南半球からメリークリスマス!

何年経ってもアフリカで迎えるクリスマスはピンと来ませんが、皆さまはどんなクリスマスを過ごしていますか?

さて、私たちが活動を始めてから、一番印象に残っている患者さんは誰だと思いますか?

それはやはり最初に自分たちで義足を作った患者さんです。

彼はこのクラウドファンディングの「顔」として、このプロジェクトのトップの写真に登場しています。

そう、まだ若かった私と一緒に写っている縞々のシャツを着た男性です。

 

1997年ルワンダに義肢製作所を開きました。

どんなふうにこれから進んでいけるのか?

実績がまったくない私たちの元に、一体誰が来てくれるのだろうか?と不安な初日を迎えました。

すると間もなくです。年配の男性に抱っこされた青年がやってきました。

名前はフェリックス。両足がありません。連れてきたのはお父さんです。

1994年のルワンダ大虐殺が起こる前、フェリックスは大手の飲料会社の運転手でした。毎日西部の工場がある町から首都キガリまで、ビールや炭酸飲料などを大きなトラックに積んで運ぶのが仕事です。

その日、いつものように車を走らせていたフェリックス、一体何が起こったのか、一瞬にして目の前が真っ暗になりました。

気がついたのは病院のベッドの上。首から下が鉛のように重たい。必死に自分の置かれている状況を理解しようとします。

そう、車で飲み物を運んでいる最中、地雷を踏んでしまったのです。

そして彼は膝から上の両足を失ってしまいました。

 

私はケニアで出会った足に障害を持ったルワンダ人に惹かれ、その人のために義足や装具を作れるようになりたいと、日本で義肢製作所に弟子入りし、約5年間義足作りの勉強をしました。

親方は職人気質の気難しい人ですが、一生懸命私に技術、しかも最先端の技術ではなく、物のないアフリカでも通用するような昔ながらの技術を教えてくれました。

でも一度も私は自分ひとりで、両足を失った人の義足を作ったことはありませんでした。フェリックスを見て、本当に自分に作れるのだろうかと一気に弱気になりました。

そこで私を支えてくれたのは、二人のルワンダ人義肢装具士でした。彼らは既にルワンダで何年も義足を作り続けた職人です。

そこから3人の挑戦が始まります。

日本から持っていった材料を組み合わせながら、義足を作ります。

製作を進めるうちに、木と木をつなぎ併せなくてはいけない工程が出てきました。普通の接着剤では強度が足りず、適当ではありません。

ケニアから買い付けた接着剤も、いまひとつうまく固まりません。

その当時、ルワンダはあらゆるものが不足していました。義足を作る材料など、ほとんど手に入りませんでした。でもその接着剤を見つけないことには、義足を組上げることが出来ません。

自分自身も装具を履いているスタッフと一緒にキガリ中を探し回りました。そしてやっとプラスチックを作っている工場から、これは使える!と思われる接着剤を分けてもらいました。

早速実験です。薬品を調合しながら、くっつけてみます。結果は明日。

次の日の朝、みんなでつなぎ合わせた木を引っ張ってみます。

・・・いとも簡単にはがれてしまいました。落胆し、頭を抱え、ついイライラして怒鳴ってしまいます。焦りが募り、涙も出てきます。

「ルワンダでは強力な接着剤は手に入らないのかもしれない…。別の方法を考えなくてはいけないのかもしれない。」始まったばかりの活動は、早くも暗礁に乗り上げます。

再びプラスチック工場を訪ねて、相談しました。そしてまた別の薬品を分けてくれました。

駄目かもしれないという気持ちで、再び薬品を調合し、木をつないでみます。

不安な気持ちで目覚めた次の日、早速木の様子を見てみました。

そこにはたたいても、落としても、蹴っ飛ばしても決して壊れない一つになった木材がありました。

 

「これで出来る!」そう思った私たちはすぐに義足を作り始めます。

数日後、フェリックスが義足の仮合わせにやってきました。

果たしてうまく歩けるのか?

車椅子に乗ったまま、義足をはいてみます。

ああ、どうか神さま、義足が折れてしまうことなく、履いて立ち上がることが出来ますように。

フェリックスは義肢装具士の手をしっかり握り、立ち上がろうとします。

もう何年も立ち上がるという行為をしていなかったフェリックス、重心のかけ方がわかりません。つないでいる手に力が入ってプルプル震えています。

あっ!

よろけて転びそうになった!

義肢装具士が後ろからベルトをつかみます。

そして…。

やった!立ち上がりました!

座ったままの生活を続けていたので立ちくらみがする中、2本の松葉杖をつきながら、前に進もうとします。

一歩、二歩、三歩…。

その歩みはとても遅いですが、確実に前に向かって進んでいます。

その姿を後ろから見ながら、親方の力を借りずに自分で作った義足で確かにフェリックスが歩いているという喜びに、自然と涙が出てきました。

自分のやったことは、ものすごく大きな支援にはならないかもしれないけれど、少なくとも無駄にはならないだろう、そう実感することが出来ました。

しばらく歩く練習をしたフェリックス、壁にもたれかかりながら言いました。

「何か新しいスタートを切ったような気がする」

その言葉だけで十分でした。それはまさに私たちの活動のスタートでもあったのです。

 

それから10年以上が過ぎ、ある日フェリックスが再び義肢製作所を訪れました。今までずっと作った義足を履いていてくれました。でもさすがにもうボロボロ。直せるところを修理して、今度調子が悪くなったら作り直す約束をしました。

長い間姿を見ることのなかったフェリックス、あの時は青年だったけど、すっかりおじさんになっていました。

でもきっとそれと同じことを、彼は私に対して思ったことでしょう。

彼は郊外の市場で働いていると言う。自分で仕事をして、家族を支えているそうです。

今度会うのはいつの日か?

その時は彼の大切な奥さんや子供たちも一緒に連れてきてくれるといいな。

フェリックス、またね。

 

 

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