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前回プロジェクト同様、ゆっくりと確実に目標に向かって登る様が、つくづくクハ489-501そのものだなぁ、とさえ思った事業でした。

そして前回にもあった、様々な奇跡を、今回磨きをかけて再現して見せてくれました。

クハ489-501に関わる事業をさせていただいていると、この電車、本当に生き物だと感じてしまいます。

鎮座しつつ、常に一方を向いています。

どこへ行くのかと、グーグルアースすると、その先に横浜ベイブリッジがあり、ちょっと手前にはみなとみらいがありました。

 

今から9年前の12月、横浜国際大学を会場にした全国フォーラムで表彰を受けて、出席した帰りに、私はみなとみらいを歩いています。

ご一緒していたのは、現在「日本鉄道保存協会」の事務局長の、地域遺産プロデューサー米山淳一さんでした。

当時はまだ日本ナショナルトラストの事務局長で、その時から私は米山さんから本音で、「面白いバカがいる」と言われていました。

私にとっては本当に誉め言葉でした。

 

米山さんは現在の大井川鐵道で「トラストトレイン」を実現させた張本人です。 多くの方々の人脈を付けて、「解体させてはいけない、後世に残さなければ」と奔走され、残ったのが「オハニ367」と「スハフ432」「スハフ433」の、3両の特急形客車でした。 現在も立派に運行されています。

そして私に、人脈の大切さを教えて下さりました。 七尾市で七尾線活性化について、一緒にフォーラムの壇上に出席させていただいたこともありました。 もっとも、現在走る特急「花嫁のれん号」のような一部の利用者だけに傾倒するようなものではなく、広く沿線と路線の価値を向上させようという大義がありましたけど。 最終的に米山さんは、現在JR東海相談役の、同社初代社長の須田寛さんにも道を付けて下さります。

 

クハ489-501は、米山さんが学生時代のバイト先で製造工程の一部に携わった思い出の車両だとおっしゃられています。これは私と横浜の中華料理屋での酒宴の場でお話でしたが…。

ですがこの車両、製造は横浜市の、東急車輌製作所、現在の総合車輌製作所ですから、お隣の横須賀市に住まわれる米山さんの事ですので、事実なのです。

米山さんはボンネット特急、特に上越特急「とき」が大好きだったそうです。

何故かというと、使っている車両のルーツが「こだま」だったからなのだそうです。

実際に、「パーラーカー」クロ151が残っていたなら…、と、今でも時折仰るそうです。 後付けで、「星さんがそう言ってた」と付け加える事を忘れません。

 

この車両がボンネット広場に来た際に、須田さんから、「本当に良かった。北陸ゆかりのボンネットが小松に残ることには意義がある」と、お手紙をいただき、車内にそのコピーを今も展示しています。 「初心忘るべからず」の真意が籠められていそうです。

その年の11月、今から4年前に須田さんが「全国産業観光フォーラム」にご来郷頂きまして、ご挨拶させていただきました。

普段は凛としてなかなか語り掛けづらい雰囲気すらありますが、直接お話をするととても気さくな方です。

クハ489-501に「こだま」のヘッドマークを付けた写真をお渡ししましたところ、「こだま」に眉毛が付いてる…、これはいかん! とお叱りを頂きました。 もっともな事です。 前回プロジェクトの、妥協しないで「初期型のスタイルに復元する」には、須田さんへの感謝の気持ちも含まれています。 それほど、須田さん抜きに、日本の鉄道保存の文化を語るわけにはまいりません。

 

この事業に際して、クハ481初期型の姿になった事を悲観した鉄道ファンも一部に居たようです。

決して無視をして独断したわけではありませんが、理解は出来ます。

ただ、鉄道保存には様々なプロセスがあり、その一部に、このような事もあり得るのだと。

ですから、保存された事とその後運営して語り継ぐためには、一度立ち止まって思惟し、批判する側の真意に触れつつ、目の前の車両の歴史をどう繋いでゆくかを真剣に考えなければならないのです。

須田さんも、米山さんがトラストトレインを実現するために懇願された際に、国鉄営業部として、分割民営化が迫り合理化の中で決済しづらい上層部にも、ご自身の豊富な知識と経験、そして人脈で難局を突破されました。

誤解していただきたくないですが、難関突破したから「偉いだろ、凄いだろ」という方々は、誰もいらっしゃいません。 皆さん、「あの時、あのご縁、全てが奇跡みたいだ」と私に諭されました。 そして感謝を忘れていません。

 

これからクハ489-501は、元の姿、デビュー当時の姿に戻しつつ、恒久的な「産業遺産」の道へと進み始めることでしょう。

でも、出来れば「多くの子ども達に乗っていただきたい」のが、この車両の本心だと思っています。

当地でただ腰を据えているのではなく、「時間」というレールの「今」、立ち止まって、未来の線路を敷き始めているのです。

 

写真は平成23年7月25日に長浜まで「小松市制70周年記念列車」として運行した時の貸切列車の写真です。

この企画に携わった当時から、須田さんや星さんがご覧になっても恥ずかしくないもの=先人が導いたデザイン、を活かすように心掛けていましたので、国鉄急行色の車両に最も似合う北陸の急行列車のヘッドマークを製作しました。

JR金沢支社の担当者には当然呆れられましたけど…。

でも、この時この列車を企画したのがきっかけになり、写真のクモハ475-46は、JR西日本指定の鉄道遺産になりましたし、実績重視のJRと小松市が、クハ489-501譲渡実現に導くきっかけにもなったのです。

お隣の寝台電車改造の近郊型電車、419系「食パン」は、米山さんが以前「中で武蔵野線の101系の音がする」とか、興奮して乗っていた電車でした。 米山さんも大の鉄道少年だったのです。

 

色んな話が飛び飛びですが、次回プロジェクトが始まってから、また述懐したいと思います。 その節はまた皆様、よろしくお願い申し上げます!!

 

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