なぜシンポジウムの参加者に助成金を出すことになったの?

「助成金を出すんだ!」と当たり前のようにここでは紹介されていますが、そもそも、なぜシンポジウムの参加者に助成金を出すことになったのかについてちょっと今日は書きたいと思います。

 

このことについて、私達は以下のようにプロジェクトのトップページに書いています。

 

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教育実践は教師達の日々の営みから生み出されていくものであり、現場の教師達の視点なしに議論をすることはできません。しかし、実際のところ、経済的援助が少ない‟貧しい言語教師”にとっては、日本国外で開催されるシンポジウムに参加することは難しく、参加を断念せざるをえないという現状があります。そのため、これまで国際シンポジウムというと、経済的にゆとりのある研究者達の自身の研究成果発表の場となり、現場の教師がその議論に参加することが難しかったのではないでしょうか。

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実は、このような考えが生まれたのは、運営者の一人が約1年半前にオーストラリアで参加した応用言語学の国際大会でこんなことがあったからなのです。その時、Pennycook先生が中心となり、「The Darker Side of Applied Linguistics」というパネル発表が行われていました。その時に、今回のシンポジウムの基調講演者のひとりである久保田先生もパネリストと参加されていました。その中の議論の中で、久保田先生が「私達がこうやって航空券やホテル代、学会費を出して、学会に参加して、議論ができているということも考えないといけませんね。そういうことができない人もいますよね」みたいなことを言ったのですが、思いのほか会場が「シーン」と…(少なくとも、自分はなんか「シーン」とした感じがしました。なんか「それ言っちゃだめでしょ?」みたいな感じを受けたんです…)。そういうのを見ていて、確かに、学会という場が研究者達の集まりとなり、その研究者達がなにか上の世界で話していて、本来実践を扱っている分野にもかかわらず、実践者がその場にいることがおかしいというような現状が作り出されているんじゃないかとふと思いました。事実、自分自身が、今度こんな学会やるんで、ぜひ参加してくださいねと言うと、「いえいえ、私のようなものが、そんな場に参加するなんて…」「私は語学教師なので、そんなめっそうもない…」みたいな対応を受けたこともあります(;´・ω・)

 

最近は、やれ「つながり」だ、やれ「実践の共有」だ、「ボトムアップ的に現場から生み出すことが大切」だと言われていますが、学会という場が変わらない限り、そのようなことは空虚なものになってしまうのかもしれません。

 

そこで、このシンポジウムに少しでも多くの方にご参加いただき、一緒に議論ができればと思っています。みなさん、ぜひご支援お願いします!