こんにちは!FUKUSHIMAいのちの水スタッフの平栗です。

皆様のあたたかいご支援に支えられ、励まされ、プロジェクト達成に向け進んでいます。ありがとうございます!

 

今回より、『メッセージリレー』をスタートします✿

FUKUSHIMAいのちの水を支えて下さっている、多くの方々の声を通し、いのちの水の軌跡とシリア難民支援に対する思いをお届けします。

 

第1回目は、FUKUSHIMAいのちの水代表理事の坪井サンタさんです!

思いがあふれるメッセージ。

数回に分けてお伝えしようと思います。

 

MESSAGE RERAY #1

 

代表のサンタです。

昔はツボイと言ったのですが、2011の原発事故後、サンタという名前になりました。

その物語をお話しします。--

 

2011年3月11日、私は東京の中野駅のホームにいました。突然の揺れに立っていることが出来ませんでした。それがあの東北大震災の地震だったのです。

福島県の郡山まで帰るのに、結局三日かかりました。やっとたどり着いた家のテレビには、爆発する原発の画面が流れていましたが、阿武隈山脈を越えて60㎞離れた原発から、放射能が自分の住む郡山まで届くとは思いもよらなかったのです。

 

 

2011年4月 海外からの支援物資(ミネラルウォーター)の荷卸し作業
2011年4月 海外からの支援物資(ミネラルウォーター)の荷卸し作業。

   

 

2、3か月経ってようやく、自分が放射能の被災者だと分かりました。私は年寄りだからいいが、子供達は、・・・・気づくと、周囲から子供の声が消えていたのです。子供の声の聞こえない世界、それは恐ろしい世界でした。

 

 2011年当初は、仙台、いわき市、福島市、飯館村などにトラックで水を運んで届けました。幼稚園に届けた時の様子。

 

 

何とかしなければならない、国が何も出来ないのなら、自分達で子供達を守らなければならない。何をしたらいいのかを教えてくれる人もいない中で、ともかく水を配ろうと、ひたすらに水を配り続けました。気がつけば760万本/500ml、3800㌧になっていました。

 

サンタハウス倉庫前。2017年現在、毎月約2000名の妊産婦、児童、生活弱者への水、飲食品無償配布が継続されています。

 

2015年、放射能問題に対する国内の支援は難しくなり、アメリカに支援を求めて渡った時、一人のシリア人の婦人に出会いました。彼女が見せたシリアの子供達の写真、彼女が流した涙が私に決意させました。シリアの子供達を助けようと。彼女の涙を見た時に、私は:福島の母親達の涙を思い出しました。同じ涙だ、と思ったのです。あまりにも理不尽な出来事が、子供達の命を奪おうとしている。これもあれも助けなければならない。FBでの発信に1か月で10万のアクセスあり、衣類は40フィートコンテナ5台分位集まってきました。

 

毎日、宅急便で50箱~100箱送られてきました。倉庫はあっという間にいっぱいです。毎日仕分け作業が続きました。

 

2016年4月、1回目のシリア難民支援物資、40フィートコンテナ1台2万着の衣類、20フィートコンテナ2台4万食の食料をシリア隣国のNGO経由で無事送ることができました。

 

次回へ続きます・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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