支援総額
目標金額 870,000円
- 支援者
- 90人
- 募集終了日
- 2015年3月19日
【まもなく達成率80%】あの夏、私はガザにいた③
みなさん、こんにちは。パレスチナ・アマルの北村です。
この挑戦も残すところ「20日」。達成率「77%」、「72人」のサポーターのみなさまから、「675,000円」のご支援をいただいております。ありがとうございます。
さて、本日はガザ日記のつづきをお話しいたします。
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私のオフィスには、あるパレスチナの少年の写真が高く貼られています。
彼の名はモハメッド。ガザで滞在させて頂いた一家の親せきで、まだ15歳でした。
モハメッドは私がガザを訪れる半年前にイスラエル兵に殺されたそうです。イスラエルの入植地に石を投げようとした、ということで。15歳の少年の投じる石に対して、イスラエルは実弾で応じました。胸を撃ち抜かれ、モハメッドは亡くなりました。
モハメッドがなぜ石を投げようとしたのか。彼の友人もまた、イスラエル兵に殺されたのだそうでした。モハメッドは投石に行く前、弟たちに「両親を頼む」と言い残したそうです。
病院に運び込まれてから、命が絶えるまでをずっとビデオに撮られていました。私が彼の家を訪れた時、ご家族がそれを見せてくれたのですが、まだ幼いモハメッドの弟妹たちも、じっと見入っていました。
包帯で巻かれた体からまるで生気が失われ、
パレスチナの旗に身をくるまれ、担架に乗せられ墓場に向かう。
街の人々、そしてモハメッドの母親が崩れ落ちるようにして悲しみにくれる。
私はいたたまれなくなりました。まだ幼い子供たちに、こんな辛いビデオを見せてはいけない! と思う一方で、それが彼らの置かれた日常でした。
(写真の裏に父親が書いたメッセージ)
モハメッドの父親の憂いを秘めた暗い目を忘れることができません。
「なあ、キヨミ。この子は家族の大切な長男だったんだ。私たちはとてつもない苦痛を味わっている。このことを、日本人に伝えてくれ」
そう言われ、あずかった写真でした。
しかし、その時あずけられたものは、写真だけではありませんでした。
その重さに私は耐え切れず、私はアマルを立ち上げるまでこの写真を書棚の奥から出すことができずにいました。けれども今は、彼らの思いに応えられるようオフィスに掲げ、アマルの活動を行っています。(つづく)
(ファラフェル屋さんの店先に貼られたシャヒード<殉教者>たちの写真@ガザ 2001)
パレスチナに唯一残る工場で紡がれる最後の織物の物語を伝えたい。
パレスチナ人のアイデンティティーの象徴であるラスト・カフィーヤを護るためのプロジェクト。最後まで応援よろしくお願いいたします。
リターン
3,000円
■みなさまからのご支援で完成させるブランドブック(非売品。A5サイズ・約16ページを予定)
■現地の写真家が撮影した写真で作るサンクスカード
■アマル通信(報告書)
- 支援者
- 52人
- 在庫数
- 制限なし
10,000円
3,000円の引換券に加えて、
■現地の女性たちが作ったパレスチナ刺繍の小物製品
*色やデザインはこちらで選ばさせて頂きます。お楽しみに。
- 支援者
- 26人
- 在庫数
- 74
20,000円
3,000円の引換券に加えて、
■パレスチナ写真集「PALESTINE -CHILDREN OF BIL'IN-」
*流通などの問題により、他のパレスチナにちなんだ本になることもございます。予めご了承下さいませ。
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 8
30,000円
3,000円の引換券に加えて、
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
*色柄はこちらで選ばさせていただきます。お楽しみに。
- 支援者
- 10人
- 在庫数
- 20
50,000円
3,000円の引換券に加えて、
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
色柄についてはプロジェクト成立後メールにてご相談させてください
- 支援者
- 2人
- 在庫数
- 13
100,000円
3,000円の引換券に加えて、
■白×黒のパレスチナオリジナル「ラスト・カフィーヤ」1枚
■カラーの「ラスト・カフィーヤ」1枚
色柄についてはプロジェクト成立後メールにてご相談させてください
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 4