奇跡の1ヵ月...ご声援、ご支援、ありがとうございました!
展覧会報告と感謝
優ちゃんが以前作ったカレンダーの中の作品
■ いつか、どこかで...
展覧会終了後の西日本豪雨。子どもたちが安全に過ごすための 「こどもひろば」 を作るセーブ・ザ・チルドレンの働きを知ることができたのはReadyforで。「水没したこどもの学び場の再建」のページを見つけた時にはまだ誰も支援者がいなかったのに、その後、すごい勢いで寄付が集まっていきました。特に災害時はクラウドファンディングのシステムが機動力を持つように思えます。 いろいろな支援活動を知り、今回開催した「不登校だった猫」展も、ただその時だけのことではなく、いつか別のところで何かの役に立つかもしれないと思いつつ、この報告を書かせて頂きました。
(展覧会の取材をして下さったwebニュースの記者の方が、「昔の記事は4000字でよかったが、今の時代、長い文は好まれず、2000字にカットしないといけない。」と言っておられましたが、準備期間も含めるとあまりに沢山のことがあり、10,000字の字数制限ぎりぎりまで書きました。長文ご容赦下さい。)
大勢の笑顔があふれた展覧会最終日
■ 「展覧会」という一枚の絵
「会場にある石猫、全部ほしいと思った。」と言った女の子がいました。感想ノートより...「優さんが猫をどんな生き物と思って描いているのかが伝わってくる作品でした。」「皆さんと石鳥の撮影をした楽しい時間忘れません。この出会いに感謝!」「I really loved the stone art!」「お家の落ち着いた雰囲気と猫達ののびのびした作風がとてもマッチしていて素敵な展覧会でした。」学校に行くことを選ばない、あるいは週何日登校と自主的に決めているというお子さん、お孫さんや友人を持つ方々も来て下さいました。
桜の花が満開の中、子猫たちと猫の先生が笑顔で並んでいる絵は優ちゃんが住む町の幼稚園が廃園となる最後の時、先生と子供たちの「大切な時間」を描いたものでした。ある幼稚園の園長先生が気に入って下さり、今、その絵は園の壁に飾られています。
🌸 🌸 🌸
作品を見て頂いた後で、会場に置いてあるハープで憩いのひと時を過ごして頂くことも時々ありました。後で「恵理子さんが弾いて下さったハープ、正直に言いますが、本当に癒されました。何かがふっきれて、違います...あの感覚は何でしょう。」とメールを下さった方がいました。またある大学院生は、「ハープが始まった途端、この部屋の空気が全く変わった。」と言っていました。もちろん私の技量ではなく(十分自覚しています!笑)、素晴らしい楽器のおかげ。多くの方にご自分で弾く体験もして頂きましたが、皆さん、音の優しさに驚かれていました。
初めてとのことでしたが、とても上手に弾かれていました。
会場に来て下さった方々はじっくりと作品を見て下さり、お一人お一人がまるでジグソーパズルのピースのように組み合わさって、皆さんが「展覧会」という一枚の絵、他のどこにもない絵、そして二度とない絵を作って下さったのだと思っています。
■ 偶然ではなく
展覧会をやりたいと思ったのは、1年程前のことですが、話を始めたのは昨年の12月。そしてハープの学びの卒業式後、ようやく本格的に企画を進めることができました。通常、画廊での個展会期は1週間が普通で、私も初めはそのように考えていたのですが、ある日読んでいた本の6章に「30日間」という文字があって、なるほど!と思いました。(冗談みたいですが、本当です。)短期間にまとまって来て頂くより、ゆったりと鑑賞して頂き、お話できるほうがいい。実際、6月の長期開催は大正解でした。
そして会場探し。初めは行きやすい公共施設がいいと思って、調べてみましたが、どこもざわついていて落ち着けないし、1ヵ月借りられるところは近くにありませんでした。
小金井にある私の家は2年間空き家だったところ。一番心配だったのが、水道。3月の寒波で水道管が凍結、穴が開いてしまって漏水したことがあり、その修理をしなければいけませんでした。水道元栓を開けると割れたところから水が噴き出すので、とりあえず、強力テープで巻く仮補修を業者さんにして頂きました。地下の水道管も古く、ダメージがある可能性が高い。修理費は高額と言われていたのですが、とにかく静かなところでやりたかったこと、今、住んでいる我が家の近くにあるので移動が便利であること、1ヵ月という会期だけでなく、その前からの準備もできること、当然ながら無料であることから、ここ以外選択肢はありませんでした。
漆喰壁の補修、また、壁のくり抜き(小品やお花を飾るための壁龕作り)は
次男がドイツに旅立つ前に手伝ってくれました。
正面の水彩画 「大切な時間」は今、武蔵野市 聖泉幼稚園の壁に
掛けられています。お花はお隣の方からのプレゼント。
■ ボロボロなところが懐かしい思い出
クラウドファンディングにもトライしようと決め、レディーフォーに申し込み。会場整備費を予算に入れていいのか、担当の方に伺うと、「会場にするために必要なことですから、可能です。」とのことでした。法務審査も通り、公開決定。でも、結局1ヵ月間、ずっと仮補修のまま。毎日、元栓を開けて、水を使い、帰る時には必ず閉めて帰ったのですが、いつ補修テープが破れて水が噴き出すか...と、ハラハラしていました。(会期中はお客様のために水道は使いましたが、会期前の準備期間、ボランティアの方々は水道なしで我慢。とんでもない状況でよくぞ頑張って下さいました!) 家の小舞壁が崩れていたところも補修したかったのですが、板で下の崩れたところを覆い、なんとかしました。
6月初めは寒い日もあって、優ちゃんは凍えた手を電球で温めて、絵を描くことも。翌日は電気ストーブを運びました。しかし、その後は過ごしやすい日が続き、最後の2日のみ暑くなって冷房使用。天候もほぼ守られ、助かりました。
■ 展覧会の顔作り
玄関ドアの塗装も課題でした。優ちゃんに会場内の一室の壁や玄関ドアに猫の絵を描いてもらうということは私の企画としてずっと頭にありました。展覧会の「顔」になると思ったからです。会の後は消去するかもしれず、一時的な制作とはいえ、「顔」なのですからしっかりしたものをと、下地のためにシーラー、漆喰等を購入。内部の壁は知り合いの男の子達がボランティアで塗ってくれました。さすがにドアの塗装はプロに塗装して頂く必要があり、ある会社に、(つるつるした上では絵の具が乗りにくいので)つや消しで、また、(白い猫を描くために映える下地として)紺色のペンキでと希望を述べ、見積もりを依頼しました。その会社の社長、Iさんは多忙な中、お疲れだったと思いますが、長いメールでご自分の意見を書いて下さいました。しかも、夜中の3時送信。(私も3時過ぎに返信しましたが。笑) とても真摯な姿勢が伝わる文でした。本当は塗装して頂きたかったのですが、優ちゃんは壁の絵だけで精一杯。ドアまでは無理でした。
家全体を展覧会にしたいという思いで始めたのですが、多くの方が「古い家と作品がすごく合っている。」「ほっとさせられる。」と感想を述べて下さいました。私自身、ある日、疲れた状態で家に入った瞬間、「ここ、何か違う!」と感じたことがありました。無垢の柱と漆喰壁がいいのでしょうか。身体の余分な緊張が一瞬ですっと落ちたかのようでした。(その日だけのことだったので、気のせいなのかもしれませんが。)いずれにしても、作品によって家がさらに生かされているように思えました。
■ 詩喜の家スタジオ?
過日、都内で他の作家たちの猫アートを見る機会がありましたが、クラフト群は「う~ん。」という感じ。(入場料までとっていた大きな展覧会なのに。)優ちゃんの作品の方がいい。(身内びいき?)
展覧会は想像をはるかに超えたものになり、毎日会場で起こるいろいろな出来事と出会いがすばらしくて、優ちゃんにも、「この部屋にTVカメラが置かれていたら、ドラマができるね。」と言ったほどでした。セリフの脚本はなくても、心からの言葉がいつも自然に生み出されていました。
公共施設や画廊と違い、人に知られていない、引っ込んだところにある家を会場にしたので、展覧会がどうなるか、未知数でした。普通は事前に案内葉書を沢山印刷し、広報するものですが、そんなこともせず....。でも、いつもその日にふさわしい人たちが、最高のタイミングで来て下さるのです。まるで隠れた台本があるかのようで、そこにいた私と優ちゃんにしかわからないことですが、本当にいつも驚かされていました。
展覧会で作品を見て頂き、楽しくお話し、冗談を言って大笑いしたりした後、皆で記念撮影。その撮った画像を見た時に「俺、今までで一番いい笑顔してる。」とつぶやいた学生さんがいました。
こんな特別な場所で多くの方との出会いを与えられたことがとてもうれしかったです。
■ ご両親から
優ちゃんのお父さんのお話。「優が小学3年で学校に行かなくなって1年たった時に、PTA会長に選ばれた。「子供が学校に行っていないのに親が行くなんて駄目でしょう?」って校長先生に聞いたら、「全く問題ない。」って言われて、自分だけ登校していました。」お母さんは「学校に行かないということが理解できなかった。みんなが学校に行っているときには「ご近所の目があるから外に出ないで。」と言うこともありました。優はどんなにしても学校には行けなかったんです。身体をじっと固くして動かない。結局、子供のためによかれと思っていたけど、自分の自我があるから、苦しかったんですね。だんだん、「優ができる好きなことをやらせてやろう。」と思い始めました。人にはそれぞれ、頂いた賜物というものがあるはずだから、それが生かされることが一番なんだと思います。」
13歳の時、公民館で展示した作品
■ わがままな注文(優ちゃん、絶句?)
優ちゃんの作品の中で一番大きいものは13歳の時に描いた大皿の絵付け。日本画をされていた祖父が「優の猫はいい。」と言っていたとのこと。
さて、「小さいものばかり描いている人には大きな作品を、大きな作品ばかり描いている人には小さなものを描く経験が必要。」だと、以前、ある学芸員が言っていました。ずっと人からの指示で描かされ、画風が固定化されると、つぶされてしまう危険(実際、そんな画家さん達は大勢います。)がありますが、ある程度は経験した方がいい。何か発見があるはずですし、縛りがなくなった時、自由に絵を描く勢い、そして喜びが持てる。
今回、前もって「大きな絵を描いて。」と、依頼してありました。優ちゃんが初めに描いた下描きは別の絵でしたが、「この部屋には違う絵がほしい。」とお願いしました。すごいわがまま。その後も容赦なく、「楕円形の枠で、ツタがほしい。」「目を開けている猫が必要。」優ちゃんが「目は黄色に」と言えば、「青と緑の目で。」そして、「できるだけシンプルに。」「毛模様はいらない。白一色で。」という注文も。
私が習ったハープの先生がよく言っていたのは、「Less than more(より多い よりも、より少ない方がいい。)」ハープを沢山の弦で修飾して派手に弾くより、単純な音こそより美しく、より力強いのだと教えてもらいました。「シンプルに」弾くことは実は難しい。
壁に描く猫の絵は正味3日程かかったと思いますが、毎回喧々囂々。肉球はどうしても入れたいという優ちゃんに「う~ん。どんな色で?」そこでまた議論。ツタをセピアカラーにした優ちゃんの選択はよかった。少しづつできていく絵をライブでお客様達に見て頂け、FBにも投稿できました。こんな風に指示される
経験は今までなかったでしょうから、きついだろうなあと想像はしていましたが。
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もう一つ、石猫の後ろに書く言葉も今回のため、私が決めさせてもらいました。人それぞれ、やり方は違ってもいい。しかし、来場して下さった、ある社長さんは「いい仕事をする。それがまず大事。」と、おっしゃっておられました。「いい仕事の裏にある心を見て下さる方がいるから。」
優ちゃんにしかできない使命があるということは優ちゃん自身が知っているはず。展覧会も終わり、これからは制限なく、自分が確信しているビジョンに向かって思いっきり飛躍していけることでしょう。
■ 大丈夫? 苦難は続く...
当初は初めの1週間だけ優ちゃんが東京に来て会場に詰めるという予定でした。我が家は小さいのですが、連泊客が頻繁にある家。部屋が開いていない場合、優ちゃんには近くの宿泊施設に泊まってもらうつもりでいました。でも6月は友人の宿泊が1週間と優ちゃんのご両親の1泊のみ。結局、優ちゃんには我が家に泊まってもらいました。今まで2週間程家から離れた経験はあったそうですが、家族や猫達から離れ、つらかったことと思います。作品搬入時の長旅の疲れ、それから続いた新しい環境のせいもあったのでしょう。ある日、「何だか体調がよくない。」とのことだったので、「浜松に帰って、行きつけの病院で見てもらった方がいい。」と、勧めました。
「ここに残りたい」と本人。お母さんからも、「大丈夫ですから、いさせてやって。」と言われたのですが、身体のことですから、心配しました。結局、慣れていくうちに身体もよくなり、本人曰く、「自分の家よりも体調がいい。腕の麻痺も治ってきた。ここの食事とお風呂のおかげだと思う。」とのこと。(うちは地下水(硬水)を使っています。そのせいなのかわかりませんが。)
2階にて アジアからの留学生と
■ ここで何をすべき?
滞在が延長となり、残すところあと1週間となった時にも「もう帰った方がいい。」と言いました。「ここにいる意味は何なのか、よく考えてみて。」 展覧会の前、優ちゃんにどんなことを希望しているのか、そのビジョンを確かめていました。もう一度、「ここで何をすべきなのか」をしっかりと確認してもらいたかった。
「本気」という有名な詩を皆さんご存知だと思います。
本気ですればたいていな事はできる
本気ですればなんでも面白い
本気でしているとたれか(誰か)が助けてくれる
でも、誰かが助けてくれる時はどうしたらいいのでしょうか。応援してくれる人たちがいるなら、さらに本気でやっていく。楽しさは後からでも生まれてくるはず。
■ 出会った「本気な人たち」はすごく元気だった
「名前も出していいですよ」と言ってくれた、ある20代の青年は「うちは大変な家だった。僕は高校生でぐれてバイク乗り回し、やんちゃなことしてました。でも、20年間もアル中だった父が立ち直ったんです。すごいかっこいいって思った。それで自分は変われた。母がずっと陰で祈っていたおかげです。」と話してくれました。 黄斑変性症で目が不自由になられたという婦人は「でも、それがよかったの。」と言っておられました。「駅に行っても知らない人たちが、さっと助けてくれる。そんな親切を受けられるって今までの人生では知らなかった。だから見えなくなったことは感謝なのよ。」「写真も掲載していいわよ!」本気でパワフルな方々でした。
展覧会は何の問題もなく、順風満帆だったわけではありません。それでも日々、進んでいけたのは自分たちの力でできたことではありませんでした。
優ちゃんは全期間会場に詰めました。よくがんばったと思います。「何のためにここにいるの?」なんていう優しくない人(もちろん、私のことです)のところでよく耐えました。ご家族(もちろん、お兄さん、妹さんも)の背後の応援(どんなに力強かったことか)、ありがとうございました。
1ヶ月ぶりにご両親と 7月1日
■ 展覧会に与えられたもの(その1)
Jさんが下さった大量のカンパン、会場でおなかがすいた時に頂きましたが、甘すぎず、とても助かりました。また、お隣の家の方はお庭で育てておられるお花を会期中、何回も下さったので、会場に飾らせて頂きました。
頂いたホタルブクロを優ちゃんが描き、それを印刷して、お礼のメッセージを二人で書いて、お届けしました。
■ 展覧会に与えられたもの(その2)
展覧会前、少なくともテーブルと椅子が必要だと気づきました。会場に来て下さったお客様にお茶を出したいし、休んで頂く椅子があったら助かるはず。広くはないダイニングの部屋には「伸縮可能なテーブル」が欲しい。小さくすればハープを弾く時にスペースができる。そんな風に思っていたら、ある日、伸縮可能なテーブルと椅子4脚が「来ました!」(しかも我が家のものより上等。)椅子の腰掛部分のところは少し汚れていましたが、部屋に合う緑灰色に塗り直し。もちろん誰にも「こんなものが欲しい」などとは言っていませんでした。中古だけど素敵なテーブルセット、収納家具も与えられ、ある大学生は「なんで恵理子さんにだけそんなにいいことがあるの?」とびっくりしていました。(いえいえ、あなたにもあります!)
あるご夫妻はハープ音楽プレゼントの後、朗々とすてきな歌を歌って下さいました。
■ 展覧会に与えられたもの(その3)
会場の和室に絵を置くためのイーゼル、この古びた家にはレトロなものがほしいと思っていたら、ある日、たまたま寄ったバザーにそれがありました。出品したのは私の知り合いで、その人のお父様(台湾の人間国宝であった画家)が使っていたもの。買いますと言ったら100円で売ってくれました。EUZOEA 社から寄付して頂いたオリーブオイルは(Thank you, Mr.Platakis!) 展覧会に協力して下さった方々へ。
準備段階から大きな犠牲を払って助けて下さったS家の皆さんとお祖母様、テーブル組立、掃除を大車輪で手伝ってくれたSちゃん、剪定してくれたEちゃん、すばらしいアドバイスをして下さったSご夫妻、M君、Kご夫妻、そして渥美家にお渡ししました。残りは子供達とお年寄りのためのボランティア支援に使わせて頂く予定です。
沢山の宝物のようなものが与えられました。でも、それら、「もの」ではなくて、こんなに恵まれているということを教えられることが私にとって大きな励ましでした。
■ 皆さんが後押し
優ちゃんとはSNS等でつながっていたけれど、会うのは初めてという人たちも来て下さいました。(素敵な若い人達で、感性や情報力、強い発信力を持っていて、私が知らない世界を教えてもらい、とても勉強になりました。)
会期中のある日曜日、三鷹駅近くでやっていたイベントに立ち寄ったら、なんと、そこにおられたお二人がReadyforで支援して下さった方とわかり、驚愕。 「石猫は猫好きにはたまらないですよ。頑張って下さい。」とのこと。
いろいろな方々が私たちが知らないところで支援のクリックを押して下さっていました。(成立するまでは、正直なところ、どきどきでした。)そして、目標超えの169%。
優ちゃんは展覧会で「何か変わること」を希望していました。新着情報にも書いたことですが、最終日の会場に到着し、1ヵ月ぶりに会ったお母さんの感想は 「すごく違って見えた。優が生き生きしていて、自信が付いたみたい。一皮むけた感じ。」
■ どうして「大丈夫」なのか?
私は昔、友人から「きっと大丈夫だよ。」と言われた時、「その根拠は?」と反発してしまったことがありました。理詰めで考えると「100%の大丈夫」なんてこの世に存在しないのでは? でも「大丈夫だよ。」と言ってくれるその気持ちに、私は感謝が足りなかった。「駄目かも。」と言われ続けたら、自信のない足取りとなってしまいます。誰かがが「あなたは大丈夫」と言い続けてくれるなら、安心して進んでいけるし、たとえ失敗しようが、「万事は益となる」のだから、よかったと言えるのだと思います。
完成した絵。ハープの音がきれいに響く部屋。猫たちが聞いてくれているかのよう。
(Mさん、写真ありがとうございました。)
会期中、ロシア大使館へのビザ申請などが必要で、私は3日会場には行けませんでした。ロシア行きは前から決めてありました。レンブラント「放蕩息子の帰還」には不可解なところがあるのですが、昨年その謎を解く鍵を発見(したと思っています)。ロシアやオランダなどを廻って調べ、研究レポートを書くため、7月末に出発します。
レンブラント作「放蕩息子の帰還」
エルミタージュ美術館(サンクトペテルブルグ)
Wikimedia Commons
■ 最後に... 「やっぱり大丈夫!」
「でも、大丈夫!」というメッセージが大事だと考え、それをタイトルにして始めた展覧会ですが、私自身が「何とかなる。何とかして頂ける。」ということを実感させらました。
「大丈夫」は大事な言葉。でも、思い込みと確信とは何かが違う。その何かがレンブラントの作品の中にあるように思うのです。この絵は「家を離れた息子が父のもとに帰る」という聖書の中の有名な例え話を描いているのですが、人はこの息子のように帰るべきところを必要としている。そしてそれは心から安心できるところなのでしょう。そこで十分に憩い、安らぐことで、また新たに出かけていく力も勇気も持てるはず。
慌てないで、ありのままで。
「大丈夫だから。」
今回、私自身は山ほどの反省があります。自分の至らなさにあきれることも多々ありましたが、東京で初めての展覧会、トライしたクラウドファンディング...同時並行で走り続ける中、皆様のご協力、ご支援にどんなに励まされたことかわかりません。そして....奇跡のようなすばらしい日々が与えられました。
本当に感謝でいっぱいです.
■ 会計
渥美家に リターンの作品代+支援者の方々へ送る送料 107,800円
交通費(搬入搬出) 32,823円
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会場整備 備品 水道管仮補修 29,450円
会場 電気、電球、電池、水道代 13,095円
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Readyfor手数料他 37,362円
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「西日本豪雨 こどもたちのための緊急支援」、
「水没した子供の学び場支援」、
子供支援基金準備へ (補填を加えて寄付) 12,000円
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主人は学会出席で南米とヨーロッパを移動中ですが、気候がずいぶん不安定(イギリスでは大変な渇水) だと言っていました。人間にも猫ちゃん達にとっても、地球が住みやすい、平和な世界でありますように。
小乃恵理子
■優ちゃんより
「とても心に響く報告書でした。読んでいて、いろいろなことが鮮やかに思い出され、思い出し笑いをしたり、心が温かくなったりしました。」「今回この素晴らしい機会を与えてくださった恵理子さん、本当にありがとうございました。 私のダメな所も 嫌な顔せず笑顔で全面的に支えて下さって、時には厳しく指導してくださり、優しさと温かさを頂きました。感謝し尽くせません。 渥美優 」