(編著、フィルムアート社2012)など。詳細はこちら

 

 

「住むんやない。ただお預かりするんや。」

 

たしかそんな台詞だった。古い映画のワンシーンである。

 

時代は昭和戦前期。商都の名にふさわしく、まだ昔ながらの商家が軒を連ねる大阪から、仕事の都合で東京へ転居する主人に対し、本宅に残る使用人が述べた心構えがこのひと言である。転居は一時的なものではない。主はおそらくもう戻ってこない。にもかかわらず、「ただお預かりする」というその姿勢が強く印象に残った。預かられるという日本家屋の黒光りする柱とともに。

主従関係が絶対の封建時代の名残ではあるのだろう。でも、それだけじゃない気がした。物に対する独特の感覚とでもいうか。手に入れた物は自分の物として疑わない現代の僕たちが忘れてしまった何かがそこにはあった。

 

 

喰丸小のこれからへ向けた応援メッセージなのに、どうして昔の大阪が舞台の映画の話なんてと思われるかもしれない。でも、まんざら無関係でもないのだ。「住むんやない。ただお預かりするんや」。喰丸小を訪ねるたび、僕はいつも頭のどこかでこの台詞を反芻してきた。

 

はじめて訪ねたのは四年あまり前。元織姫の友人たちの誘いを受け数年ぶりに昭和村に滞在したときのこと。ちょうど坪川拓史監督の映画『ハーメルン』の公開直前で(当時はまだ京都に住んでいて、のちに映画が京都シネマでも上映されると知り、講義で学生たちにぜひ観に行くようにと勧めたのを覚えている)、その舞台になった場所だということで案内してもらった。夏、八月のはじめだった。暑かった。青々とした銀杏や草地を前にして対照的に古びた木造校舎がそこにあった。風の又三郎でも出てきそうな懐かしい佇まい。そこだけなんだかずっと時間が止まったままであるかのように思われた。屋根は錆び、壁板は色褪せ、桟で区切られた窓のガラスはところどころ欠け、朽ちていきつつある建物であることは明らかだったのだけど、いつからかそのままの姿でジッと蹲っているかのような。見ると一階の窓を覆う雪囲いの板は傾いている。その板もまた傾いた時からずっとそのままジッと静止しているかのようで。そうしてふと思い出したのだ――「住むんやない。ただお預かりするんや」というあの台詞を。

 

2013年夏、はじめて訪れた喰丸小(撮影:鞍田崇)

 

 

「住むんやない。ただお預かりするんや」。思えばこの台詞は、自分たちの一存で失ってはならない何かがこの世にはあるということをいうものではないだろうか。時代や社会の変化を受けたとしてもだ。

もしかしたらもとの持ち主は帰ってこないかもしれない。いや、もしかしたらではない。持ち主は決して帰ってはこない。であれば僕たちの一生は何かそういうものを預かるためにある。もとの持ち主もきっとそうだったし、その前もそのまた前もそのまた前もずっとそうだった。

ほんのつい最近まで人々はそうやって歴史を紡いできた。自分たちは持ち主ではなく、受け継がれてきたバトンを預かっているだけ。大切なのは、そのバトンをちゃんと次の担い手に引き渡すことなのだと。きっと彼らはいまよりよい形でさらに次へと紡いでくれるはずだから。そんなかすかな希望をソッと胸に秘めながら。

 

喰丸小はまさにそうした希望の証そのものではないだろうか。そうして、言うまでもない。それは昭和村の姿そのものでもあるのだ。からむしに象徴される暮らしに根ざした多くの手業をはじめとして、他の多くの地域がいつしか見失ってしまった(もちろんそれは好き好んでのことではないだろうけど)生き様がここにはいまなおちゃんと息づいている。「住むんやない。ただお預かりするんや」という生き様が。

 

 

喰丸小にて、明治大学環境人文学研究室 夏期フィールドワーク報告会(2016.8.25)

 

 

僕らはあまりにも多くを失ってきた。それは昭和村とて同じ、いや、同じどころかこの村はほんとうに多くを失ってきた。バトンを預かることを忘れた時代の流れはこの山村を見事に飲み込んできた。であればこそ、喰丸小の保存再利用の決断となったのではないかと思う。平気で失ってきたわけではない。ギリギリの決断である。

 

繰り返そう。僕らはあまりにも多くを失ってきた。でも昭和村がそうであるように、いまではただ漫然と失うに任せるのをよしとしない人はいるはずだ。落としかけたバトンを拾い上げ、もう一度きちんと預かって、僕たちの生活の芯にあるはずのものを後世へと繋いでいく。このたびの喰丸小の試みがその糸口となることを願っています。

 

 

最後に、「住むんやない。ただお預かりするんや」という台詞について補足説明。これ、市川崑監督の映画『細雪』の終わり近くで出てきます。正確にはちょっと違ったかもしれないけど、谷崎潤一郎の原作にはない映画オリジナルの台詞。なのですが、なんだかこの長編小説の魅力を端的に示すもののようにも思われ、心に残ったのでした。

 

ちなみに、この映画のラストシーンに流れるのが、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」。『ハーメルン』のタイトルシーンでも使用された、あの曲です。「住むんやない。ただお預かりするんや」が喰丸小とまんざら無関係でもないと言ったのは、そういう理由からでもあります。

 

 

2013年秋、2度目は銀杏が散った後に。(撮影:鞍田崇)

 

 

バトンを繋ぐということ

 

預かったものを、希望を込めて誰かに託す。それが生きる意味なのかもしれません。

 

織姫さんも、「からむし」の栽培から繊維の取り出し、糸づくり、機織りと、村で受け継がれてきた手わざに触れ、学んでいきます。その時に教えられるのは、「からむしは、村の人たちが大切に守り伝えてきたもの。からむしを学ぶことは、自分のものにするということではなく、村の人たちのものをお借りしているという気持ちで接してください。」と。それは、向き合う姿勢として今回の「ただお預かりするんや。」に通底するものを感じます。

 

心に染みる懐かしい風景を未来へ― 喰丸小が未来へ繋ぐものは、単にフォトジェニックな木造校舎なのではありません。喰丸小に注がれた想いを受け継ぎ、この村のより良い未来を願い、バトンを次の世代に託すこと。想いがあれば、その繋ぎ手に、どなたでも関わっていただけます。「あなた」は次なる「わたし」に。引き続き、喰丸小への御支援よろしくお願いいたします。

 

 

 

昭和村の「からむし」、「織姫事業」については、WEBメディア「灯台もと暮らし」×昭和村の協働コンテンツで紹介してますので、ご覧ください。

土からうまれた糸を継ぐ【福島県大沼郡昭和村】特集、はじめます

 

【これまでの「わたしとあなたと喰丸小」】

 わたしとあなたと喰丸小 vol.2 映画監督 坪川 拓史 さん

 わたしとあなたと喰丸小 vol.1 奥会津書房 遠藤 由美子 さん