
支援総額
目標金額 3,500,000円
- 支援者
- 176人
- 募集終了日
- 2024年5月5日

恵心僧都源信誕生院阿日寺(ぽっくり寺)山門再建プロジェクト

#地域文化
- 現在
- 1,245,000円
- 支援者
- 110人
- 残り
- 3日

800年の時を超えて、明恵上人の心を未来へ。内﨑山遺跡が存続危機。

#地域文化
- 現在
- 2,350,000円
- 支援者
- 96人
- 残り
- 31日

弘法大師空海が祈った北斗七星巡礼地、星塚参道整備へご支援を|観心寺
#観光
- 現在
- 13,180,000円
- 支援者
- 188人
- 残り
- 28日

平家物語ゆかりの寺|京都東山 長楽寺|茶室「折々庵」修繕にご支援を

#地域文化
- 現在
- 6,305,000円
- 支援者
- 239人
- 残り
- 3日

令和6年豪雨で倒壊した山形県酒田市 御瀧神社|修繕と復興にご支援を
#地域文化
- 現在
- 16,355,000円
- 支援者
- 508人
- 残り
- 3日

心華寺金港辯財天|不滅の法灯を後世に。観音堂改修で「法灯堂」建立へ
#地域文化
- 現在
- 4,435,000円
- 支援者
- 104人
- 残り
- 3日
プロジェクト本文
終了報告を読む
第一目標達成の御礼とネクストゴールについて
皆様の温かいご支援のお陰で、目標の350万円に到達することができました。本当にありがとうございます。
お陰さまで、4点の寺宝修復資を賄うことができます。これで本年秀次公と御一族の430回忌記念・京都国立博物館の特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」を晴れて開催することができます。深く感謝申し上げます。
5月5日の終了までまだ募集期間が残っておりますので、皆様の温かい応援と励ましのお言葉をこれからの活動のエネルギーとして次の目標ネクストゴールを500万円と設定させていただき、秀次公とご一族のことを広く知っていただく機会といたします。今後いただいたご支援は、寺宝のアーカイブを残し図録・写真集を制作するための費用として活用させていただきたいと思います。
秀次公と御一族の悲劇の歴史を未来へ伝えるため、どうか変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。
瑞泉寺 住職 中川学
(2024年3月27日追記)
<実行者 中川 学(なかがわ がく)について>
瑞泉寺 住職を務める傍ら、イラストレーターとしてさまざまな作品を制作しております。今回のクラウドファンディングにも、私の作品を用いた返礼品を多数設定させていただいておりますので、ぜひご興味のある方はご支援いただき、これを機に瑞泉寺にもご興味を持っていただければ幸いでございます。
プロフィール
1966年生まれ。浄土宗西山禅林寺派僧侶。京都・瑞泉寺で住職をしながらイラストレーターの二足のわらじを履いている。デジタル手法で描き出される和洋を問わない様々なモチーフは、2005年ドイツの美術出版社TASCHN発行の世界で注目されるイラストレーターを紹介した書籍「ILLUSTRATION NOW」に選ばれ、また2007年よりロンドン発のトレンド雑誌『MONOCLE』の挿画・表紙画を手がけるなど海外からも高い評価を得ている。現在は時代小説の装丁画や絵本など日本文化に根ざした仕事に力を入れている。
『繪草子 龍潭譚』(自費出版)と『絵本 化鳥』(国書刊行会)は共にアジアデザイン賞受賞、朱日記(国書刊行会)、『榲桲に目鼻のつく話』(エディシオン・トレヴィル、河出書房)は特装版(エディシオン・トレヴィル)がindigo Design Award 2020 Book Design部門GOLD賞・第54回造本装幀コンクール「出版文化産業振興財団賞」受賞。
主な小説挿絵/橘花抄(葉室麟著 週刊新潮2009-2010)、とっぴんぱらりの風太郎(万城目学著 週刊文春2011-2013)、尼子姫十勇士(諸田玲子 サンデー毎日2017-2018) 織部の妻(諸田玲子 京都新聞2023 )
主な絵本/『絵本 化鳥』『朱日記』『絵本 龍潭譚』(国書刊行会)、『榲桲に目鼻のつく話』(河出書房新社)、『だいぶつさま おまつりですよ』、『だいぶつさまのうんどうかい』『おいなりさん』『絵本法然上人ものがたり そのとき門はひらかれた』(共にアリス館)、『やまびと(えほん遠野物語)』『世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ』(共に汐文社)、など多数。
ページをご覧いただきありがとうございます。慈舟山瑞泉寺です。
京都瑞泉寺は、今から430年前に京の三条河原で起きた悲劇を伝えるお寺です。この出来事を語らずに、瑞泉寺のこと、そして本プロジェクトのことは語れないと思いますので、まずは何があったのかからお話しさせてください。
文禄4年(1595年)8月2日の昼下がり、鴨川の河原に晒された関白豊臣秀次公の首を前に、秀次公の一族、すなわち4人の若君と1人の姫君、そして側室として仕えた若く美しい女性たち34人が次々と引き出され処刑されました。その時、鴨川の流れは彼女たちの鮮血によって朱に染まったと「瑞泉寺縁起」には書かれています。
この悲劇は、豊臣秀吉という長い戦国の世を平定した一代の英雄により引き起こされました。実子に恵まれなかった秀吉は次世代の後継者として甥の秀次公に二代目関白(時の総理大臣)を譲ります。これが悲劇の始まりです。
秀次公は、幼少時から叔父秀吉より何度も戦国武将の養子に出され、文武に秀でた若者に育っていました。秀次公の優秀さを伝えるエピソードとして、初めての領地として治めた滋賀県近江八幡があります。秀次公の設計で作られた近江八幡の堀割りは美しい景観を今に伝えます。また商業を奨励した政策は後に近代商業の先駆けと言われる近江商人をうみました。今も秀次公のことを慕い瑞泉寺に参拝される近江八幡の人はたくさんいます。また戦乱の世で地方に散らばった古典の収集に励み、源氏物語を好み、千利休の7人の弟子の1人にも数えられる茶人として名を馳せ、連歌にも秀で能の注釈書を作るなど、文化を愛する武家の若者として、時の天皇や公家たちにも慕われていました。
秀次公は、豊臣家の実質の後継者であり次の天下人でありました。秀次公を慕う地方の武将や豪族たちは、次世代の安寧を託し姫たちを秀次公に嫁がせました。こうして秀次公のもとに34人の側室が置かれたのです。彼女たちは京の都の巨大な城・聚楽第(じゅらくてい)で何不自由なく暮らしていました。
その秀次公と側室たちを急に不幸が襲います。もう子どもができないと思われていた秀吉に実子が生まれてしまうのです。やはり実の子に天下を継がせたいと思ったのでしょうか、そこから秀次公は秀吉に急激に疎まれ始めます。巷には秀次公の悪い噂が流され、ついには秀吉から一方的に関白職を奪われ、高野山に蟄居、挙句に切腹を命ぜられます。天下人・秀吉の暴走を止められる者は誰もいませんでした。秀次公27才。未来のある若者が命を断たれました。
さらなる悲劇が起こります。昨日まで栄華のうちに暮らしていた側室たちは、ある日突然亀岡の城に幽閉され、秀次公の死の宣告と共に罪人として牛の引く大八車に乗せられ、市中を引きまわされた上で三条の河原の大きな中洲に引き摺り出され、白昼、公開処刑されたのです。
瑞泉寺の縁起には、処刑の後のことが描かれています。鴨川の河原に大きな穴が掘られ、斬られると同時に遺体はその中に放り込まれました。その上にはピラミッドのような大きな塚が築かれ、頂上には秀次公の首を納めた「石の首びつ」が安置されました。三条大橋を行き来する旅人たちは必ずこの塚を見たことと思います。
河原に作られた塚は鴨川の氾濫を受けるうちに土山のようになります。そして事件から16年後、京の都は新たな都市計画が持ち上がり、鴨川の支流の一本を運河「高瀬川」にする工事が始まりました。その工事の責任者角倉了意がこの塚を見つけて事件に思いを馳せ「この場所は人の足で踏み荒らしてはいけない。未来永劫この事件を忘れないよう、寺として整備し秀次公と御一族の菩提を弔おう」と思い立ちました。こうして建てられたのが瑞泉寺です。瑞泉寺はかつての三条河原中洲、処刑の跡地その場所にあるのです。
かつてこの地で「天下人」として権力を握った者が暴走し、罪のない若い命が多数奪われたこと。権力と欲望に囚われた人間がいかに愚かで残虐になり得るか、現代でも私たちは世界各地で目撃しています。そんな過ちをこれ以上増やさないためにも、瑞泉寺は、今から430年前この地で起きた悲劇を、未来永劫、人々に伝え続けていきます。
430年前の悲劇や、秀次公と御一族にまつわるさまざまな史実・文化を伝えていく一つの手段として、瑞泉寺の寺宝があります。
瑞泉寺は、江戸期を通して京の都の文化と水運を担った角倉家のプライベートなお寺として寄進を受けていましたので、秀次公と御一族にまつわる数々の文物と、そして桃山時代から江戸初期の貴重な文化を伝える寺宝が多数伝わっています。
中でも貴重とされるものは京都国立博物館に寄託されています。その中には、秀次公の自筆と伝わる和歌を書いた扇「伝秀次筆 和歌 扇面」そして、桃山時代から江戸初期にかけての古裂で表装した掛け軸「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」があります。
「伝秀次筆 和歌 扇面」は秀次公の直筆を伝える稀有のものであり、また扇面の形状を残したまま保存されている点で博物学的にも貴重なものです。琳派を思わせる絵柄の施された扇面に流麗な筆運びで書がしたためられています。この書を見ているだけでも秀次公の教養の高さを感じられます。この扇面、いわゆる骨の部分が残されていて、400年前の扇子がその形状を留めていること自体が非常に稀です。同時代の扇面は他にも残されてはいますが、骨から外され扇面のみが屏風などに貼られた状態での保存が普通だとのこと。当時の文物を知る貴重な文化的資料としての価値の高いものです。
そして「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」を装う古裂は、桃山時代の美しい衣装の裂(きれ)が使われています。繊細でカラフルな糸で丁寧に刺繍された部分と、「辻ヶ花」という一度は失われた染色技法で染められている部分から成り立ち、共に400年の時を経てなお色褪せも少なく美しいものです。
同じく伝わる “秀次公側室の方々の辞世の句の掛け軸” は、彼女たちが着ていた小袖の裂で表装されているとお寺では伝えられています。この3つの掛け軸の裂も、今回の修復調査で「桃山時代〜江戸初期にかけてのかなり高貴な人が身につけたものであろう」との結果が出ました。もしかしたらお寺の伝えは本当かも、との期待も高まりますが、何にせよ当時の風俗を伝える貴重なものであることは間違いありません。この「辻ヶ花」は「瑞泉寺裂」として染色工芸界に著名なもので、京都府指定文化財の認定を受けています。
高瀬川と鴨川に挟まれる京都有数の繁華街・木屋町。今や三条大橋の下の河原は、恋人たちが等間隔に座って愛を語る名所として知られています。若者たちや外国人観光客で賑わうこの場所に、実は忘れてはならない歴史があります。
瑞泉寺は創建より400年間、秀次公とご一族の菩提を弔うお寺として静かに守られてきました。その間街は賑やかに発展しましたが、いつしかビルに囲まれ時代とともに忘れられてしまいます。京都出身者でもこの場所にお寺があることを知らない人が増えたのを見て、今から30年前先代住職は危機感を感じ、境内に休憩所を設けて秀次公とご一族の資料を展示し、広く一般の人も秀次公とご一族の墓所に参拝できるように整備しました。(かといって拝観料などとらず無料で参拝いただけます)亡くなった側室たちは10代から20代の若い女性たちなので、彼女たちの気持ちを慰める季節の花が咲くように心がけ、清潔な境内を心がけています。
その結果、今では歴史好きの人がわざわざ遠方から参拝されるようになり、観光のついでにふらっと立ち寄ったカップルが展示された秀次事件の資料を何気なく眺め、やがて御一族の墓所に深く頭をたれ、手を合わせ、一礼して門を後にする姿をよく見かけるようになりました。お寺には何も仰らずに毎日参拝にくる人も多く、遠方からのリピーターも沢山いらっしゃいます。
近年は、文化や芸術を好んだ秀次公にちなんで、住職とご縁のあるアーティストや文化人・学者さんたちに、講演会やライブパフォーマンスを奉納してもらう機会を増やしています。瑞泉寺は、誰でも気楽に参拝できる心の拠り所として、また単なる観光寺院ではない歴史と文化芸術の拠点として、地域に開かれたお寺であり続けます。
さて、寺宝の修繕のことについて。明治時代の国の調査の結果、この「伝秀次筆 和歌 扇面」「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」は、秀次事件の顛末を記録した絵巻物「秀次公縁起」と秀次公御一族の辞世の句を彼女たちの着物の裂で表装したと伝わる二十幅の掛け軸「豊臣秀次姫妾和歌」などと共に、京都国立博物館に寄託されました。多く伝わる寺宝の中でも特別に貴重な日本の歴史・文化を伝える遺物として、国に認められた宝だと言えます。
これらは寄託以来京都国立博物館に納められ、明治以来公開されたことは数える程でしかなく、寺の者も実物を目にする機会がありませんでした。そんな貴重な寺宝ですが、本年、秀次公と御一族の430回忌を機に、寄託されている寺宝を中心に京都国立博物館にて特集展示「豊臣秀次と瑞泉寺」の開催が決まり、これらの寺宝を一般に公開する機会を得ることとなりました。
しかし、これら4点の寺宝は現状破損がひどく、とても展示できる状況ではありません。
「伝秀次筆 和歌 扇面」は、扇の形は残されていますが、骨が外れバラバラの状態です。このままでは部品の散逸も心配されます。また「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」は、貴重な刺繍や辻ヶ花染の古裂部分が劣化していて、早期の修繕が望まれる状態です。この秀次公とご一族の430回忌という節目の年に兼ねてから懸案だった寺宝の修繕を決意しました。
今回のプロジェクトでは、皆様からいただいたご支援金で、寺宝4点の修復を行います。
寺宝修復は京都国立博物館の指導のもと、文化財修復の専門の技術者たちによって行われます。繊細に継承された伝統的な技と素材を用いてこそ、次世代に受け継ぐに足る修繕がなされます。これには約700万円の費用がかかります。拝観料も取らない、ささやかな檀家さんに支えられる街のお寺としては、この金額はなかなかハードルが高いのが実情です。
しかしこのタイミングで劣化を食い止め、寺宝を保存できる環境を整えることで、これらを次世代に残していくことができます。経費の半分の350万円をなんとかクラウドファンデイングで集めたいのです。どうぞ皆様のお力をお貸しください。
< 目標金額 >
350万円
< 資金使途 >
寺宝修復資金及び、豊臣秀次公430回忌法要を営むための資金として使用いたします。
< 修繕スケジュール >
令和3年〜令和6年
秀次公や御一族のこと、当時の文化などを伝えていく上で、これら「伝秀次筆 和歌 扇面」「東山天皇綸旨」「後西天皇綸旨」「女房奉書」4点を修復し、正しい形で皆様に見ていただくことは、瑞泉寺の使命を全うする上でとても重要だと考えます。
この寺宝修繕と特集展示での一般公開を一つのきっかけに、瑞泉寺の存在意義を見つめ直したいと思います。そしてクラウドファンディングをすることで、従来の寺とお檀家さんだけではなく社会とのより広いコミュニケーションを模索していきたい。豊臣秀次公とご一族の悲劇を多くの人に知っていただき、瑞泉寺を次の時代に繋ぎたいという願いを込めてクラウドファンディングにチャレンジします。
ぜひ皆様のあたたかいご支援をよろしくお願いいたします。
※順不同
安田登様(能楽師 作家)
亡き人の無念を慰め、鎮める芸能、それが能楽です。京都三条大橋のたもとに佇むお寺、瑞泉寺は、430年前に起きた悲劇に連なる多くの人々の魂を慰め、鎮めて来たお寺です。道行く人々の見守る中、40名近い側室、若君、姫君が処刑され、穴に投げ込まれました。側室の方たちは最後の思いを和歌として残しましたが、その和歌が、ご自身たちが召されていた着物の布で表装され「寺宝」として残っています。能では「思いは衣に残る」と謡います。絶唱の和歌と無念の思いの残る衣の布。それが今年、京都国立博物館で展示され、そのための修復のクラウドファンディングが始まりました。ぜひ、ご協力をお願いいたします。また、私たちの一座でも、この悲劇を上演いたします。
柳家さん喬様(落語家 落語協会常任理事 紫綬褒章受賞)
後世に残して行かなくてはいけない大切なものがあります。皆様のお心が、それを傳えていくことができると思います。落語も、江戸時代からその時代の皆様に応援していただいたお陰で今も演じさせていただいております。大事な物を傳えて行く事は今の時代の方々のご支援があればこそです。ご支援よろしくお願い申し上げます。
三島邦弘様(ミシマ社 社長)
瑞泉寺なくして我が社はなし。と断言します(おいおい、あなたの会社なんて知らないよ、とお思いの方が大半でしょうが)。ただし、本や文化活動が少しでもお好きな方であれば、瑞泉寺がどれほど文化的役割を果たしているかは、ぜひ知っていただきたいです。実際、私たちの京都での出版活動の少なからぬ量が、ここで生まれています。あの本の元を辿れば、瑞泉寺でのトークイベントが起こりだった、ということも。少なくとも、「今を生きる人たちへ、同時代を生きる言葉」を届けることを一つのミッションに掲げる私たちにとって、瑞泉寺はまさに「今を生きる場」に他なりません。
玉川奈々福様(浪曲師 作家)
浪曲師の玉川奈々福です。今年は豊臣秀次公の430回忌ということで、京都国立博物館でゆかりの品の展示が行われますが、秀次公をおまつりしているのは瑞泉寺さんです。瑞泉寺さん所蔵の寺宝、秀次公ゆかりの品々の修復のためにクラウドファンディングということで、私は瑞泉寺さんにお世話になっておりますし、秀次公という方がどういう方なのか、これはもうWikipediaを見てください。秀頼公がお生まれになるまでは次代の関白と思われていたのですが、それが秀頼公が生まれたことにより、秀吉公によって殺されてしまいました。その追善の意味も含めての430回忌だと思いますので、どうか皆様、その修復の資金を応援していただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
堤邦彦様(京都精華大学名誉教授)
こんにちは。京都精華大学名誉教授の堤邦彦と申します。私は江戸時代の江戸怪談というものを研究しているものなのですが、瑞泉寺様にはいつものその辺でお世話になっております。ありがとうございます。この度、ご寺宝についてクラウドファンディングをされるということで、ぜひ応援したいと思っております。私文学の研究などをしておりますが、瑞泉寺様の伝書あるいはお持ちのご宝物については、大変興味を持っております。たとえば江戸時代の作者で上田秋成という人がおりますが、「雨月物語」という懐疑小説の中で、秀次公の幽霊に出会う話を書いております。この小説は「仏法僧」というのですが、この一番最後に、幽霊に出会ってしまった〜〜公が暫くぶりに三条の方に向かって橋の上から見えるのです。このシーンは文学的にとても面白いシーンであり、今は瑞泉寺様の絵巻物によって確認することができる、寺宝が文学の研究に非常に役に立つんだということを、私たちもよく感じるところです。近代になりまして、どうやらこのご寺宝の、宝物の絵巻物を一般に公開されていたようなのですが、その時にどうも作家の谷崎潤一郎も見に来ていたようなのです。谷崎の「聞書抄」という盲目の方を主人公にした小説があるのですが、その中にその絵巻物に合致するような内容が出てきますので、谷崎も瑞泉寺様を訪れてさまざまな物語も触発されているようです。このように、非常に重要なお寺ですので、ぜひ今回のクラウドファンディング、皆様も参加していただけたら幸いです。
万城目学様(直木賞作家)
豊臣秀次公とは、ご存じ天下人豊臣秀吉の甥であり、秀頼が誕生するまでは、後継者として秀吉にかわいがられていた御方。されど、秀頼誕生後は何かに呪われたかのように立場が悪化し、ついには一族もろとも殺されてしまいます。そんな一族の菩提を弔うのが瑞泉寺であります。そして、その住職が中川学氏。拙著『とっぴんぱらりの風太郎』『パーマネント神喜劇』のイラストを担当してくれた方でもあります。有名な肖像画に描かれた秀次公は、とにかくもみあげが立派です。「もみあげ公」と私は密かに呼んでいます。そんな秀次公の430回忌にちなんで京都国立博物館でミニ瑞泉寺寺宝展が開催されます。秀吉の理不尽な怒りを受け、露と消えた秀次一族のかなしみを今に伝える瑞泉寺さんが、このたびはじめてのクラウドファンディングを実施し、秀次公がしたためた和歌が面となっている扇などの寺宝を修復します。ぜひ、みなさまのご協力をお願いしたく存じます。
有隅健輔様(瑞泉寺 檀家総代)
瑞泉寺は古来より歴史と文化の宝庫です。“豊臣秀次と瑞泉寺”という寺宝展が、2024年6月18日から8月4日まで京都国立博物館で開催されます。ぜひ皆様この機会に瑞泉寺の歴史と宝物の魅力に触れて、素晴らしさと重要性を体験していただきたいと願っています。皆様の関心とサポートが、瑞泉寺の歴史と宝物を後世に継承していく大きな力となります。皆様のご支援を心よりお願い申し上げます。
出竿吉嗣様(瑞泉寺 檀家責任役員)
瑞泉寺は、いわれもない謀反の疑いをかけられて悲劇的な最期を遂げた、豊臣秀次公とそのご一族の菩提を弔うため、およそ400年前に建立されたお寺です。が、私にとっては、幼いころから(祖父の代から)曾祖父のお墓参りに行くたびに、いつも優しい先々代のご住職から『よう参ってくれたな。ご褒美や!』と言って、お菓子をもらえるようなお寺でした。今回、クラウドファンディングで資金を募り、京都府の指定文化財に登録されている、秀次公や駒姫様ゆかりの寺宝を、京都国立博物館様のご協力を得て修復すると聞き、われわれ檀家も是非、応援したいと思っております。次世代に、歴史的価値の高い文化財を引き継ぐための重要な取り組みです。多くの皆様のサポートによって、このプロジェクトが成功することを願っております。
三宅裕志様(瑞泉寺檀家責任役員)
今年度、秀次公の430回忌に当たり京都瑞泉寺寺宝の展示が京都国立博物館で行われることが決まりました。当寺の総代、役員一同はこの機会に寺宝の修繕をすることで、檀家さんや瑞泉寺に興味をお持ちの方、より多くの方々に見ていただき、秀次公と瑞泉寺の歴史を知ってほしい、という住職の提案に賛同いたしました。皆様のお力添えで是非ともこの企画を成功させたいと思っております。ご協力、よろしくお願いいたします。
高橋信也様(京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャー 瑞泉寺檀家)
年老いた為政者は飛んでもないことを仕出かすことがある、と歴史を専門とする友人から聞かされたことがある。庶民出身で人気のある豊臣秀吉においてさえ、である。制御不能の欲望にかられたか、全能感覚による確信がそれでも自らの判断を優先すべき、と思わせたのか?ある点では極めてアクチュアルで今日的な課題を孕んでいると思う。絢爛たる京都の歴史に張り付いている痛々しい痕跡をお守りする重要なお役目が、紅灯の巷にありながらも優美な佇まいさえ見せている瑞泉寺の奥に潜んでいる。
■高橋信也プロフィール
京都生まれ。大学卒業後、1974年、安部公房スタジオ入団。1975年、株式会社ニューアート西武入社、その後、同常務取締役。1997年より株式会社ニューアートディフュージョン(NADiff)専務取締役。この間、村上隆、蜷川実花、山口晃等、数多くのアーティストとともに様々な展示企画を行う。2003年、森ビル株式会社に転籍し、2004年森美術館開館と同時に同ジェネラルマネージャーに就任。その後、森ビル株式会社取締役、上海秀仕観光会務有限公司董事、「六本木アートナイト」事務局長等歴任。その間、各美術関連団体の理事、評議員等を歴任。大学等での講義やアートプライズ等の審査員も多数。2017年よりニューアートディフュージョン専務取締役再任。2018年より京都市京セラ美術館事業企画推進室ゼネラルマネージャーとしてリニューアル準備、および事業推進に携わる。現在「村上隆もののけ京都」展を実施している。
※プロジェクト成立後、天災等やむを得ない事情(緊急事態宣言などコロナウイルスによる影響を含む)により企画展が開催できなかった場合でも、支援金は寺宝の修繕費用及び企画展準備費用として使用させていただきますので返金はいたしかねます。ご了承ください。
※ご支援確定後の返金やキャンセルは、ご対応致しかねますので、何卒ご了承ください。
※支援完了時に「応援コメント」としていただいたメッセージは、本プロジェクトのPRのために利用させていただく場合がございます。あらかじめご承知おきください。
※本プロジェクトのリターンのうち、有効期限を設けている体験型のリターンについて、有効期限内にやむを得ない事情によりご案内が困難になった場合には、有効期間について個別に調整させていただくこととし、ご返金は致しかねますのでご了承ください。
※本プロジェクトのリターンのうち、【お名前掲載】に関するリターンの条件詳細については、リンク先(https://readyfor.jp/terms_of_service#appendix)の「支援契約」の中にある「●命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」をご確認ください。
- プロジェクト実行責任者:
- 中川 学(宗教法人 瑞泉寺)
- プロジェクト実施完了日:
- 2024年12月31日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
返礼品の発送、イベントの出演者へのギャラの支払い、境内にお名前記載のための整備費用。
リスク&チャレンジ
- プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
- 京都府、京都市からの修復補助金で賄う
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プロフィール
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リターン
5,000円+システム利用料

【支援した証コース】クラファン限定中川学デザイン携帯待受データ「駒姫」
●クラファン限定中川学デザイン携帯待受データ
※お礼メールに添付してお送りいたします。
------
●お礼メール
●HPにお名前掲載(希望者のみ)
※公序良俗に反する内容等、場合によってはお断りする可能性がありますことご了承下さい。
- 申込数
- 17
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
10,000円+システム利用料

【特別グッズコース】クラファン限定御朱印中川学デザイン 「駒姫」
●クラファン限定御朱印中川学デザイン 「駒姫」
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●お礼メール
●HPにお名前掲載(希望者のみ)
※公序良俗に反する内容等、場合によってはお断りする可能性がありますことご了承下さい。
- 申込数
- 50
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月
5,000円+システム利用料

【支援した証コース】クラファン限定中川学デザイン携帯待受データ「駒姫」
●クラファン限定中川学デザイン携帯待受データ
※お礼メールに添付してお送りいたします。
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●お礼メール
●HPにお名前掲載(希望者のみ)
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- 申込数
- 17
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年6月
10,000円+システム利用料

【特別グッズコース】クラファン限定御朱印中川学デザイン 「駒姫」
●クラファン限定御朱印中川学デザイン 「駒姫」
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●お礼メール
●HPにお名前掲載(希望者のみ)
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- 申込数
- 50
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月