どうして、歌と、ダンスを続けていくのか。

 

震災後に作った、たった1曲「みんなのうた」だけを抱えて

南相馬に通い続けていた私は、

何か理由をつけてじゃないと、

南相馬に通えないと思い、

毎月、ボイトレのレッスンを始めることにしました。

 

 

なぜ、毎月南相馬に通いたかったのか。。。。

 

初めて南相馬に行った時、

連れて行ってもらった、津波跡。

広大な土地が波にさらわれ、

まるで、映画のセットのような広大な荒地。

これだけの土地をどんな映画会社でも買収することはできないだろうと

思うほどの、面積が、そこに広がっていました。

 

そこに、たくさんの生活があり、

そこに、たくさんの物語があり、

当たり前の日常があった。

 

あっという間に、たくさんの物語は、

地球のクシャミのようなものに飲み込まれた。

それは、悲しいかな、人間が太刀打ちできるエネルギーではなく、

抗うことはできなかった。

 

言い方は悲しいけど、

人間は、自然の威力には勝てないと、

思い知らされる現実だった。

 

 

けれど、それとは違う、もうひとつの現実が

南相馬には、あった。

 

「ここに、目には見えないナニカが、降り注いでいる。」

 

ホウシャノウ、、、という目には見えないもの。

 

 

痛くも痒くもなく、

味もしないし、匂いもしない。

 

どこにあるのか、わからない。

 

それがどうなるのかも、わからない。

 

わからない、ことばかりの風が、

ただ、そこに吹いている。

 

そこにあったたくさんの物語、当たり前の日常は、

自然ではなく、人間の手で、

いつの間にか奪われた。

 

 

悔しくて、悔しくて、涙が出た。

 

痛いなら、いいのに、と思った。

かゆいなら、いいのに。

喉が痛くなったり、

皮膚が赤くなったり、すればいいのに。。。

 

 

メニハミエナイモノ

 

が、当たり前の日常を奪っていった。

それも、人間の手で作り出したものが。

 

 

その悔しさが、言葉にならなくて、

とにかく、ずっとずっと、涙が止まらなかった。

 

けれど「みんなのうた」を一緒に歌った南相馬の人たちは

南相馬を愛していて、

自分の街が大好きで、

誇りを持っていた。

 

すごいことだと、思った。

 

すごい人たちだと、思った。

 

南相馬だから、試されるこの、試練。

 

そこに、当たり前に暮らすことを選択し、

子供を産み、育て、愛を育む。

当たり前の生活を、きちんと送ること。

そこに、子供達が、当たり前に成長していくこと。

 

 

なにも、おかしいことじゃない。

 

 

 

そんな南相馬に、惚れてしまった私は、

毎月、通うために、ボイトレのクラスを始めたのです。

東京から、家族を置いて、南相馬に行く理由として。

 

そして、一人、ひとりと、

だんだん集まってくれた生徒達。

最初は、ただの歌のレッスンだったので、

歌うだけの1時間。

 

そこに、なぜかダンスのレッスンも加わり、

お芝居の先生が通い、ついには、舞台を作り上げるまでに。

 

 

いまや、トモプロのステージを作るために、

たくさんの人たちが南相馬に向かっています。

 

言葉にならなかった悔しさを、

どうにか表現したかった。

それは、悲しみや、悔しさを表現するのではなく、

その想いを抱えてひっくり返して

 

明るく、まぶしい光にして表現したかったのです。

 

 

やってみる。

 

なにか、嫌なことがあって

なにか、文句を言うならば、

それに対して、自分の想いを、表現してみる。

 

やってみる。

 

やってみたかった、のです。

 

 

悔しかったあの想いを、

ひっくり返して、

たくさんの人に、南相馬の明るさを、たくましさを、伝えたかった。

 

そして、たくさんの人を

南相馬に連れて行きたかった。

 

 

今回の舞台は、やっと

そんな想いがカタチになろうとしています。

 

 

カタチにする。。。

 

 

南相馬の方言でいい言葉があるのです

 

「やっど、はあ〜」

 

「さあ、やるぞ」って感じかな。

 

強く言うのではなく、優しく、言ってみる。

けれど、そこには、しっかりとした意思を持って。

 

 

今回の舞台の稽古前掛け声は

「いざ!ゆめはっとへ!一致団結、やっど、はあ〜」

 

 

です。

 

 

 

さあ、今日も前進。

 

南組にも、台本が届けられました。