瀬戸内カヤック横断隊 瀬戸内海の過去と未来を映像と書籍で伝えたい。

支援総額

5,114,000

目標金額 4,000,000円

支援者
252人
募集終了日
2023年11月30日

    https://readyfor.jp/projects/setouchikayakoudantai?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

プロジェクト本文

第一目標達成の御礼とネクストゴールについて 

 

いつも応援をいただきまして誠にありがとうございます。

 

クラウドファンディング「瀬戸内カヤック横断隊 瀬戸内海の過去と未来を映像と書籍で伝えたい。」は、多くの皆様のご支援により11月22日に目標金額の400万円を達成いたしました。
 

これまでの温かいご支援に改めて心から感謝を申し上げます。皆様からいただいた400万円は、第21次瀬戸内カヤック横断隊の記録・映画化、そしてこれまでの20年間の横断隊の活動の書籍化のために大切に活用させていただきます。

 

プロジェクトの実現には総額で600万円がかかる見込みです。

 

私たちは引き続き、ネクストゴールとして「600万円」を掲げ、11月30日(木)23時の終了まで皆様と共に挑戦を続けさせていただきます。いただいたご支援は引き続き記録・映画化、書籍化のための費用として活用させていただきます。


今後とも温かいお力添えをよろしくお願い申し上げます。

 

introduction

 

旅のはじまり

―――

 

 

山口県の瀬戸内側に生まれたわたしの幼少時代の記憶は、もうもうと煙を上げるコンビナートに埋め尽くされた海でした。

 

「ここは僕の生きる場所ではない」

 

ずっとそう思いながら少年時代を過ごしてきたように思います。

 

高校を卒業して地元を飛び出してからは、「ここではないどこか」を探しに自転車やカヌーといった人力移動で国内外の旅を続け、最終的にアラスカの地にたどり着きます。極北の自然と対峙しながらアラスカの海や川の冒険行を続け、冬期にはエスキモー村で先住民の暮らしを学びました。数千年の間、厳しい環境の中で培われたエスキモーの伝統文化と民族の矜持は、まさにわたしの求めていた生き方そのものでした。この地で暮らしてゆこうと準備を進めていた矢先、村の古老から一つの言葉を投げかけられます。

 

「生まれた場所には意味がある」

 

それがなにを意味するか当時の自分には分かりませんでした。

 

はじめての瀬戸内海の船旅

―――

 

 

でもその言葉はいつまでも頭に残り、一旦帰国した際に故郷の海をすみずみまで旅しようと思い立ちました。それまで長い距離を人力で旅を続けたおかげで、生まれた場所とは瀬戸内海だという広い視野と意識が芽生え始めていたころです。

 

2001年、シーカヤックを操り山口県から兵庫県明石海峡まで、目の前に現れた島を繋ぎながらゆっくりと2カ月かけて生まれた場所の意味を探しながら旅を続けました。その旅でわたしはこれまでの価値観を大きく変える出来事と出会いました。

 

思っていた通り、本土寄りには近寄りがたい光景がたくさんありました。しかし岸を離れ、島しょ部に渡ると、島も人も海も生き物もまだまだ輝いていました。海は澄み、海藻が繁茂し、小魚もたくさん泳いでいました。時折スナメリが頭を出して挨拶してくれることもありました。島人の素朴な人情に触れ、漁民には航海の知恵を教えていただきながら、これまで漕いできた外洋とは違う潮流渦巻く複雑な瀬戸内の海を感慨深く漕ぎ抜けました。海抜0mという海の視点で瀬戸内海を見つめることによって、わたしは自身のアイデンティティを取り戻したような感覚を覚えました。

 

「この海で生きてゆこう」

 

最初の瀬戸内の海旅でそう覚悟を決めたのです。

 

次の、そのまた次の旅へ

―――

 

 

日本列島にはもうアラスカのような原野は残されていません。しかし島を取り巻く海には今も広大な原野が広がっています。海には一日たりとも同じ日はありません。手漕ぎの小舟で繊細な海の動きを体感するとその意味はすぐに分かるはずです。わたしは日々瀬戸内海を漕ぎ続けるうちに、目の前の海を探求し理解するだけでも人の一生以上の時間がかかることを知りました。この海の過去はどうであったのか?地球儀を見渡しても他に類を見ない特殊な海域であるこの瀬戸内海で祖先はどのように海で生きてきたのか。これまでの水平線の旅から同時に時空の旅も始まりました。

 

風のない海、つまり実践のない言葉や書物で語られる史実に信憑性はありません。心ある実践者の歴史の断片を繋ぎ、今の海を見つめてくることから見える未来。わたしたちはそれを語る責任があると、わたしは考えます。

 

「わたしたちは未来をどう生きていくのか」

 

今回のプロジェクトは100年後のこどもたちに向けたメッセージです。

 

 

 

さあ、

一緒に舟を漕ぎ出しましょう。

 

 

 

自己紹介


 

 

はじめまして!

 

瀬戸内カヤック横断隊です。

 

 

みなさんこんにちは。瀬戸内カヤック横断隊・隊長の原 康司(はら こうじ)と申します。瀬戸内カヤック横断隊とは、瀬戸内海全域に精通したシーカヤックガイドの育成はもちろん、かつての瀬戸内海民が拓いてきた海の道と、島々で育まれてきた海洋文化を学び、瀬戸内海の豊かな自然環境を次世代に受け継いでゆくことも大きな目標にして、2003年に結成されました。

 

毎年初冬の11月後半からの1週間、手漕ぎのシーカヤックに乗って西から東へ、あるいは東から西へと、小さな失敗を繰り返し、波と潮に翻弄されながらも縦横無尽に20年間、漕ぎ続けてきました。これまでに全国から集まった隊士は300名あまり、漕いできた距離は5000㎞を越えました。この世の中で瀬戸内海全域をもっとも知る海人集団といっても過言ではないでしょう。

 

 

シーカヤックとは 
 

カヤックとはアラスカ・カナダ・グリーランドの沿岸ツンドラ地帯に住んだ極北先住民の狩猟用の手漕ぎ舟が起源です。流木を割いて組んだフレームにアザラシの皮革を張り、木を削った櫂(パドル)を推進具とする生活に根ざした舟として生み出されました。その歴史は数千年とも言われています。現在はプラスチック製のものが主流となりましたが、形状は当時のものとほとんど変わりありません。優れた機動性を有し、海を知り旅をすることについては最も優れた手段であり、冒険やレクリエーションまたは教育の場でも広く使用されています。

海を進むときの目線の高さは60cm、かつての海民とほぼ同じか海洋哺乳類と同じ目線の高さで海を見つめることができます。風や潮流と向き合い、うまくそれを利用し、時には進むことを諦めて停滞しないといけません。


わたしたち瀬戸内カヤック横断隊のベテラン隊員たちは第15次以降、航海中の海図・コンパス・スマホなど現代ではあたりまえとなったツールをあえて持たないという選択をしています。記憶の中の地図や島影、頭上の雲の流れや潮の動きを見極め、天候・海峡を予測しながら漕ぎ進んできました。隊員の中では「海気」という言葉が共有されています。天気予報でも語られない、海に出て波風に晒されることで生存本能と共に働かせる五感ではない感覚、それは古の海民が身につけていた能力であり、その体現は海と生きることを理解する上で大きな伴となります。

 

 

 

 

広く門戸を開き、

 

多くのガイドを輩出してきました。

 

 

わたしたちは決してエキスパートの集団ではありません。隊の趣旨に賛同する人ならプロ・アマ・初心者問わず自己完結できるカヤック乗りであれば、広く門戸を開き共に漕ぎ続けてきました。(最年少は8歳、最年長は70歳)

 

1週間分の食料を自身のカヤックに積み込み、基本無補給で島伝いに野営をしながらの海旅です。当初は未知の海域に思えていた瀬戸内海も、今となっては、かつての海民と同じ目線で見れるまでに成長し、津々浦々まで精通している海のプロガイドが各地で活躍しています。島々でいつも迎えてくれる地元の人たちとの繋がりもわたしたちの大きな財産となりました。

 

岡村島のキャンプ地で御手洗港を望む

 

▼これまでの航路の例(ピンチアウトで拡大されます)

 

 

100年後の瀬戸内海のために。

 

 

わたしたちは、瀬戸内カヤック横断隊を100年続けることを目標にしています。カヤックを漕ぎ続けるためには海が平和でなければなりませんし、自然の砂浜や海岸が残っていなければ野営することもできません。島に住む人たちが豊かに暮らせる自然環境があるからこそ、わたしたちは海旅を続けられています。

 

100年先の瀬戸内海も同じように平和な海が続いてほしい。いや今以上に豊かな海や森が再生し、人と自然が共存できる里海であってほしい。そういう願いを込めています。

 

 

瀬戸内の特徴とその魅力 

日本列島6,000を超える島々の約半分、3,000余の島が点在する日本最大の内海・瀬戸内海。東の 鳴門海峡から西の関門海峡までは約500km、平均水深は35mと浅い海で、月の引力によって生 み出される潮の干満差は最大で4m。その力で生み出される潮流は場所によっては時速10ノット (18.52km)に迫ります。  



約30,000年前の旧石器時代、祖先が日本列島にやってきたころ、氷期にあったこの地はまだ陸地 でした。その後、温暖化が進んだ約10,000年前に縄文海進と呼ばれる海面上昇によって陸地は次 第に海となり、今と同じ多島海の姿になったといわれています。600ある河川から流れ込む栄養素にあふれた真水は、閉鎖性水域の中で藻場や干潟を形成し豊穣の海を育み、かつては世界一の漁獲を誇ったこともあったそうです。

近代以前は、Japanese Inside Passage(日本の中心を走る沿岸水路)としてヒト、モノ、 カネ が流通するための主要航路として機能していました。瀬戸とは狭門(せと)とも書き、相対する陸の 間の幅が狭い海峡を意味します。その海峡と海底の地形が相まることで複雑な、再現性のない潮 流を生み出し続けています。島の数、その地理的特性、歴史を鑑みても日本を語る上で欠かせないのが瀬戸内海です。

 

 

 

クラウドファンディングで実現させたいこと


 

 

瀬戸内海の過去と未来を

 

映像と書籍で伝えたい

 

 

今回、わたしたち瀬戸内カヤック横断隊は、初めてクラウドファンディングを立ち上げました。

 

わたしたちはこのプロジェクトで、シーカヤックでの旅を通じ、現在の瀬戸内海の海と人を映像記録(映画)及び、文章記録(書籍)することに挑戦します。

 

NO IMAGEと表示される – EduMall Q&A

 

第一目標金額は400万円。All or Nothingという、最終日までに目標金額に到達しない場合は不成立となる形式です。

 

ここからは、なぜわたしたちがこのプロジェクトを立ち上げたのか、その理由を伝えさせてください。

 

 

 

立ち上げの経緯


 

 

変わりゆく海、島、人。

 

現在の瀬戸内海

 

 

なぜわたしたちは時速5kmの手漕ぎのカヤックで島々に渡るのか。快適な船旅を捨て、風や波に打たれながら漕ぎ続ける意味をずっと考えてきました。

 

エンジンが発達し大小の高性能な船舶が猛スピードで行き交う現在の瀬戸内海。

 

 

かつて世界一の漁獲を誇ったといわれる豊穣の瀬戸内海は今はもうありません。もちろんわたしたちはその時代のことを知りませんが、見つめてきたこの20年の間でさえ、海も島々も人も少しづつ変わってきています。

 

かつての離島に橋がかかり、街からは車で人が押し寄せ、一部の観光地には飾られた日本文化をありがたがるインバウンド客も多く訪れます。遠くから眺めるだけの瀬戸内海。見せかけのアウトドアカルチャー、またそれを受け入れるための自然を壊してまで作る箱物。流行が過ぎ、用がなくなれば廃墟となり打ち捨てられ、名もなき浜にはどこからとも流れてくる漂着ゴミがいまだつもり続けています。

 

 

 

でも、その中には

 

守るべきものがある。

 

 

しかし、わたしたちがこれまで訪ねてきた、忘れらるる小さな島々には、自然とうまく調和しながら暮らしを続けていたころの生活や記憶がかすかに残っています。

 

開発の難を逃れた海では、生き物たちが変化しつつある海とのせめぎ合いをしながら、健気に生き抜く姿があります。

 

 

 

海を守るために島民が一丸となって長年活動されてきたある島で、もう亡くなったおばあちゃんが語ってくれた言葉を今も思い出します。

 

「わたしらあ(わたしたち)の先祖はこの海で1000年生きてきたんよ。まちがっちょらん。ちゃんとお天道様は見てくれちょるよ。」

 

その地に生きてきた人の発する言葉、眼差し、刻まれた手と顔の皺、佇まい、そしてその背後にある島と海。そんな人たちが生きる海はキラキラと光り、まるですべての生き物たちがなにかを語りかけてくれるような錯覚を覚えるものです。

 

 

わたしたちは実際に島まで漕ぎ渡り、見て、聞くことで多くのことを学んできました。

 

未来の姿というものは誰にも分かりません。ただ確かなのは、過去の歴史の積み重ねから学び、未来を紡いでいかなければならないということだけです。しかし現在のわたしたちの進歩は、あまりにも早く拙速で、過去を顧みず進んでいるような気がしてなりません。先人の歴史の積み重ねも、この急激な時代の変化の中で、あとわずかで記憶の彼方へ消えてゆくことでしょう。

 

この時代に生き、瀬戸内海を見続ける海民としてなにができるのか。瀬戸内カヤック横断隊という試みの中から学び、見聞きしてきたことを後世に伝え、わたしたち自身が実践する責任があるのではないか、漕ぎを重ねれば重ねるほどそう思うようになりました。

 

 

 

プロジェクトの重要性


 

 

教科書・歴史書にはない

 

生きた軌跡・想いを形にする意味

 

 

社会構造の変化(高齢化、地域就業人口の減少、廃棄物問題等を含む)で瀬戸内海の環境も産業もネガティブなインパクトを受け続けています。

 

地域人口の減少は、人々の生業が消滅しかかっていることを意味しています。統計的な資料ではあぶり出せない地域ごとに生業に紐づいた祝祭や慣習、正史には載らないような 技術や遺産、人々の暮らしぶりが、語られることなく消えつつあるのです。

 

教科書や歴史書には載っていない、島の人が逞しく生きた軌跡、感じ取った問題意識を形に残すことは、わたしたちが生きている社会の有り様に対して、大きな意味を示すことになります。映像や文字は時代を超えてまだ見ぬ次世代との接点を生み出します。わたしたちの活動が忘れ去られても、わたしたちが海を越えながら見つめ続けてきたことが、一つの歴史として未来への橋渡しにならないかと考えています。

 

 

 

もう、これがラストチャンスです。

 

 

戦前戦後と大きな変化の中で生きてきた先輩達はもうすぐ旅立たれます。

 

これまで出会ってきた大切な人たちの何名かは旅立たれました。映像や言葉の伝承を残すことだけでも、それができるギリギリのタイミングに来ていることも切実に感じています。

 

 

 

 

プロジェクトの詳細


 

 

スケジュール

 

 

映像や文章で瀬戸内全域の記録を残すとなると、かなりの期間を要します。これまでの旅は1週間限定で実施してきましたが、まだ一度も訪れていない島も多く残っています。今年は10月の初めからの年末までの約3か月かけてシーカヤックで島々を巡り、出来るだけたくさんの人と海に会いに行きます。

 

●2023年10月~2023年12月

第21次瀬戸内カヤック横断隊実施 徳島県鳴門海峡~山口県関門海峡まで約500km

●2024年

映像編集 追加取材 原稿執筆等

●2025年

映画完成 試写会 劇場上映 書籍発行

 

 

映像と書籍について

 

 

記録映像を担当するのは映画「丸木舟とUFO」「縄文号とパクール号の航海」で知られる水本博之監督。海や舟、そして国内外の民俗学にも深い造詣のある監督です。伴走ヨットとサポート車に乗り込みわたしたちの姿を記録に収めます。文章記録はわたし(原康司)が担当してリアルな海旅の記録を残してゆきます。

 

NO IMAGEと表示される – EduMall Q&A

水本博之監督

 

 

記録に残す場所

 

 

あくまでも現在の予定ですが、記録に残してゆく場所は以下の候補地があります。海旅は直感と偶然の連続でもあり、新たな出会いから素晴らしい人や歴史に出会えることも期待しています。

 

播州赤穂(坂越神社の船祭り) 豊島(産廃処理場のその後) 塩飽諸島(かつて世界一の漁獲を誇った海と漁民の暮らし) 笠岡諸島(白石島と空海) 鞆の浦(瀬戸内海の分水嶺と打瀬船) 尾道(向島の櫓職人) 大三島(大山祇神社と信仰) 幸崎能地(家船発祥の地、漂泊民) 豊島(家船の残る島) 倉橋島(遣唐使船のふるさと) 周防大島(民俗学者宮本常一の足あと) 祝島(原発問題と船大工)

 

支援していただいたみなさんとも、瀬戸内の海でお会いできることを楽しみにしております。

 

 

プロジェクトにかかる費用

 

 

(映画関連)映画機材導入費・記録メディア費・撮影隊移動宿泊費 100万円

(書籍関連)スチール撮影記録メディア費・撮影隊移動宿泊費・編集デザイン発行費 200万円

(撮影サポート)伴走ヨット撮影用艤装換装(充電設備等)50万円

(撮影サポート)伴走ヨット及び伴走車両の燃料交通費 50万円

(スタッフ)伴走クルーの食費・交通費・生活費・謝礼 100万円

(スタッフ)その他スタッフ必要諸経費 100万円

(レディーフォー手数料)

 

クラウドファンディングでみなさんからいただくご支援金は、上記の費用として大切に活用いたします。

 

絶対に達成してプロジェクトを実現できるよう、第一目標金額として最低限必要な400万円を設定いたしましたが、伴走クルーへの謝礼や十分な撮影・発行環境を整えるためには600万円が必要です。600万円以上で達成し、より良い形で瀬戸内の文化を残して行きたいと考えております。

 

 

 

クラウドファンディングで実現する意味


 

 

みなさんと一緒に残すことに

 

大きな意味がある

 

 

クラウドファンディングに挑戦する理由は、もちろん資金調達としての側面もありますが、そもそも今回のプロジェクトは、ただ記録として学問として残してゆくだけのものではありませんし、また利益を生む経済活動でもありません。

 

現役世代として生きるわたしたちが先人や先輩から学び見聞きしてきたことを、わたしたち自身がそれをどう生かし実践し、未来の瀬戸内海に還元していくかということをありのままに表現するということです。

 

だからこそ、まずは瀬戸内にゆかりがある人や、これから住んでみたいと思っている人、瀬戸内に一度も来たことがない人とも多くの人と仲間になり、つながっていくことが大事だと考えています。これは日本列島に生きる人すべての人に共通する大事なテーマだと考えます。だからこそクラウドファンディングを通じて支援していただき、クルーとして一緒に海旅する意識を共有したいのです。

 

このプロジェクトでわたしたちが伝えたいのはハッピーエンドのストーリーではありません。海と向き合いながら生きる海旅の生活は、正直に言うと人の欲望の残渣をリアルに感じる小さな絶望の連続でもあるかもしれません。しかし20年の海旅の中で出会った海や人からたくさんの希望を賜ることもできました。

 

その絶望も希望も、ぜひみなさんと一緒に感じていきたいと考えています。

 

 

 

最後に


 

かつての瀬戸内の海民は海や山と共に自由に暮らすアナーキストのような存在だったような気がしています。家は舟、住所は瀬戸内海といった漂泊漁民ともいえるわたしたちの先祖が変わりゆく世の中を眺めながら、瀬戸内海でどう生きてきたのか……ずっと気になっていたことでもあります。瀬戸内カヤック横断隊の海旅はいつも自由です。その日の風や潮を見極め、風吹かれ雨に打たれ体は潮まみれになろうとも、毎日の海旅での心は爽快です。

 

また、その記録を目にしてくれた多くの人たちが瀬戸内海に興味を持ち、訪れ、移住し、自然とともに共存しながら古くて新しい瀬戸内の未来ストーリーを一緒に紡いでゆけるような世の中になることを期待しています。

 

 

 

 

プロジェクトメンバーより


 

村上泰弘(瀬戸内カヤック横断隊副隊長 シーカヤックガイド)

 

 

「瀬戸内カヤック横断隊」は、私たちのような瀬戸内海とともに生きるシーカヤッカーにとっては、瀬戸内海をより深く知るための学びの場となっている。地形を知り、潮流を読み、気象を予測し、そこに住む人々や、動植物、環境の変化など、目に入るものすべてを実際に自分で判断理解しながら漕ぎ進む。高速時代のいま、なにかと合理化され、モニターに映し出される情報を見さえすれば手に入れられるようになったが、そうではなく、わざわざ歩くスピードで五感で感じるからこそわかるものが、横断隊にはたくさんある。よく横断隊に参加した感想を聞かれるのだが、これがなかなか難しい。情報量が多すぎて一言で表現することができない。つい「行けばわかるよ。」って言いそうになってしまう…。「瀬戸内カヤック横断隊」を映像化し、書籍に残すことは、20年間積み上げてきて得たものをそれぞれの横断隊員の頭の中にだけでなく、ひとつの形として残し広く伝えることはとても需要なことだ。うまく全行程を漕ぎ終えられた年、目まぐるしく変わる潮流に翻弄された年、荒れまくる気象に途中で断念せざるをえなくなった年、そんなことを繰り返した20回の軌跡が素晴らしい記録として残れば、私たちの20年も輝いてくるような気がしてならない。21度目の瀬戸内カヤック横断隊が待ち遠しくてならない。

 

大田裕治 (瀬戸内カヤック横断隊 夜の隊長 庭師)

 

 

2003年、内田隊長に始まり原隊長へ受け継がれたこの“瀬戸内カヤック横断隊”も早20年。原隊長も今年が10年目で一応引退の年に。

 

たまたま自分も縁があって第一次からこの横断隊に関わって来たけど、実はこの隊には当初から隠れた野望があって 「オレ達はこれから何十年掛けても、手漕ぎの舟でこの瀬戸内を極め、島々の人や文化を繋いで、無用な環境破壊は止めて、本来の豊かで美しい海や自然や人の暮らしをとり戻す。そしてそれを次の世代の子供たちに残して行くんじゃ!」と。そして20年経った今振り返ってみて、一体何ができただろうか。もちろん実現できてないことの方が全然多いけど、しかしそれでもあきらめず、次の世代へ希望を託しこの海旅をやり続けるしか…。

 

と言うことで第21次瀬戸内横断隊がもうじきはじまるけど、 今回の記録映画の撮影はあのグレートジャーニーの映画「縄文号とパクール号の航海」の監督で、存在感を消すのが得意な水本博之氏。そして今年で横断隊の隊長を卒業する原康司は、生きざまそのものがまさにクレイジージャーニーで、生ける伝説みたいな男である。

 

今回の海旅は、この二人を軸に、横断隊士や島人がどう関わって行くのか全然読めないけど、どうか皆さんにも陰ながらこの横断隊を応援してもらえればと…。そして皆で一緒に楽しい海旅を! 最後に、まさにラスト侍の原隊長と、愛に飢えた横断隊隊士にエールを…。

 

「オワリはじまり」

もうすぐ横断隊が終わる やり残したことはないかい  島人と語り合ったかい 震えるような旅をしたかい  環境破壊なんて一瞬さ 命を守ってるかい  かけがえのないこの瀬戸内を 守り切ったかい

 

 

山口晴康 (瀬戸内カヤック横断隊士 赤穂里うみカヤックス)

 

 

初めて瀬戸内カヤック横断隊のことを知ったのは、2005年5月山口県の油谷で開かれたシーカヤック・アカデミーだった。

 

この年、10年暮らした愛知から故郷の兵庫赤穂に戻ったその春、生まれて初めてシーカヤックに乗った。そのひと月後のアカデミー。まだシーカヤック体験2回目の時でもあった。その時に聞いた横断隊の話。それは今から思えば横断隊もまだ2回終えたばかりの瀬戸内カヤックほやほや”横断隊。でも草創期だからこそ、今では考えられない破天荒な挑戦も度々だったと。そんな様子をスライドを通して初代隊長内田正洋さんや現副隊長の村上氏が、「これはすげーことなんだぜ!瀬戸内海も、横断隊も!」と、熱く語っていた。

 

自分は瀬戸内播磨灘の赤穂で生まれ育った。小学生の頃は坂越湾を目の前に毎日のように釣りをしたり泳いだり、カニはもちろん時にカブトガニを捕まえたり。また少し大きくなったらウインドサーフィンをしたり潜ったり。それが自分の知る海であり、瀬戸内海と言えばこの海だった。そんな地元赤穂の瀬戸内海は、瀬戸内全体のほんの一部。無数にあるかようなの島々や、時に川のような潮流を生む海域。これこそが瀬戸(狭門)。瀬戸内海の語源なんだと。また、そんな地を根城として暴れ回った海賊や、後の水軍の歴史等、自分の知らない瀬戸内海の姿が目の前にまざまざと、話を聞きながら蘇った。

 

そのアカデミーの夜に、現隊長の原康司に出会った。彼の住む瀬戸内海の西の方、山口県に計画されている上関原発計画への問題提起を熱心に行っていた。ズシンと心に響いてきた。閉鎖水域である瀬戸内に原発⁉︎それも、残された瀬戸内最後の原風景のような、他では見れなくなった様々な生き物の宝庫。まさに聖域のような海。そこを埋め立て、たかだか30~40年の電気を作る。そのためだけに??そんな原くんの呼びかけに、翌月は数人のシーカヤッカーと共に上関の海に浮かんでいた。その秋、初めて第三次瀬戸内カヤック横断隊に初日と最終日の2日だけ参加した。もちろんまだまだ漕げない自分を自覚して。けれど、それ以上に全然漕げないことを思い知らされた。よし!次こそは!と、一年開けた第五次。ゴールである祝島の港に着いた時は、、感極まった。。以来、途中参加も含めて計8回ほど、横断隊には参加してきたと思う。横断隊時ではないが、遠くハワイから航海してきたホクレア号をシーカヤックの上、祝島沖で感動と共に出迎えることが出来たのも、原くんたち横断隊のお陰だった。だから横断隊は自分のシーカヤックの師であり、自分の生まれ育った瀬戸内海を深く知り、深く繋がる。その大恩人ともなっている。さて、そんな瀬戸内カヤック横断隊が丸20年となる今年、その21回目の旅のフィールドを瀬戸内全域に広げ、まだ見ぬ瀬戸内沿岸また島々の津々浦々を漕いでいく!と原隊長が言うではないか!

 

かつて自分もシーカヤックに出会う前、アメリカのインディアンたちの地で、彼らと共に何ヶ月にも亘るロングウォークを歩いたものだ!そんな海の大ウォークが始まる!そう言えば、毎年のようにゴールまたはスタート地点となった山口の祝島。そこに暮らす漁師さんたちが使う言葉に「海を歩く」。そんなスゲー言葉があるんだぜ!とよく内田さんから聞かされていた。手漕ぎの小舟であるシーカヤックは、まさに歩くくらいの速さで海を往く。そんな海を歩く”旅を20年、毎年毎年続けてきた。

 

まだ見ぬ島や、カヤックでしか辿り着けない見知らぬ小さな浜辺。そこに咲く花。揺らめく海藻。たくさんの美に出会い、人に会う。また、それぞれの場所にある、さまざまな現実にも出会うだろう。今回そんな旅が記録され、映像作品として未来に残り、また一冊の書籍にもなると聞く。それは「水の惑星」地球への、感謝の証となるだろう。そして、これから続く未来への、願わくば善き水先案内とならんことを。

 

宮崎孝志(瀬戸内カヤック横断隊士 自然学校スタッフ・シーカヤックツアーガイド) 

 

NO IMAGEと表示される – EduMall Q&A

 

私は、海のない埼玉県で生まれ育ちました。

5年前に瀬戸内に位置する山口県平生町の景色に魅了され移住しました。

この場所で自然学校のスタッフやシーカヤックカヤックツアーガイドとして海のある生活をしています。

この海とここで暮らしてきた先人たちの知恵や技術などの恩恵をうけて生きています。

ここの人々と話すと「昔の瀬戸内はもっと美しく魚もおった。暮らしも人も豊かさがあった。」と言います。

昨年初めて瀬戸内横断隊に参加し危機感を覚えました。

このままでは、20年後、30年後、私自身も同じことを言っているのではないかと。

瀬戸内の美しさ、そこに生きる人々の暮らし、風習、伝統文化。

すでに消えてしまっているものもあるけれど、残していけるものもあるのだと思います。

この度の瀬戸内横断隊を通じて、私自身を含めより多くの人が今のリアルな瀬戸内と昔の瀬戸内がどうだったのかを知り、感じ、行動する機会にしたいと思っています。

瀬戸内だけでなく、各地にある良きスピリットの火を絶やさないように。

 

 

 

応援メッセージ


 

内田正洋 様(海洋ジャーナリスト・瀬戸内カヤック横断隊初代隊長) 

 

NO IMAGEと表示される – EduMall Q&A

 

シーカヤックアカデミーの実践版として2003年に始まった瀬戸内カヤック横断隊。シーカヤックという数千年の歴史を持つハンティングボートが海旅の道具として現代に甦り、海面に座るかのような視点で旅をする。旅とは自然から何かを賜ることであり「賜ぶ(たぶ)」が語源とされる。 シーカヤックで旅をする。人は海から何を賜るのか。それがシーカヤックアカデミーであり瀬戸内カヤック横断隊のテーマ。

 

シーカヤックの旅は、レジャーとは一線を画したアウトドアアクティビティだ。だからシーカヤックはアウトドアショップで販売されている。 そのアウトドアもまた、日本では誤解される。本来は外界を意味する。文明がおよばない外界への旅。そして外界こそが環境である。環境とは「四囲の外界」。アウトドアは外界であり環境なのだ。英語ではThe Great Outdoorsと表現し、あえていうなら自然環境のこと。

 

瀬戸内カヤック横断隊は、季節風の変わり目、秋から冬になる時期に招集される。隊のメンバーは隊士と呼ばれ、職業シーカヤッカーだけじゃなくシーカヤック愛好家も集う。ビギナーであっても歓迎される。来る者は拒まない。 7日間で瀬戸内を東西に横断する。順調だと300キロ。だが、自然はそう甘くない。目標の島へ到達できるのはほぼ五分五分。しかし、どんな気象、海象にも対応する気概を養うための学びの場。瀬戸内はシーカヤック道場なのだ。そして横断隊は「海気」を読む海人を育てる。忘れ去った日本列島人の叡知を。 離隊するのも自由、途中からの参加も自由。ただその日の離陸から着陸までは決して落伍艇を出さない。着陸場所は、その日の状況次第で臨機応変となる。日々ビバークの連続。食糧はすべてシーカヤックに収納されている。海旅のための舟たる所以。

 

そんな横断隊は、20年の歳月をかけ瀬戸内環境の変化を見てきた。横断隊はほとんど本州島や四国島には立ち寄らない。瀬戸内の島々をホッピングしていく。多くは無人の浜。ここには3,000を超える島があるとされていたが、より詳しく調べたことで7,000を超える島々が存在していると分かった。ついでに、日本には周囲100メートル以上に限れば1万4,000もの島々があると2023年に国土地理院が発表した。 瀬戸内は膨大な島々を抱えるが、縄文時代になって生まれた新しい海。旧石器時代にこの海はなかった。地球温暖化が生んだ海であるということは意外に知られていない。 この海には、縄文時代に始まった海の文化が今も隠されている。

 

瀬戸内の島々は、現代日本人にはあまり必要じゃなくなった。だから過疎化が極端に進んだ。しかし、未来の子供たちにとって、この世界に類を見ない多島海の生態的価値、歴史的価値は計り知れない。 そこに気付いたのが20年におよぶ横断隊の航跡。すでに5,000キロ以上の距離を漕ぎ続けてきた。その航跡から今の瀬戸内なる環境を、我々は報告していくのである。 

 

奥知樹 様(日本航海協会理事長/ホクレア クルー)

 

 

原康司君との繋がりは“海”という我々の生き場所ですが、特に自分が2007年からクルーメンバーとして関わっているポリネシア航海協会の “HOKULE‘A”という航海カヌーであり、またそのカヌーの航海です。僕も10代から海に関わってきて目標に向かう中、“HOKULE’A”に出会い今に至りますが、原康司君と同じ感覚で“航海”という行為の意義を捉えている言わば海の“兄弟”の様な存在です!今回のこのチャレンジは大きな意義を持つことは当然ですが、それを“行動”として起こすことこそが本当に素晴らしいと思っています。みんなで是非この“意義のある偉大な航海”を応援しましょう!!

 

縄文さんこと雨宮国広 様(縄文大工/jomonさんがやってきた!全国の子どもたちと石おので丸木舟つくりプロジェクト)

 


原康司とぼくの出逢いは、国立科学博物館主催の『三万年の航海』。どうやって人類が海を越えて、この列島にたどり着いたか?その実証実験。ぼくは、石斧で丸木舟を作り上げ、原は、丸木舟のキャプテンとして、見事に台湾から与那国島までの航海を成功させた。

 

激流と言っても過言じゃない黒潮の海峡を225キロ漕ぎきり45時間寝ずにキャプテンの大役を果たした。 さらに凄い事は、文明の利器に頼らず、星、雲、波、風、月、鳥、太陽など、あらゆる自然のものたちから進むべく方向を決める原始的航海術を使ったことだ。 この信じられないハイレベルな航海を成功に導いた原康司と言う人物は、ただものじゃない!そのことを皆様に伝えたい!!原の人間力は、過去現在未来を洞察し、舟を転覆させないために、今何をすべきかを理解し行動に移せるところにある。  

 

今、原康司がやろうとしていることは、間違いなく、「みんなのふね」である「地球船」を転覆させない取り組みである。  

 

かつて、美しく豊かであった瀬戸内の海が育んでくれた人々の暮らしに学び、豊かな未来を産み出す、美しい海をともに作っていきましょう!!

 

百々新 様(写真家)

 

 

平生の海は訪れるたびに穏やかに私を迎えてくれる。海に触れ漕ぎ出すカヤック、目の前の島々に心が躍る。


青年、原康司が山口を出て、意識と偶然からたどり着いた土地、人から学び、遊び、働き、漕ぎ進んだ中から得た稀有な経験が、特異な視点を持ち瀬戸内のかけがえのない地に気づき、この海に戻る。日が昇り日が沈む穏やかな日常の風景も、街も、海も、いつのまにか整備され変化して行く。自然だと思っていたものは、かんたんに失われ変化する。人間の欲求、経済活動は常に成長、進歩発展を求めて留まることは出来ない。矛盾や飽和のコーションがなかなか効かない世で、自分が何を価値基準にするかで歩み方、立ち止まり方は変わる。その基準を自分自身が持つためにも、経験値を持つ先人の知恵を知ることが必要だ。固有な瀬戸内の有益な先人の知恵を見聞し、海を守るために記録する旅に共感を持つ。


今の原さんだから出来る大切を綴るプロジェクトに賛同します。

https://photocreative.jp/photographer/arata_dodo/private

 

内田ボブ 様(ミュージシャン)

 

 

そうさ漕ぐだけさ 漕ぐだけさこの海 雨に打たれ風に吹かれ 漕ぐだけさこの海 悲しいこともあるけれど 浜辺に咲く花よ 悲しいこともあるけれど 心よまた蘇れ そうさ漕ぐだけさ 漕ぐだけさこの海 だけど謳われない 南の空泣いてる 死の灰を浴びてもなお 自由を呼ぶ人たち 誰がこんな死の時代 夢に見たのさ誰が 悲しいこともあるけれど 心よまた甦れ そうさ漕ぐだけさ 漕ぐだけさこの海 流木の火を囲み しゃべりまくろう笑い 悲しいこともあるけれど 心よまた甦れ そうさ漕ぐだけさ 漕ぐだけさこの海 漕ぐだけさ おゝこの海

 

瀬戸内カヤック横断隊『隊歌』漕ぐだけさ”  内田ボブ

 

関野吉晴 


 

 

「縄文号とパクール号の航海」の企画・プロデュースをし、航海の指揮を執っていた関野吉晴です。

初めて原康司さんと出会った頃、瀬戸内伝統の打瀬船の復活を通して、豊かな自然環境と海洋文化を再生したいと考え、「打瀬船建造航海プロジェクト」を立ち上げ、動いていましたね。その頃、瀬戸内横断隊にも参加していました。わたしのシーカヤックの師匠であり、パタゴニア、マゼラン海峡を一緒に漕いだ内田正洋さんが初代隊長でしたが,その後2代目の隊長になリ、瀬戸内横断隊を指揮しました。

当初は瀬戸内海には関心がなかったようですね。略歴を見ると、高校卒業後は生地山口を離れ、20歳の時にアメリカ大陸自転車横断その後、アマゾン河単独下降した後、なんとインドネシア・トギアン諸島にて3年に渡り真珠養殖業に従事しシーカヤックで周辺の海洋民族との交流をしていたそうですね。

96年からアラスカ遠征を繰り返し、ユーコン河カヤック単独下降、北極圏自転車横断、北極圏ノアタック河、コブック河単独下降、2003年にはアラスカ・ベーリング海沿岸1700km単独航海という快挙をなしとけています。華々しい冒険歴を積み上げてきました。

厳しい冬にエスキモーの暮らしをみて、彼らの伝統文化や暮らしぶりに感銘を受け,亡くなった写真家の星野道夫さんのように、アラスカで生きていこうと決意したと聞きました。ところが、エスキモーの古老に、「生まれた場所には意味がある」と言われ、そのことが頭に残り、故郷の海に繰り出し、原さんにとって生まれた場所とは瀬戸内海だと気づいていくわけですね。

そして、今回は「豊かな自然環境と海洋文化を再生したい」という思いを形にしようとする試みです。原さんはずーっと、自分の足で歩き、全身で漕ぎ、自分で見て,聞く旅をして来ました。今回は自分の頭で考え,自分の言葉、自分の感性で表現する。20年の記録をまとめる作業が加わるわけです。

内田正洋さんによれば、7000の島があるといいます。全部は寄れないでしょうが、小回りのきくシーカヤックの特性を活かして、私たちの知らない瀬戸内海も紹介してください。また、文献や書物ではなく、汗をかき、筋肉を動かすことによって得た、書物と映像による記録を心待ちにしています。

私たちはどう生きていったらいいのか。次世代に何を残したらいいのか、私たちは文字と映像による作品からヒントを貰えるわけです。読む者,観る者は自分の頭で考えていくと思います。瀬戸内カヤック横断隊は、これまで毎年、鳴門海峡から関門海峡まで500kmを漕いできて、20回になるといいます。今年は3ヶ月かけて、映像(映画)と文字(書籍)に記録をまとめるそうですね。

隊長の原康司さんは海の冒険の猛者で国内、アマゾン、ユーコン、アラスカなどを漕いできました。最近では、3万年前の航海徹底再現プロジェクトでは台湾ー与那国島を丸木舟でキャプテンとして漕ぎきりました。今回の隊長として打ってつけの人材ですね。

「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」は、旧石器で伐採した日本杉をくり抜いて作った丸木舟で、星や太陽を頼りに針路を定める古代の航海法で、暴れる黒湖を越え、水平線の彼方にある島を目指して台湾~与那国島を漕ぐという極めて困難な航海でした。

私もかつてインドネシアで建造した長さ6.8mの手造りカヌーで航海して来て、最後の難関が台湾〜西表島のほぼ同じルートでした。そのルートは丸木舟で航海するなんて無理だろうと思っていました。

しかし原隊長の指揮の元、見事に225km を漕ぎ切り、無事与那国島にコールしました。様々な要素が絡み合って成功した快挙でしたが、隊長の原康司さんの洞察力、判断力、リーダーシップがあったからこそだと思うからだと思います。

原隊長は今までも「豊かな自然環境と海洋文化を再生したい」と熱意を持って取り組んできました。

今回はその思いを映画と書籍にするプロジェクトですね。10月3日出発、難関鳴門海峡を漕ぎ切ったそうです。これからどんな発見,気づきを重ねていくのか?楽しみにしながら支援していきたいと思っています。

 

関野 吉晴

 


留意事項

 

●本プロジェクトのリターンのうち、【お名前掲載】に関するリターンの条件詳細については、READYFOR利用規約の「命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」の項目をご確認ください。

●支援完了時に「応援コメント」としていただいたメッセージは、新着情報やその他の広報活動でご紹介させていただく場合があります。

●プロジェクトが目標金額を超える資金が集まり、達成している場合はキャンセルできません。

●天災や社会情勢の変化により、中止・延期・プロジェクト/リターン内容の変更等が生じる可能性がございます。その場合、皆様からいただくご支援は中止・延期開催にかかる費用等にあてさせていただくこととし、ご支援の返金は行わない形とさせていただきますので、あらかじめご了承ください。

 

●シーカヤックツアーコースについて、それぞれのツアーの内容は以下のリンクをご参照ください。それぞれ一日ツアーを想定しています。(ご希望によって半日ツアーに変更も可能ですが、ご支援金の返金はできかねますことをご了承ください)

 

プロジェクト実行責任者:
原康司(瀬戸内伝統航海協会)
プロジェクト実施完了日:
2025年12月31日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

2023年第21次瀬戸内カヤック横断隊を記録・映画化、これまでの20年の横断隊の活動を書籍化します。 映画機材導入費・記録メディア費・撮影隊移動宿泊費として100万円 書籍編集デザイン発行費として 200万円 伴走ヨット撮影用艤装換装費用 50万円 伴走ヨット及び伴走車両の燃料交通費 50万円 伴走クルーの食費・生活費・謝礼 100万円 その他スタッフ必要経費 100万円 返礼品経費 READYFOR手数料

リスク&チャレンジ

リターンを実施する上でのリスクについて
映画の上映場所は、映画完成後の2025年初旬を目処に決定します。
プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
自己資金にて補填します。

あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!

    https://readyfor.jp/projects/setouchikayakoudantai?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

プロフィール

山口県出身、インドネシア・トギアン諸島にて3年に渡り真珠養殖業に従事しシーカヤックで周辺の海洋民族と交流。96年からアラスカ遠征を繰り返し、ユーコン河カヤック単独下降3,000km、北極圏自転車横断1,500km、北極圏ノアタック河、コブック河単独下降。瀬戸内海カヤック縦断500km(山口県大津島~兵庫県淡路島)2003年にアラスカ・ベーリング海沿岸1,700km単独航海に成功。2014年アメリカ人青年とともに福岡~韓国釜山250kmを史上初無伴走船でのシーカヤック単独横断に成功。国際漂着ゴミ問題の解決に向けたキャンペーンを行う。2019年に国立科学博物館「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」丸木舟の漕ぎ手キャプテンとして5人のクルーともに台湾~与那国島225kmを漕ぎ切る。瀬戸内カヤック横断隊は2003年の初回から参加、2014年より2代目隊長。一般社団法人瀬戸内伝統航海協会 代表理事。

あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!

    https://readyfor.jp/projects/setouchikayakoudantai?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

リターン

5,000+システム利用料


クルーメンバーコース

クルーメンバーコース

●お礼のメール
●瀬戸内カヤック横断隊クルーメルマガの配信(希望制)
2023年末まで行われる瀬戸内カヤック横断隊の旅のメルマガを配信します。週一回の配信でリアルな海旅の様子をお届けします。
●瀬戸内の残したい風景ポストカードセット
●プロジェクトクルーカード
今回のプロジェクトにご賛同いただいた証として、クルーカードを作成してお渡しします。

申込数
21
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年3月

10,000+システム利用料


書籍コース

書籍コース

●書籍(2025年発行予定)
※瀬戸内の過去と未来を形にし、皆様のもとへお届けします。

●書籍にお名前掲載(希望制)

●お礼のメール
●瀬戸内カヤック横断隊クルーメルマガの配信(希望制)
2023年末まで行われる瀬戸内カヤック横断隊の旅のメルマガを配信します。週一回の配信でリアルな海旅の様子をお届けします。
●公式HPにお名前を掲載(希望制)
●瀬戸内の残したい風景ポストカードセット
●プロジェクトクルーカード
今回のプロジェクトにご賛同いただいた証として、クルーカードを作成してお渡しします。

申込数
94
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2025年12月

5,000+システム利用料


クルーメンバーコース

クルーメンバーコース

●お礼のメール
●瀬戸内カヤック横断隊クルーメルマガの配信(希望制)
2023年末まで行われる瀬戸内カヤック横断隊の旅のメルマガを配信します。週一回の配信でリアルな海旅の様子をお届けします。
●瀬戸内の残したい風景ポストカードセット
●プロジェクトクルーカード
今回のプロジェクトにご賛同いただいた証として、クルーカードを作成してお渡しします。

申込数
21
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年3月

10,000+システム利用料


書籍コース

書籍コース

●書籍(2025年発行予定)
※瀬戸内の過去と未来を形にし、皆様のもとへお届けします。

●書籍にお名前掲載(希望制)

●お礼のメール
●瀬戸内カヤック横断隊クルーメルマガの配信(希望制)
2023年末まで行われる瀬戸内カヤック横断隊の旅のメルマガを配信します。週一回の配信でリアルな海旅の様子をお届けします。
●公式HPにお名前を掲載(希望制)
●瀬戸内の残したい風景ポストカードセット
●プロジェクトクルーカード
今回のプロジェクトにご賛同いただいた証として、クルーカードを作成してお渡しします。

申込数
94
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2025年12月
1 ~ 1/ 14

プロフィール

山口県出身、インドネシア・トギアン諸島にて3年に渡り真珠養殖業に従事しシーカヤックで周辺の海洋民族と交流。96年からアラスカ遠征を繰り返し、ユーコン河カヤック単独下降3,000km、北極圏自転車横断1,500km、北極圏ノアタック河、コブック河単独下降。瀬戸内海カヤック縦断500km(山口県大津島~兵庫県淡路島)2003年にアラスカ・ベーリング海沿岸1,700km単独航海に成功。2014年アメリカ人青年とともに福岡~韓国釜山250kmを史上初無伴走船でのシーカヤック単独横断に成功。国際漂着ゴミ問題の解決に向けたキャンペーンを行う。2019年に国立科学博物館「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」丸木舟の漕ぎ手キャプテンとして5人のクルーともに台湾~与那国島225kmを漕ぎ切る。瀬戸内カヤック横断隊は2003年の初回から参加、2014年より2代目隊長。一般社団法人瀬戸内伝統航海協会 代表理事。

あなたにおすすめのプロジェクト

注目のプロジェクト

もっと見る

新着のプロジェクト

もっと見る