プロジェクト概要

【第二目標、達成しました!】

 

皆様からのご支援・応援により、無事ニセコエクスプレス最後の1両を、丸ごと保存できる目処が立ちました!本当に、本当にありがとうございました!

 

2月26日に始まった本プロジェクト、応援くださっている方々には途中ご心配をおかけする期間もありましたが、何とか最終日、残り数時間というところで達成することができました。

 

ご支援いただいた方々、SNS等で情報の拡散にご協力いただいた方々、直接応援のお声を頂いた方々をはじめ、このプロジェクトに関わってくださった全ての方からのお力添えに心より感謝申し上げます。

 

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なお、第二目標を超過して頂戴したご支援については、以下に充てさせていただきます。

 

【5/30追記】
最終的にご支援いただいた金額を鑑み、車両の塗装に関しては現状では苗穂工場での塗装費用には至りませんでしたので、ニセコ町鉄道文化協会が塗装修復する際の費用として使用させていただきます。


生まれ故郷である苗穂工場での塗装費用
(2シーズンを屋外で過ごした車体は痛みが激しいため、保存にあたり苗穂工場で塗装したいと考えております)
保存後の維持管理経費の一部
(車体を冬季に覆う丈夫なシート材・冬季に前面ガラスを保護する緩衝材の購入費等)

 

鉄道車両の塗装や標記は、一般の塗装会社ではできないものです。そのため、現状の塗装を将来に残すことも博物館活動の一つであると考えます。生まれた工場で最後にお色直しをさせ、きれいな姿で里帰りをさせてあげたいと思っております。

 

塗装費用を中心に当面の維持管理費を考えると、およそ100万円ほどあれば、今後を見据えたベストな形で維持ができます。残り数時間、将来に向けて大切に保存をしていくために走り抜きたいと思います。

 

最後まで本プロジェクトを見守っていただけますと幸いです。何卒、よろしくお願い申し上げます。

 

保存か、解体かーー。

 

このままでは今年、

「本当のお別れ」がやってきます。

 

​矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 

昭和63年(1988)から29年間、ニセコ町を中心に、北海道各地で活躍したリゾート車両「ニセコエクスプレス」。

 

改造車ではなく、文字通りゼロからのオーダーメイドの新製車両。それゆえ保守部品の確保が難しく、平成29年(2017)11月にラストランを終えました。

 

全3両あったうち2両はすでに解体済み。残る1両も今年解体予定で、その最期を静かに待っています。

 

その運命を覆したい。

 

車両を救う最後の手段として挑戦を始めたこのクラウドファンディングも、残り日数わずか。ここまで多くのご支援をいただきましたが、100%達成しなければ全額返金となり、保存も夢と消えます。

 

解体されてしまってはもう二度と元には戻りません。

 

北海道を駆け抜けた、唯一無二の車両。鉄道遺産であり、貴重な郷土資料でもあるニセコエクスプレスの姿を守り続けたい。

 

どうかご支援いただけませんでしょうか。

 

 

<ご支援方法がわからない方はこちら>

 

​矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 

 

ニセコエクスプレス、ラストランから保存へーー

:保存場所と方法

 

函館本線「山線」をはじめ、北海道各地で活躍したニセコエクスプレス。

 

ラストランを迎えたのは、2017年11月4日のことでした。オーダーメイドの車両であるがゆえに保守部品の確保が難しい、というのが引退の理由でした。

 

「大変残念だ」という声は多く、ラストランの際には多くの町民が最後の雄姿を見ようとニセコ駅に集まり、姿が見えなくなるまで旗を振って見送っていました。

 

ニセコ駅で最後の出発を待つニセコエクスプレス(ニセコ町役場提供)

 

そして、引退から約1年後の昨年10月。

 

3両編成のうち先頭車1両(キハ183-5002号)と、中間車1両(キハ182-5001号)が解体。

 

残る最後の1両(キハ183-5001号)は、JR北海道苗穂工場にてまだ留置されていますが、いよいよ今年、解体が予定されています。

 

しかし、せめて1両だけでも保存していきたい。

 

そこで昨年立ち上がったのがニセコ町鉄道文化協会です。町をあげて協議を続けた結果、2通りの保存場所候補が挙がりました。

 

※購入後の管理については、ニセコ町唯一の博物館施設である「有島記念館」(所管:ニセコ町教育委員会)が担います。

 

 

第一目標達成の場合
保存予定地①:旧新得機関区転車台

 

ニセコ町駅隣接地にある「旧新得機関区転車台」。

 

平成2年の「C62ニセコ号」のニセコ駅延伸(平成7年運行休止)に伴い、新得町から同駅隣接地移設されたものです。

 

この転車台は、長年荒廃していたものの、2014年には手動による可動化に成功。2017年には、井門義博さんなどのご尽力により蒸気機関車「9643」が移設されています。また、同所は殖民軌道真狩線の狩太(かりぶと:ニセコ町の旧称)駅のあった場所でもあります。

 

ニセコエクスプレスも、蒸気機関車「9643」に並べて保存することで、鉄道遺産のさらなる集積地となります。

 

蒸気機関車「9643」と転車台(後方)

 

しかし、問題点もあります。

 

ここは、道内有数の豪雪地帯であるため、本来は鉄道車両の屋外保存には向かない土地です。しかも、ニセコエクスプレスの特徴的な前頭部ガラスは、53度の緩やかな傾斜となっているため、破損を防ぐため車庫が必要となります。

 

車両の購入・輸送に加えて、1両分の車庫の建設となると非常に高額な費用が必要になってしまいます。そのため、各所と協議の上、苦渋の選択ではありますが、先頭部分を切断した上での保存を決めました。

 

羊蹄山を背景にニセコ駅を発車するニセコエクスプレス
同車右側には修復前の旧新得機関区転車台もみえる(2014年)

 

第二目標達成の場合
予定地②:有島記念館

 

上記の通り、第一目標を達成したあかつきには、旧新得機関区転車台での保存が決まりますが、その場合は車両の先頭部分が切断されてしまいます。

 

しかし、もし第二目標達成までご支援をいただけた場合には、切断をせず、1両丸々保存が可能となります。

 

その場合は、旧新得機関区転車台で保存するには車庫の建設費用が不足するため、「有島記念館」内での保存となります。

 

※記念館内には車庫・屋根はないのですが、職員が常駐しているため、随時除雪などの最低限の作業ができます。

 

なお、昨年10月に解体された2両の車内外の部品の一部は、今後の保存を末永く行うための保守部品として、JR北海道からニセコ町役場に譲渡していただきました。

 

同車の保存活動を通して、降雪地における適切な鉄道車両の保存方法も模索していきたいと考えています。

 

左側の雪が積もっている地点が保存候補地。背後には羊蹄山を望むことができます。

 

 

ニセコ町での今後の保存を考えて確保されている保守用部品の一部

 

 

ニセコエクスプレス、なぜ残す価値がある?

 

完全オーダーメイドの道産子列車

 

ニセコエクスプレスは、昭和63(1988)年に、千歳空港を含む札幌圏域からニセコ地域へのスキー輸送を担う3両編成リゾート列車として製造されました。

 

リゾート列車というもの自体は、1980年代から各地で誕生していましたが、改造車ではなく、ゼロからの「新製車両」として誕生するのは珍しいことでした。

 

製造はに当たったのは、JR北海道苗穂工場。同工場では戦前(1938年から1941年まで)の「D51型蒸気機関車」以来、久しぶりの新規製造でした。

 

矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 

同車の車内は、ニセコ地域の気分が味わえるように、リゾート地の落ち着きをイメージして設計されました。外観は当時、札幌と千歳空港間で建設が構想されていたリニアモーターカーを模したともいわれる、スピード感あふれる見た目。正面には1枚100kgの大型ガラスがあり、当時、世界最大の熱線入りガラスでした。

 

また、JR北海道の他のリゾート列車と見比べると、同車だけ車体の高さが低くなっています。これは、急勾配・急カーブが続く函館本線「山線」での乗り心地を考慮したもの。加えて、着雪防止や気密性のためにJR各社に先駆けてプラグドアが採用されました。

 

まさに、山線の厳しい自然環境に対応するために生まれてきた車両なのです。

 

車両デザインは斬新で、でも当地の環境に最適化した形にーー。「道産子車両」ならではの唯一無二の工夫が凝らされており、まさに現物を後世に伝えていく価値があります。

 

然別駅を発車し、山線きっての難所・稲穂峠に挑むニセコエクスプレス
2002年3月17日(小樽市総合博物館・星コレクションより)

 

地元民の生活に密着した「郷土の車両」

 

そんなニセコエクスプレスは、29年間にわたり、冬季はニセコ地域、夏季は全道各地を走行し、ニセコ町をはじめ北海道の観光振興に貢献してきました。

 

昭和61年(1986)以来、函館本線「山線」(小樽・長万部間)からは優等列車(特急・急行列車)が姿を消しており、地元には停滞ムードがただよっていました。

 

だからこそニセコエクスプレスは、町民の期待や観光業者などニセコ地域からの期待を一身に背負ってデビューしたのです。

 

現在普不通となっている日高本線を走るニセコエクスプレス
矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 

また、雪によって冬場の移動に悩まされるニセコ町民にとっては、安心・安全に、なおかつ定刻通りに、約1時間半程度で札幌まで行くことができる「日常の交通手段」として愛されていました。

 

冬季以外は、北海道各地の臨時列車などで大活躍し、夏季はニセコを不在にする。そんな様子を見て、「ニセコエクスプレスは夏だから出稼ぎに行っている。また冬には戻ってくるっしょ」と愛着を口にする町民もいました。

 

ニセコエクスプレスは、リゾート列車としての側面はもちろん、地元の生活にも密着し、愛された車両だったという点で、郷土資料としても価値が高いものです。

 

(倶知安町・矢吹健児さん提供)

 

今回のプロジェクトにより、里帰りが実現した暁には、鉄道遺産としてはもちろん、博物館資料として保存し、同車はもとより、同車が活躍した山線の100年以上にも渡る歴史の語り部として、皆さまからの想いと共に、次世代へと継承してくれると信じています。

 

どうか、皆さまからの暖かいご賛同・ご支援を、よろしくお願いいたします。

 

​矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 

 

いつ頃から「山線」と呼ばれるようになったのでしょうか。私が初めて北海道の地にカメラ行脚した昭和41年当時。正しくは、支線もありましたが函館本線(函館~旭川)でした。

 

国鉄からJR化された現在も変わっておりません。国鉄動力車の近代化における蒸気機関車の廃止で渡道していた大型蒸気機関車のC62も、倶知安名物二つ目9600も廃止間近で、多くの鉄道写真趣味人が足を運んだ頃から「山線」(長万部~小樽)と呼ばれるようになったのではないでしょうか。しかし(函館~長万部)を「海線」とは殆ど聞きません。さすが、急行「大雪」「あかしや」「まりも」には間に合わなかったが、「ていね」「ニセコ」には、足繁く通いました。

 

1971年9月15日以降、山線ではキハ22・52・54・56、82・183特急「北海」、DD51・キハ201・そして道産子のキハ183-5000「ニセコエクスプレス」などは元気な時代でもあり、C623号機による復活運転もありました。

 

狩太駅はニセコ駅に変わり、上目名駅・蕨岱駅は消えてしまいました。内地と北海道の物流などを現時点で考察すれば、「山線」は、残存させねばいけませんね。

 

そして、そこを駆け抜けた「ニセコエクスプレス」はニセコ町に残って欲しいと願います。

荒川 好夫(写真家)

 

 

ニセコ町は、豊かな自然環境にはぐくまれた四季折々の魅力で人々を惹きつける地です。冬季は良質のパウダースノーが世界からのスキーヤーを引き寄せています。そのほか春からはラフティング、秀峰・羊蹄山やニセコ連山などの登山などアウトドアも通年を通して楽しむことができます。また、秋の紅葉、旅の疲れをいやす温泉など、この地の魅力を語るには枚挙にいとまがありません。そのニセコ町の魅力に「ニセコエクスプレス」を加えたいのです。

 

小説家・有島武郎はこのニセコの地に「相互扶助」の思想を遺しています。この思想はニセコ町の街づくりの基本理念として現在もこの地に息づいています。ぜひ今こそ、みなさまの「相互扶助」の精神で、ニセコエクスプレスをニセコへと里帰りさせてください。ご協力をお願いいたします。

片山 健也(ニセコ町長)

 

 

子どもの頃、機関士にあこがれていた副町長の林です。今は「乗り鉄」として全国各地に出没しています。ニセコ町には「9643」、「旧新得機関区転車台」、「旧殖民軌道真狩線」などの鉄道遺産があります。そこにニセコ町の観光振興に大きな貢献したニセコエクスプレスの保存にぜひお力を貸してください。

 

そしてニセコエクスプレスの里帰りの暁には、季節ごとに様々な車窓を楽しめる山線を利用して、ニセコ町の鉄道遺産を見にきてください!

林 知己(ニセコ町鉄道文化協会会長・ニセコ町副町長)

 

 

資金使途について

 

ニセコエクスプレスは、このクラウドファンディングが成立しないと、1両残らず全て解体され、2度と目にすることができなくなってしまいます。

 

しかし、1両全てを購入・輸送・保存および保存場所の整備となると、非常に多額な費用がかかってきます。

 

そこで、車体の一部だけでも購入・保存して将来へと継承していくため、キハ183-5001号の先頭部分7mを切断の上、里帰りさせることを本プロジェクトの第一目標とさせていただきます。

 

もちろん、ニセコ町で同車の帰りを待つ身として、1両全ての保存が目標です。もし第一目標を達成できた場合は、1両保存という第二目標を掲げさせていただければと考えております。

 

第一目標

 

先頭部分7mを切断して里帰りさせます。この場合、車体強度が落ちてしまうので、降雪等で前面の大型ガラスが破損する可能性があります。それを防ぐため、同時に車庫を建設した上で、旧新得機関区転車台付近に「9643」と共に保存します。

※第一目標の場合、以下の写真の「Niseko EXPRESS」の「R」あたりで切断の上、保存予定です。

 

-資金使途-

車体購入費の一部+輸送費・路盤整備費の一部+車庫建設費の一部=650万円

返礼品費用+Readyfor手数料=210万円

合計:860万円
 

傾斜角度53度の先頭部ガラス 新千歳空港(現・南千歳)駅1988年12月18日
(小樽市総合博物館・星コレクション)

 

第二目標

 

1両(キハ183-5001号)全てを里帰りさせます。この場合、車体強度が大きく落ちることはなく、また1両分の車庫建設にはより多くの費用がかかってしまうことから、冬季の管理を考慮して有島記念館敷地内での保存となります。

 

-資金使途-

車体購入費の一部+輸送費・路盤整備費の一部=700万円

返礼品費用+Readyfor手数料=250万円

合計:950万円

※もし第二目標以上のご支援を頂戴した場合、権利関係の調整ができれば、新製時に側面に装着していたエンブレム復元費用とさせていただく予定です。

 

※目標金額を超過して頂戴したご支援については、塗装費用や維持管理経費に充てさせていただきます。塗装については、生まれ故郷である苗穂工場で実施したいと考えております。鉄道車両の塗装や標記は、一般の塗装会社ではできないものです。そのため、現状の塗装を将来に残すことも博物館活動の一つであると考えます。生まれた工場で最後にお色直しをさせ、きれいな姿で里帰りをさせたいです。

 

矢野友宏さん(北海道鉄道観光資源研究会)提供

 


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