プロジェクト概要

[6/23追記]

 

この度、皆様の温かいご支援、プロジェクト周知のお声がけ等、多大なるご協力のおかげで、6月23日をもって達成率100%を実現することができました。ご支援、ご協力いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

 

しかしながら、プロジェクトページ内にも記載しております通り、実のところ目標金額の67万円は、当初の見積もりから削れるものを極力削り、目標を達成するために最低限必要な金額として設定したものでした。


例えば、ドローンの予備バッテリーは高価なので必要最低限とし、空撮は一発勝負で。第3墜落地点の調査は宿泊が必須なのですが、テントの購入を諦め、ツェルト(非常用簡易テント)のみで乗り切る……といった具合です。


この度、皆様の多大なるご支援、ご協力のおかげでその最低限のラインを超え、なお終了まで約一週間という猶予があることから、より安全かつ万全な体制で目標達成へ臨むために、当初の見積り金額である96万円をネクストゴールとして設定させていただきたいと思います。

 

引き続きとなり誠に恐縮ではありますが、皆様のご理解、ご協力、ご支援のほど、どうかよろしくお願いいたします。

 

佐々木直人

 

あのとき、真っ先に被災地に駆けつけてくれた「トモダチ」は、72年前は敵だったーー

 

はじめまして、佐々木直人です。Twitterでは「しゃーくさめさめ」のアカウント名で投稿しています( @same_desu2 )。私はこれまで、1945年の東京大空襲の夜、宮城県・不忘山(ふぼうさん)に墜落した3機の米B-29爆撃機の謎について、個人的に調査を進めてきました。

 

なぜB-29? なぜわざわざ調査を? など、いろいろと不思議に思われる方も多いかもしれません。順を追って、説明させてください。

 

■ 東日本大震災直後。アメリカ軍による「トモダチ作戦」を知っていますか?

 

3.11の際、被災地で救援活動を行ったのは、我が国の自衛隊や消防、警察だけではありません。米軍もまた、約2万4千人もの人員を投じ、救援及び復興支援に当たりました。これは「トモダチ作戦」と称され、メディアでもたびたび報道されました。

 

仙台空港に着陸する米空軍特殊部隊所属 MC-130Pコンバットシャドウ 2011年4月1日 佐々木撮影

 

当時、私はこれに深い感銘を受けました。私自身、津波で壊滅的な被害を受けた宮城県名取市の出身だからです。幸い、私の家族や友人は無事でしたが、かけがえのない思い出がつまっていた沿岸部は、見るも無残に変わり果ててしまいました。そんな絶望的な状況を立て直してくれたのが、アメリカ軍将兵の皆様だったのです。

 

彼らの働きにより、一時は廃港の可能性もあるとまで言われていた仙台空港は、わずか1ヶ月足らずで運航を再開。これに感激した私は、4月1日に空港のキャンプを訪ねてお礼をし、さらに、滑走路にアプローチする航空機から見える位置に、津波で破壊された家の梁や柱など、かつて当たり前にあった生活の痕跡を並べ、「ARIGATO」と描いたのです(そのときの顛末は、著書にまとめて出版しています)。

 

砂浜に描いたARIGATO 2011年4月3日 米空軍特殊部隊指揮官ロバート・トス大佐撮影

 

■ しかし、そんなアメリカ軍は、「かつての敵」でした。

 

こんなにも感謝の念を抱いたアメリカ軍も、72年前は敵だった……。その事実を実感することになったのは、震災の翌年、祖母の死がきっかけでした。その葬儀の場で、祖母が1945年8月1日の富山空襲で被災していたことを知ったのです。富山空襲は、市街地の99.5パーセントが焼滅し、公式記録によると2737名が亡くなった、地方都市では最大規模の被害が出た空襲です。

 

祖母は幸い生き残りましたが、恐ろしい被害をもたらしたアメリカ軍のことは生涯憎んでいてもおかしくありません。しかし祖母は生前、私が描いた「ARIGATO」に対して、笑顔でこう言っていました。「あなたは本当に立派なことをした」と。

 

でも祖母は、本当はどう思っていたのだろうか。そう考えると、私自身もアメリカ軍に対して、複雑な気持ちが湧いてくるようになりました。単なるトモダチでもない。かといってずっと敵視すべき相手でもないはずだ……。

 

仙台空港に着陸を試みる米空軍特殊部隊所属MC-130Hコンバットタロン 2011年3月16日 米空軍撮影

 

人知れず日本の山中に墜落した、3機のB-29。その事故には多くの謎が残されています。

 

それからいろいろと戦史について調べるうちに、日本に空襲にきたB-29が、墜落事故を起こしていたことを知りました。

 

■ 1945年3月10日。東京大空襲の夜、ひっそりと宮城県山中に墜落していた米軍機があったのです。

 

私が暮らす宮城県には、不忘山(ふぼうさん)という山があります。そして、その山頂近くには「不忘の碑」という慰霊碑が存在します。1945年3月10日夜、この山に墜落し戦死した、3機のB-29搭乗員を弔うための碑です。

 

この日行われた東京大空襲によって、公式に確認されたものだけで8万3793名、推定で10万名以上の命が失われました。ただ、東京を爆撃すべく出撃したB-29の中に、本来の航路を逸脱した末に東京から遠く離れた不忘山に激突、墜落した3機があったというのです。搭乗していた34名は全員戦死。しかし、その墜落の真相には、現在も多くの謎が残されたままです。

 

山頂付近の「不忘の碑」佐々木撮影

 

■ 祖母のことを考えれば、彼ら搭乗員は、憎むべき対象なのかもしれません。しかし……。

 

しかしこの事故のことを知ったとき、私の胸に湧いたのは、怒りでも、憎しみでもありませんでした。彼らの勇気に対する純粋な敬意と、深い悲しみだったのです。

 

彼らはあくまで、自らに与えられた任務を遂行しようとしたにすぎないのです。国家に忠誠を誓い、いかなる任務であれ遂行する。それが兵士の使命であり、また誇りでもあります。そして何より、太平洋を長駆飛行し、敵の本拠地たる日本本土に侵入し任務を遂行するというのは、高度に訓練され、真に勇敢な者でなければなし得ないことです。

 

私も、震災の直前までは陸上自衛隊に所属していました。我が国の平和と独立、安全を守る自衛隊の使命を自覚し、身心を鍛え、技能を研き、ことに臨んでは危険を顧みず、専心職務の遂行にあたることを宣誓し勤務しておりました。米兵たちも、同じ気持ちだったに違いないと思うと、どこか近しい気持ちすら覚えたのです。

 

日本本土上空 空襲を行うB-29

 

あの事故の、実像を探りたい。


以来私は、あのとき何があったのか、究明したいと思うようになりました。

 

■ 2013年から、日米双方の資料にあたり、山中の各墜落地点を何度となく訪ね、たったひとりで調査を続けてきました。

 

その過程で、当時の機体の破片や焼夷弾等の遺留品を発見し、一部ではありますが回収することにも成功しました。また、昨年2016年7月30日に不忘山の麓の公園で執り行われた慰霊祭で、来日されたご遺族の皆様に、その破片を手渡すこともできました。ご遺族はとても喜んでくださいましたが、その時私が抱いたのは、3年半という時間をかけながら、ご遺族に対して、たった、たった破片一つしか手渡すことのできないふがいない自分自身に対する、どうしようもない悔しさと、情けなさでした。

 

ご遺族とお会いしたことで、はっきりと実感しました。戦争によって生まれる悲しみと苦しみに、国も立場もなく、勝者も敗者もないのだと。

 

 慰霊祭にて 墜落3番機機長コーズマイアー少尉のご遺族とともに 2016年7月30日撮影

 

■ ドローン空撮と地形3Dモデル化で、墜落地点の全容を解明したい。

 

もっと、自分にできることはないだろうか。ご遺族とお会いして以来、ずっとそういう想いを抱えながら、これらの活動を日々Twitterにてつぶやいていたところ、私の活動に深く共感してくださった方が、1947年の空撮写真を使い、地形を3Dモデル化し、また今後も積極的に協力してくださることになりました。さらにその3Dデータをもとに、実際に模型として立体化するのを手伝ってくださる方も現れました。

 

まだまだ精度を上げるため、細かな修正や検討すべき点はありますが、この技術と、私がこれまで墜落地点に赴き収集してきた遺留品のGPSデータを重ねれば、今以上に墜落時の状況を明らかにすることができます。さらに、墜落地点にドローンを持ち込み、航空写真測量の要領で空撮を行えば、墜落地点ピンポイントのより詳細な3D地形モデルを作成することも可能であり、全容解明への大きな前進となるのです。

 

なにより、地形の3Dモデル化技術は、例えば日本各地に存在する日米両軍の墜落機調査や、空襲前後に撮影された航空偵察写真からより詳細な被害の全容の解明、戦争遺構等の調査や、戦史に限らず現在の地形との比較、被災地の復興の記録に応用できるなど、多くの有益なフィードバックが得られると確信しております。

 

1947年撮影の航空写真より作成した不忘山3Dモデルデータサンプル

 

■ただ、そのための機器の資金が不足しています。

 

しかし、それを実現するのに必要なドローン等の測量機器や、それを山奥の墜落地点へ持ち込むための装備品の調達、高度な飛行技術が必要な山域でのドローン操縦技術習得のための講習費、資料調査の旅費、3Dモデル化の協力や模型化への謝礼等を計算したところ、最低でも67万円の資金が必要で、一個人である私には容易に捻出できない、という壁に直面しているのです。

 

そこで、このたび皆様にご協力いただけないだろうかと、このプロジェクトを立ち上げた次第です。

 

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不忘の碑にて 2013年3月21日 佐々木撮影

 

過去の遺恨を乗り超えて、こちらから踏み出す一歩に

 

確かに我が国では、米軍やB-29やその搭乗員に対して、いまでも複雑な感情を抱いている方が多くいるのも事実です。私も「B-29搭乗員なんかのために調査をするなんて」「あんなやつら、ずっと野ざらしにしておけばいい」といった言葉をぶつけられたことも、一度や二度ではありません。

 

それでも私は、少しでも墜落の真相を明らかにし、戦死した34名の魂を弔うため、今日までできる限界の範囲まで活動してきました。山中を、わずかな痕跡でも見逃さないよう探し周り、帰りを待っているであろうご遺族のことを想い、機体の破片を回収してきました。例え小さな破片であっても、それが帰ってくることが、残された者にとってどれほど救いになるか、私はよく知っています。

 

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発見した墜落3番機の破片 慰霊祭にてご遺族に手渡したもの 2016年7月24日 佐々木撮影

 

東日本大震災時、トモダチ作戦に参加し、生存者を、ご遺体を、「せめて思い出のよすがや写真の一つでも家族の元へ返そう」と必死に探してくれた米軍将兵が、それを教えてくれたからです。

 

確かに、不忘山に墜落した3機のB-29は、歴史という大局からみれば些細なことかもしれません。しかし、戦死した34名もまた、確実に誰かの子であり、また誰かの兄弟であり、もしかしたら誰かの夫であり、親であり、恋人であり、友人でもある当たり前の人間だったのです。私の祖母と同じように。

 

日米関係は決して全てが良好とは言えず、さまざまな問題があるからこそ、敢えてこちらから一歩を踏み出すこと。それ自体に意義があると、私は考えております。どうかそのために、皆様のお力添えをいただけないでしょうか。ご検討のほど、どうかよろしくお願いいたします。 

 

1945年3月9日 東京へ向け出撃する第73爆撃航空団所属のB-29 

 

 


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