フィリピンの地震で被災した村の家屋を地震に強い家に修復したい

フィリピンの地震で被災した村の家屋を地震に強い家に修復したい

支援総額

1,019,000

目標金額 1,000,000円

支援者
71人
募集終了日
2014年3月27日

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2014年02月09日 17:45

日本人 in Tungod

おはようございます。

日本は大雪で大変なことになっていますね!

こんなにたくさんの雪を地元で見たのは初めてで昨日からきゃっきゃしていました。

 

プロジェクトがスタートして4日。

現在5名の方から100,000円の寄付をいただいております。

ご協力いただいたみなさま、どうもありがとうございました。

1,000,000円まではまだまだ長い道のりですが

こつこつと頑張って行きたいと思います。

 

 

さて、今日は私とTungodの関係についてちょっぴりお話させてください。

 

私が初めてTungodを訪れたのは大学1年生の夏休みでした。

英語の授業で一緒だった先輩から

「夏休みすることないならこのプログラムに参加してみたら?」

と誘われ

東南アジアの国は行ったことないし行ってみようかな、と

特に深く考えることもなく参加を決めました。

 

フィリピンに関する知識も全くないまま羽田からセブへ飛び

現地で一緒に同行する他のメンバーと合流。

車でホテルへ移動する途中で信号待ちをしていた私たちに

子供たちが窓をこんこんと叩いて

お金をちょうだい、食べるものがないの

というのを身振り手振りで伝えてくる姿や

道端でお母さんが小さな赤ちゃんを抱えて眠る姿を見て

貧困というものを初めて体感しました。

 

その次の日にはセブ島からフェリーに1時間ゆられ

Tungod村があるボホール島へ移動。

セブ島の混沌とした空気とは違う、穏やかな場所だなあという印象でした。

そこで村長であるHappieさんをはじめとする村の人々にあたたかく迎えられ

2週間を村で過ごしました。

 

その頃、すごく入りたかった大学に入学したものの学校がいまいち好きになれず

思い描いていた学生生活と現実の差にもんもんとしていた私は

Tungodに来て村の子供たちにいろいろな遊びを教えてもらいながら

こんなにずっとおなかがよじれるくらい笑い続けたのは初めてな気がする、

とひっそり心の中で感じていたのを覚えています。

 

Tungodを離れる最後の日には

みんなで帰りたくないとだだをこね色々なひとを困らせながら(笑)

それでもまた戻ってくるね、と約束をしてさよならをしました。

 

 

日本へ戻ってきてからは相変らず学校が好きになれず

しまいには全く授業に出なくなりました。

すごく勉強がしたかったはずなのにこれじゃあいけないな

と感じつつ、結局1単位もとらないまま1年生の後期を終えてしまいます。

 

そして春休み、日本から逃げ出すように友人と1ヶ月ほど旅行へ行き

その途中で再びTungodへ戻りました。

そこでは変わらない笑顔と包み込むような自然に迎えられました。

 

実はちょうどその頃日本で東日本大震災が起き、

日本は混乱の渦に巻き込まれていました。

そんな中、大学の始まりも1ヶ月ほどのび

これからのことについて少し考える時間があった私は

1年間フィリピンに留学してこよう、ということを決めます。

大学にいる間に1度は留学をして

英語を学びたいと思っていたということもありますが

でもやっぱり一番大きかったのは

私はこのままだと大学でしたかったはずのことが出来ない

一度じっくり向き合う時間をとりたい

というのが決め手だったと思います。

 

それから1ヶ月間ばたばたと留学準備を進め

ボホール島から程近いセブ島の大学に1年間在籍することになりました。

 

留学中も2週間に一度くらいのペースでTungodへ足を運び

1年の間ずっと、実家のような存在として支えてくれました。

そして、

求めることよりも与えること

独り占めすることよりも共有すること

臆することなく誰かに愛を与えること

これらの行動のもつ強さをこの場所で、とくに村長のHappieさんから学びました。

 

Happieさんは10月の地震が起きた際も、橋の崩落や土砂崩れによって

ほとんどの交通網が寸断されている中

「私がいかないと誰も助けられないから・・」

といってボホール島で最も大きいタグビラランという街とTungodの間を

食料や医薬品を運ぶために何往復もしていました。

震災直後は政府からの援助は皆無で、

そこでかかった費用もすべてHappieさんの家族が負担していたそうです。

Happieさん自身被災者で、今までに経験したことのない大きな地震と

繰り返し起きる余震のため精神的にも肉体的にも疲弊しきっていたはずなのですが

自分が与えられた使命への責任感のほうが何倍も大きかったのだと思います。

 

(Happieさん)

 

そんなHappieさんから、地震が起きて1週間ほど経った頃に連絡がありました。

そこには

「とりあえず食料も手に入るようになったし、みんな無事です。

けれど家はほとんど壊れてしまったし、それを直すための資金の目処は全くたっていないし

まだまだやらなければいけないことは山積み。

私はどこから手をつけたらいいかわからなくて、少し疲れてしまいました。」

とありました。

私にとってHappieさんはいつもどんなことにも負けない

愛に溢れた肝っ玉母さんのような存在だったのですが

このとき初めて弱音を吐く姿を見た気がします。

そしてこのメールを受け取ったあとも

教会やNGOに掛け合って家屋修復のための費用を出してくれるよう

お願いをしてまわっていました。

 

 

私にとってTungodは、

自分のことで頭がいっぱいだった私に

人の言葉に耳を傾けること、そして思いやりをそそぐことを教えてくれた場所です。

大切なものを守るための強さを与えてくれた場所です。

個人的な想いなのですが、

その大切な教訓を伝えてくれた人々に対してどうしても恩返しをしたいです。

そして今が、まさに動かなければならないタイミングだと思っています。

 

 

フィリピンは日本と同じように地震や台風などの自然災害に

頻繁に見舞われる国です。

同じ苦労を味わってきた日本から

支援の手を差し伸べることは出来ないでしょうか。

 

どうか、家屋再建のための資金援助にご協力をお願いいたします。

 

(Tungodではすごくきれいな夕日が見られます)

 

リターン

3,000


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■Lapulapuからのサンクスレター
■ブログに寄付者様のお名前を明記

支援者
27人
在庫数
制限なし

10,000


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■Lapulapuからのサンクスレター
■ブログに寄付者様からのお名前を明記
■Tungodの震災復興報告レポート
■フィリピンからのギフトセット(お菓子)

支援者
45人
在庫数
制限なし

50,000


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■Lapulapuからのサンクスレター
■ブログに寄付者様からのお名前を明記
■Tungodの震災復興報告レポート
■フィリピンからのギフトセット(お菓子、雑貨)

支援者
3人
在庫数
制限なし

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