世界的な視覚障害者の会議にフィリピン代表で参加してくる人たちは、英語も流暢で高等教育まで受けており、パソコンを使いこなします。しかし、そんな彼らは恵まれた環境に育った、ごく僅かな人々に過ぎません。 この記事では、そのような世界会議にはけっして姿を見せない、私(石田)が現地で出会った視覚障害者たちを紹介したいと思います。

 

アレックスとマイエット。私が初めてこの2人に出会ったのは、2011年夏、アレックスが20歳、マイエットが17歳の時でした。

 

2人とも、ある地方の高校2年生として在学していました。フィリピン人は、家に人を招くのが好きです。なので彼らにも、「今夜は僕の家に泊まりに来て」「じゃあ、明日は私の家ね」と招かれたのです。 アレックスの家を訪れた私は愕然としました。 彼は、ある中流家庭の家の裏庭にある、豚小屋の2階に住んでいたのです。

 

家の中には食卓とベッド、そして壊れているのか蛇口を最後まで閉めても完全には水が止まらない水道、それくらいしかありません。料理は外で火を起こしてするようですし、バスルームは裏庭にあります。そして、豚小屋の2階なので、とにかくハエがすごいです。 私はそれまでにも、スラムにホームステイして、 コンクリートの床の上にダンボール1枚で眠ったりなどには慣れていましたが、そんな私でも、アレックスの家には1泊以上は住めないと、朝になるのを待ち焦がれました。

 

なぜこんな暮らしをしているのか、アレックスはたどたどしい英語で話してくれました。

 

彼は16歳まで健常者だったと言います。そこから視力が急激に落ち、2度の手術をしたものの、18歳で全盲になった時、家族から見放されたそうです。唯一の理解者が、5歳下の従妹で、現在その子と共に暮らしているとか。夕方になると、学校が終わった親戚の男の子たちが数人訪ねてきて、家事を手伝ったりしてくれることもあります。

 

ですが、アレックスの家族は、けっして彼を訪ねては来ません。いっしょに暮している従妹は働いているそうです。15歳の年齢で、家賃と二人分の生活費を稼げる仕事…、私はあえて彼女に何の仕事をしているのかは聞かずにおきました。

 

 

 

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