皆様こんにちは。NPO法人「W・I・N・G―路をはこぶ」スタッフの田代です。

 

ご支援募集の期間は残すところほぼ10日間となりました!目標金額が100%に達してからも、貴重な「後押し」をたくさん頂戴しております。本当にありがとうございます!!

 

さて、「デーセンター夢飛行」(西成区)で取り組んだ今日の日中活動は…

 

本プロジェクトの引換券ご購入者全員にお届けする「ビー玉アートのサンクスカード」制作ミーティング!

 

 

 

私たちの「ビー玉アート制作」は、必ず「ミーティング」から始まります。「一人では完成させることができない」ビー玉アート作品は、何も実際にビー玉をキャンヴァスの上で転がす時だけが「一人ではできない」場面なのではありません。

 

そもそも「構想」の段階から「一人ではできない」のです。

 

■テーマを何にするか?

■そのテーマから連想されるものは何か?

■その連想されたものからイメージする色はどんな色?

■それらの色から実際に使う色はどれにする?

■この色は作品のどこで使う?下地?ビー玉?スパッタリング?手形?…

 

全て利用者さんとスタッフのミーティングで決めます。

 

 

「利用者さんて、言葉での意思表示が難しいんじゃなかったっけ?どうやってミーティングで発言するの?」

 

 

というご質問がどこかから聞こえてくるようです…でも…

 

安心してください。ちゃんとミーティングになりますよ(笑)

 

 

大部分の利用者さんが自分の言葉による意思表示が困難であることは確かです。

そのため、日中活動でおこなうミーティングでは、スタッフが利用者さんの横に付き、利用者さんに代わって発言することがほとんどです。

 

その時スタッフは、自分の横にいる利用者さんの表情や身体の緊張具合など「非言語チャネル」を頼りに、その利用者さんが「今何を感じているのか/考えているのか」を想像します。あるいは、過去のコミュニケーション経験から「この利用者さんは○○が好きだから(嫌いだから)/●●でテンションが上がるから(下がるから)…」といった予測を立てます。

 

そうした「想像」や「予測」をもとに利用者さんの意見を代弁するのです。ただしそれは、あくまでも「想像」であり「予測」でしかありませんので、「当たり/外れ」が当然あります。仮に「当たり」だったとしても、その「精度」まではさすがに分かりません。

 

さらに「代弁」とは言ってみたものの、「代弁者(スタッフ)」によって放たれた言葉(意見)には、代弁者の主観が往々にしてミックスされていますので、そもそも「代弁」と呼べるような代物ではない可能性の方が高いのです。

 

しかし、その「代弁」として発せられた意見自体や、「代弁」によってその場に生じた雰囲気(笑いやスベり/感心やブーイングなど)が、「被代弁者(利用者さん)」のリアクションを引き起こすことがあります。

 

笑顔や不満顔、リラックスや緊張など…リアクションは様々な「姿」を纏って現れます。仮に一見「無反応」だったとしても、それ自体が立派なリアクションの「一形態」であるとも言えます。「無関心、ちんぷんかんぷん、全く別のことを考えていて代弁された意見をちゃんと聞いていなかった、実は目を開けたまま居眠り中だった…」など、「無反応」そのものから想像できることがたくさんあるからです。

 

そうした「無反応」さえも含んだ「リアクション」はまた、スタッフと利用者さんとの「コミュニケーション経験値」として蓄積され、スタッフの「想像」や「予測」の材料となり、利用者さんが放つ「能動性」のバリエーションになっていく――

 

【想像・予測】⇒【代弁】⇒【リアクション】⇒【想像・予測】⇒…

 

ほんの1時間足らずのミーティングであっても、こうした「サイクル」がそこかしこで繰り返し展開されているのです。

 

障害者の方に対するケアや支援の現場においては、「正確無比な代弁」や「確実なリアクション」が求められる(好ましい)場面ももちろんあります。しかし、何かをクリエイトしようとする場面では、むしろ「精度にブレのある代弁」や「真意を測りかねるリアクション」の方が、より大きな想像力と創造力を引き出せるのかもしれません。いわゆる「あそび(=余地)」がそこにあるからです。

 

「あそび」は「伸び代」とも言えるでしょう。その伸び代が、どんなプロセス(制作過程)を展開し、どんな結果(作品)を生み出すのか分からない――その「偶然性」こそが、私たちが取り組むアート制作の醍醐味なのだと思います。

 

「出会い」「つながり」「コミュニケーション」…実に様々な「偶然」が私たちの身の回りにはひしめいていますが、いずれも「一人」では起こり得ないものです。

 

何かを働きかける人がいて、それをレシーブする人がいて、時にその立場が逆転したりして…

 

そうして紡がれていくものが「人の生」なのだとしたら、「一人で何でもできる」ことは、むしろこの「偶然」を存分に堪能する/味わうことを阻害していると言ってもいいのかもしれません。

 

 

私たちが普段から取り組んでいる「ビー玉アート」や今回のプロジェクトは、「一人では○○できない」ことに「価値」すらも見出していこうとする試みです。

 

残り10日。この野心的な??試みにご賛同いただける皆様のご支援、引き続きお待ちしております!!どうぞ宜しくお願い致します!!

 

 

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