プロジェクト概要

日雇い労働者の街、山谷の現状を知っていますか?写真集作成プロジェクト

 

はじめまして、新納翔と申します。私は長い間山谷の街をカメラで撮り続けてきました。山谷、かつて日本のスラム街と言われた肉体労働者の街、東京、山谷地区の写真集を出す事がこのプロジェクトの目的です。通称ドヤ街と呼ばれ、かつて暴動が繰りかえされ、近づいくことすら憚られるエリア、若い世代なら名前すら知らない事も稀ではありません。しかし現在、福祉と生活保護の街に姿を変えるも、わずかな報道があるのみで、その現状があまり知られていないのも事実です。写真家として伝える事は1つの責任だと思っております。山谷地区以外にも忘れ去られる景色をずっと追って参りました。そういう景色の記録が一写真家として、私の使命だと考えております。

 

(南相馬市取材の様子)

 

6年間の取材を通して思う事

ただ、山谷地区いつの時代も「行き場のない人」がたどりつく場所として存在することには変わりありません。山谷は日本の縮図だとよく言わてきました。この街を6年間に渡って取材して来て、この現状を伝え、国内外問わずより多くの人に知ってもらう事、その事が一番重要だと考えています。 それが「生きるとは何か」と考えるきっかけになり、少しでもこうした貧困地域の現状改善に繋がる契機として機能できればと考えております。

参考リンク 当方のホームページにて撮影した写真が見られます。

 

なぜ写真集かといえば、私が写真家という事もとより、この数年山谷に関する話を自分より若い世代と話をしたり、トークショー等の経験、そしてこの度の震災の様子を見るに、シリアスな事象と向き合うきっかけはアートの方が優れていると思うからです。何かを伝えたい時、文化創造的な手段の方が、結果的に見る側に伝わり、問題提起できると信じております。

 

たまたま訪れた山谷

 

 

私も山谷をというエリアは初めて行くまで全く知りませんでした。6年前、海外の友人が安宿に泊まっているからと招待されたのがきっかけで、街に入って何か異質な雰囲気を感じずにはいられませんでした。写真家として単純な興味から撮りだしたのですが、様々な実情を知るにつれて、この現実を世に知らせる事が自分の使命であると考えるようになりました。それ以来、単に街に行って苦する人を撮るようなやり方は性に合わず、ある宿の帳場(安宿のフロント)で週に二回働かせてもらいながら、街の中から取材するスタンスを今でも続けています。

 

「死をこれほどまで近くに感じる街は知らなかった。」

 

 

現代インターネットの普及で情報は溢れています。そして若い世代の人々はそれなりに生活しているのに、どこか心の豊かさを失っているように思えるのです。山谷で死と隣り合わせに行きている人の方がどこか人間らしいと感じることがあります。山谷はJRもしくは日比谷線の南千住駅。銀座から20分たらずの場所である。

 

山谷地区を取材して、壮絶な死に何度か遭遇してきました。

写真から「生きる目的」を見つめてほしい。

これが写真家として思うことであります。

 

そしてもっと力ある人に対して、この街が見捨てられ、行き場のない人が放置されている現状打破のきっかけになることを期待します。

 

「この30センチが境界線なんだ!」

私が6年間山谷にいる間、色々な人と知り合い、そして幾人かは去って行きました。私はできるだけ多くの人と話をして、写真にならぬ声も聞こうと心がけておりました。ある時帳場に座っていると、私が働いている宿に20年近く住んでいる方が酒を飲んで来たのか陽気な顔で帰ってきました。「お疲れさ〜ん。今日は新納ちゃんかぁ。」

その後しばらく取り留めのない話をしていたのですが、急に表情を変えこういうのです。

「新納ちゃん。俺は山谷の男だ。あんたは違う。この30センチが境界なんだ。天と地の。もう絶対に越えられない境界線なんだ!ドヤなんて独房だよ。」

帳場(フロント)へだてて僕と彼の距離が30センチ。それを境界線だというのだ。6年間の中で記憶に残る台詞の一つである。

 

人ごとではない現実

 

去年の暮れ当たりから生活保護受給者の数が激増しています。彼らの話を聞くに大半の人が自分がそうなるとは思っていなかったと言います。

私も実感しますが、誰もがそうなる可能性があるのだと、考えなくてはいけないのだと思います。

 

 

でも実際山谷でお話を聞いていると私の方が勉強させられる事がたたあります。山谷で知り合った山木さんはとても博識な方で、よくおしゃべりをしました。僕が宿に行くと待っていたとばかしに昨日はあそこに行ったとか、いい写真は撮れたのかとか話をします。そんな山木さんも、去年都営住宅の抽選が15年超しにやっとあたり引っ越されました。その後電話で、「20年ぶりにバッハがイヤホンなしで聞けるんだ。」とたいそう喜んでいたのを思い出します。

 

写真展にも来てくれました。

 

 

 

山谷を伝える

 

単純に今では第二の故郷にさえなっているのかもしれません。山谷に興味を抱く人は多く、その代弁者として私がいるというスタンスなのです。

 

スラム街とさえ言われた場所だけにカメラを持って取材することは時に危険な目に遭う事もあります。ただ伝えたいもののためのリスクなら仕方ないと覚悟を決めて取り組んできました。

 

そうして撮影した写真から自分の視座に共感して頂ければそれだけで嬉しいのです。

 

取材したおばあさんと記念撮影。 

 

撮影を初めて3年目、新宿四谷のギャラリー・ニエプスにて写真展「山谷NOW」を開催しました。この時の反響がとても大きく、その後の取材の活力にもなりました。

 

2011年には、北京のZenFotoGalleryにて個展を開催。海外から、東京=リッチという図式からは到底考えられないという感想を聞くに、日本だけにとどまらず海外にも発信すべきだと考えるようになりました。この時に小写真集「山谷」を出版しました。

 

写真集「山谷」ZenFotoGallery 刊

また、山谷を伝えるために、NakedLoft(新宿)でトークショーを開催したり、雑誌に山谷に関する記事を寄稿したりしています。

 

今後の活動

今年の夏、ニューヨークのタイムズスクエアにて展示

2012.9/1-9 Photo Gallery Saiにて個展「山谷」開催(大阪)

※写真集制作の日程により延期の可能性有り

 

山谷に関しては以上の事を現段階で予定しております。

 

引換券について

今回の引換券は、目的である写真集が基本です。最低ラインにおいて設定した金額は、写真集の予約引き換え券のような感じになるます。写真集は限定500部で3.000円から4.000円の間になると想定しております。

 

(上記はイメージ図となります。)

 

そしてまた写真集の目的に「山谷を知る」ということがあるので、実際に案内し、酒屋で飲むなどというイベントは一番適した形だと思います。これは今まで過去数回行っており、大変好評のようです。

 

また、オリジナルプリントに関しては、現在海外などでA3サイズが日本円で30.000円程にて取引されております。

 

 

若手写真家の出版に対して、新しいモデルケースに

 

そしてまた、若手写真家が写真集を出版しにくいという日本の写真界の現状に対して一つのモデルケースになれば、今後より活発に優れた作品が陽の目を見ることになると考えております。

 

簡略プロフィール

 

新納翔 Niiro Sho    website

1982年 横浜生まれ 
2001年 麻布学園卒業 
2002年 早稲田大学理工学部応用物理学科入学 
2009年 Gallery Niepceのメンバーに参加(-2010)

 

個展歴

道脈 (Gallery Niepce,Tokyo 2006.6)

横浜遥か近景 (Garellia Q,Tokyo 2007.9)

Out Line (Garellia Q,Tokyo 2008.2)

Dystopia Nippon (Gallery Niepce,Tokyo 2009.2)

山谷Now (Gallery Niepce,Tokyo 2009.6)

道脈#2 (Gallery Niepce,Tokyo 2009.8)

Dystopia Nippon #2 (Gallery Niepce,Tokyo 2010.1)

道脈#3 (Gallery Niepce,Tokyo2010.4)

NoSunnyDays (Gallery Niepce,Tokyo 2010.9)

山谷(Zen Foto Gallery,北京 2011.1)

 


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