こんにちは。EDAYA JOURNEYプロジェクト代表の山下彩香です。

現時点、残り17日で18名からのご支援をいただきました。

 

 

達成率で考えると8%とまだまだですが、これまで応援くださった方々の応援コメントをばねに、あきらめずに頑張ります。どうぞ応援よろしくお願いいたします。

 

 

さて、以前の記事でも書かせていただきましたが、「なぜ日本の昔ながらの文化だって廃れつつあるのに、フィリピンの山奥の文化が失われつつあるのを応援しなくてはいけないんだ?」というのは、皆さん疑問に思われるところで、その疑問は当然のことだと思います。

 

 

はじめに言うと、私は日本の文化も本当に大好きで、日本人であることを誇りに思い、失われつつある文化も、何とかして次の世代まで残っていってほしい、そう心から思っています。ただ、自分の役割が日本にとどまり、日本で活動していくことなのか?というと、それはまた違う気がしています。

 

 

どの時代をみても、その国に残る人もいれば、外に出ていく人もいて、あるいは一度外に出たけれど、戻ってくる人もいました。きっと、そんな大きな人の流れのダイナミクスの中で、様々な文化生まれ、、また洗練され、今の形になってきたのでしょう。だから、文化を次の世代まで継承する、といった時、必ずしも、すべての人がその村、その国にとどまる必要はないと思っています。どんな場所に生きていても、その民族であることの誇りと、精神性をもち、それぞれの立場から、自分たちの文化の継承へ貢献して行くことができれば、よいと思うのです。

 

 

でも、私がこういえるのは、1つには、日本の場合は、私が安心して外に出ていけるくらい、日本の中で頑張ろう!という人たちがいるからです。だから、私は外へ出て、そこで日本人の精神性を持って、それがあるが故の精密な仕事のパフォーマンスをして、外国の人々に日本人のあり方を示すことで、外から日本の文化を形作るのに貢献することができます。

 

 

一方で、私が対象とするカリンガの現状は、というと、体こそ、その村にあっても、意思が、魂がそちらを向いていないのです。日本もかつてそうであったように、発展の真っただ中にあると、どうしても、自分たちの持っているものではなくて、外のものがよく見えるわけで、憧れが自分たちのアイデンティティとしての精神性を上回ってしまっているのです。

 

 

 

私が日本人はすごいなぁと思うのが、外に出ていく人であれ、残る人であれ、ほぼ共通の精神性を持っていることです。無駄を省き、そぎ落とすことに美しさを見出す感覚、かといえば一見無駄に見える所作に風情を感じる感覚、あるいは、はかなさに艶を感じる心、そんなものを日本人であれば少なからず持っていると思います。でもそれは、そういった精神性を、言語化した状態で国語や歴史の授業を通して教育されてきたことも大きく影響していると思います。

 

 

カリンガで悲しいな、と思うのはそこなのです。教科書では、主にマニラ圏の人々の歴史を学び、自分たちの精神性を言語化したような書物もありません。言語化されていないから、わかりにくい、だから伝わりにくい、だからそれらは、「美」「冨」「権力」といったわかりやすい概念に簡単に乗っ取られる。だけれど、もしかすると、精神性を言語化する、ということも、日本人という民族だったからこそ、その中から生まれてきたのかもしれず、本来であれば、言語化されないでも、人から人へその民族としての魂を受け継いでいくことができれば、問題ないわけです。

 

 

ということを考えると、私がこのプロジェクトで行おうとしていることというのは、まさにその最後の文章にあるように「人から人へ受け継いでいく」ということで、具体的にはカリンガ族の長老から子供たちへ、民族の精神性を教え、体感する機会を作ってあげるということなのだと思います。植えた種に花が咲くかは、これはまた、私がどうこういうことができるものでもありませんが、少なくとも、彼らに「美」「冨」「権力」以外の価値観の種を共有したことにはなるはずです。

 

 

私は、こういった行為は、私が日本人でこの時代に生まれたからこそ、できていることなのだと考えています。繊細な精神性をもつ民族に生まれ、その美しさを学ぶことができるだけの教育の恩恵を享受することができて、一時は日本も見失いかけた「美」「冨」「権力」の外にある価値観を全力で守ろうとする人がいる時代に生まれて。だからこそ、外に出て、ほかの国が手遅れにならないように、こうして活動することができる。私はそんな風に考えています。

 

 

残り17日となりましたが、少しでも賛同してくださる方が増えますように。

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