戦没学生の音楽作品よ、甦れ!いま戦争の記憶を語り継ぐ

戦没学生の音楽作品よ、甦れ!いま戦争の記憶を語り継ぐ

寄付総額

2,112,000

目標金額 1,500,000円

寄付者
127人
募集終了日
2020年6月12日

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2020年05月03日 10:00

旧東京音楽学校奏楽堂の今と昔

「戦没学生のメッセージ」プロジェクトご支援者の皆さま

 「戦没学生のメッセージ」プロジェクトリーダーの大石です。この度は3度目のクラウドファンディングにもかかわらず、皆さまの熱い応援のおかげをもちまして、すでに100万円間近まで達しています。改めて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 今日から「新着情報」を利用して、今回予定しているコンサートについて、より深くご理解していただくため、さまざまな情報を発信して参りますので、どうぞお付き合いのほどお願い申し上げます。第1回はコンサートの会場となる旧東京音楽学校奏楽堂についてです。

 

◆旧奏楽堂は東京音楽学校の学生たちの生活の場

 

 

 今年のコンサートの会場となる旧東京音楽学校奏楽堂は、現在、上野公園の一画、東京都美術館の隣接地に建っています。しかし、遡ること130年、明治23年に東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)の新校舎として建設された場所は、今の藝大の構内、まさに東京藝術大学奏楽堂のあるあたりでした。それがなぜ、現在の場所に移築されることになったかについては、プロジェクトページに詳しく書きましたのでここでは触れません。今日は現在の旧奏楽堂が、新築された当時とどのように違うか、またその後どのような変遷をたどってきたかをご紹介しましょう。

 現在の旧奏楽堂は台東区が管理している施設で、1階が東京音楽学校出身の音楽家たちを中心に、西洋音楽がいかに日本に根付いたかを紹介する資料展示室、そして2階が客席数310のホールになっています。下の図面をご覧ください。『上野奏楽堂物語』(昭和62年 東京新聞出版局)中の橋本孝さんの「奏楽堂再発見ー解体調査と復元作業でわかったことー」から引用させていただいた、新築当時の校舎正面図と1階の平面図です。現在の旧奏楽堂を訪れたことのある方なら、すぐにあることにお気づきになるのではないでしょうか。そう、こんなに建物の幅が長くない……ということに。

新築当時の校舎見取り図(東京新聞出版局『上野奏楽堂物語』より)キャプション

 そうです。新築当時は建物中央2階の奏楽堂を中心に、左右に建物が翼のように広がり、全体で78メートルに達していたといいます。そこにはたくさんの教室や練習室が配され、たとえば、正面から入って中央の廊下右側の大きな部屋(現在は楽屋として使われています)は、当時は食堂として使われていたようです。現在の旧奏楽堂は、ホールというイメージが強いのですが、当時は教室から食堂まで有する、まさに東京音楽学校の学生たちにとって、学生生活の舞台そのものだったわけです。

 その後、何度も増改築が繰り返されますが、校舎は大正12年の関東大震災にも耐え、昭和3年にはホールにパイプオルガンが設置されます(このオルガンも現在復元されて演奏可能です)。しかしさらに時代を経るにつれ、学生数の増加に伴い、奏楽堂(建物としては旧奏楽堂のこと)の増築だけでは間に合わなくなり、新校舎の建設が必要になってきます。そして昭和33年の新校舎(現3号館)の建設時、奏楽堂の左側の翼の先端部分が取り壊されました。

 新校舎が建設されると、老朽化の目立つ奏楽堂は、徐々にその教室としての機能を失っていきます。3号館に続く昭和39年の2号館、昭和41年の1号館新築では、何とか構内の空いたスペースを利用できたのですが、昭和51年に4号館が建設されることが決まると、ついに奏楽堂の建物の左側部分がほとんど撤去されることになりました。この間、昭和47年には、大学は老朽化した奏楽堂を明治村へ移転する合意書を取りかわしています。

 こうして奏楽堂は、新築当時の威風堂々とした姿を失ってしまいましたが、それでもホールとしてはしばらく使われ続けました。現在の東京藝術大学学長でヴァイオリニストの澤和樹先生は、旧奏楽堂で卒業演奏を行った最後の世代で、次のように当時を回想しています。

「私が在学時にはキャンパス内に奏楽堂がありましたが、老朽化が進み、300人が入るとその重みで1階のドアが開かなくなるほどでした。オルガンも音が出ませんでした。大学4年生の時に卒業試験をこの奏楽堂で受けましたが、それを最後に本堂は使用されなくなりました。~以下略」(平成30年11月2日「旧東京音楽学校奏楽堂リニューアルオープン記念式典」でのスピーチより)

 奏楽堂は昭和55年3月、老朽化が進みあまりにも危険だということで、全面使用禁止になります。そして同年発足した「奏楽堂を救う会」などの働きにより、いったん決まっていた明治村への移転は白紙となり、結局台東区が引き取ることになりました(このあたりの経緯はプロジェクトページ参照)。奏楽堂は移転問題が決着するまでの間、校内でしばらく荒れ果てるままに放置されていましたが、昭和59年8月から解体工事が始まり、昭和62年10月、3年の歳月をかけた移転工事の末、現在地で旧東京音楽学校奏楽堂として蘇りました。

 奏楽堂が辿ったこうした歴史を見れば、藝大の学生にとって、旧奏楽堂が単なる演奏会場にはとどまらない、特別な存在であることをご理解いただけるのではないでしょうか。特に奏楽堂が校舎のすべて、つまり生活の場そのものであった戦時中の東京音楽学校の学生たちにとってはなおさらで、今回のコンサートを旧奏楽堂で開催することにこだわる理由はひとえにそこにあります。

 

 

ギフト

3,000


「戦没学生のメッセージ」プロジェクト応援コース

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お礼状、クリアファイル

申込数
34
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年6月

10,000


「里帰りコンサートin旧奏楽堂」応援コース①(コンサート不参加)

「里帰りコンサートin旧奏楽堂」応援コース①(コンサート不参加)

お礼状、クリアファイル
コンサートプログラムにお名前記載(希望者のみ)
当日のコンサートプログラム

申込数
20
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2020年8月

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「戦没学生のメッセージ」プロジェクト応援コース

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