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放浪の画家宇野マサシ、その生の軌跡を画集として残したい!

放浪の画家宇野マサシ、その生の軌跡を画集として残したい!
目標金額を達成した場合のみ、実行者は集まった支援金を受け取ることができます(All-or-Nothing方式)。支援募集は11月1日(月)午後11:00までです。

支援総額

115,000

目標金額 1,000,000円

11%
支援者
7人
残り
44日

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すかいふらわぁ
すかいふらわぁ6時間前画集楽しみです。成功をお祈り申し上げます。画集楽しみです。成功をお祈り申し上げます。
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プロジェクト本文

 

放浪の画家宇野マサシ、その生の軌跡を画集として残したい!

 

はじめまして、画家の宇野マサシと申します。(事務局:株式会社皓星社)

 

書家の道から一転、天啓を得たように絵画に目覚めた20歳の時から、日本中を旅しながら数えればはや50年以上絵を描き続けてきました。

 

しかしながら、突如蔓延したCOVID-19の影響で、私をはじめ多くのアーティストが展覧会や演奏会、舞台の中止を余儀なくされ、直接的な発表の場を失ってしまいました。

 

そこで、画集を「紙上展」と位置づけて多くの人に私の作品を見てもらいたいと考えました。

 

画集タイトル『賚ーらいー』

難しい漢字ですが、「𧶘」と書いて「らい」と読みます。

意味は、「たまわりもの」そして「天の恩恵」。

 

自転車の後ろの木箱に道具を詰め込み、訪れる場所で見つけた黄金色の銀杏を、町の片隅の地蔵尊を、朝焼けに輝く川の水面を描き続けてきました。それらの風景との出会いは、全て天からのたまわりものだと考えています。

 

これまでの画業を画集としてまとめたい。

 

そして、改めて日本に漂う原風景とそこに生きる人々に想いを馳せていただき、先の見えない暗闇の中に一筋の光を見出していただけたら、というのが私の心からの願いです。

 

 

絵は鑑賞されることで初めて輝く

 

岩手県の九戸郡山形村という山深い村の役場で展覧会を開いた時のことです。当時まだあまり絵に触れる機会のなかったであろう村の人々は、言葉通り物珍しそうに私の絵を見詰めていました。そこで、絵は観られると同時に、その新鮮な視線を吸い込み、絵自身が彼らに生き生きと語りかけているように感じたのです。私にとって初めて味わった体験でした。

 

絵は描く者と鑑賞する者で成り立っています。

発表する機会がないと絵は死んでしまいます。

 

これまでずいぶん前に小さな画集を出したり、自伝は上梓しましたが、絵画作品を体系的にまとめたことはありませんでした。

 

作品は20代の頃の初期のものから、直近は2010年代まで網羅的に収録する予定です。

画家として、今その画業を残し、私の一つの区切りとして皆さんにご覧いただければと思います。

 

皆様どうか、ご支援のほどよろしくお願いいたします。

 

 

作品紹介

 

私自身の経歴の紹介も含め、これまでの作品を幾つかご紹介します。

 

 

《ニワトリ》1968年

 

 

人生で初めて開いた展覧会は、新宿にある紀伊国屋画廊での企画展でした。

 

19才で書家から画家への転身を決意。油絵の基礎を学ぶため単身上京し、新宿美術研究所に入所しました。昼はデッサンの授業、夜はアルバイトをし、毎日午前0時過ぎに帰る生活の中、空いた時間でひたすら独学で油絵を制作しました。

 

この頃、画家を志す契機となった佐伯祐三の作風に加え、ピエール・ボナールの目の眩むような豊かな色彩の交響やシャイム・スーチンの毒々しい赤色のバランスに大きな影響を受けました。

 

そんな中制作し、持ち込み先の紀伊国屋画廊で評価され即日企画が決まった思い出の作品が、この《ニワトリ》をはじめとする作品群です。農家や賭場から手に入れた鶏を自ら捌き、その迸る鮮烈な血を必死に描き出そうとしました。刺激的な色彩を誠実に表現しようとしたあの時期は、自らの死体を執拗にモチーフとした晩年の鴨居玲にも似たある種の使命すら感じたのを覚えています。

 

今回刊行する画集ではそれらの思い出を込め、この作品を巻頭に据えました。

 

背を押してくれた現代画廊・洲之内徹氏の言葉

これらを評価し画家として本格的なデビューへと後押ししてくれたのは現代画廊の洲之内徹氏でした。現代画廊初の個展の案内状には洲之内氏が私について語った以下のような一節があります。

 

描かれた僅かな物と物の隙間みたいなところに、のっぴきならない風景の本音みたいなものが籠もって、充実している。

これはもう魔法のようなものだろう。

物の存在ほど不思議なものはない。

物は私の眼前にあって、疑いもなくそこに存在しているが、その容姿をそっくりそのまま写しとって見たところで、その存在を写すことはできない。

存在とは言葉には言いようのないもの、名状しがたいものでありながら、しかもこれほど確かなものはないという、そういうものだが、それをつかまえて見せるのが詩というものである、と私は思っている。

 

だとすると、こういうことにはならないか。

つまり、宇野さんの魔法の正体は詩であり、彼の風景の具体性とはポエジーであると。

宇野さんの絵のように、絵がこんなに純粋にポエジーに貫かれ、一体になり得ているのは稀有なことかもしれない。

 

(1976年現代画廊宇野マサシ個展パンフレットより)

 

 

《夜明けの新宿》1996年

 

 

新宿大久保通りに住まいを移したのは、阪神淡路大震災の前年の1994年でした。また、その二年前には、湯島で羽黒洞という画廊を経営していた重鎮・木村東介氏が亡くなっていました。

 

木村氏は、長谷川利行や斎藤真一を世に出した大物美術商で、売上日本一と名高かった銀座の柊美術店や松坂屋・そごう・三越等の大型デパートでの個展を企画してくれた「ランカイ屋」(展覧会屋)でもありました。

 

当時山谷での日雇いで生活費を稼ぎながら制作をしていた私にとって、羽黒洞との専属契約は大きな転機でした。木村氏の亡き後、上京以来およそ23年ぶりに新宿に戻ってきた際、これから前に進まなければならないという新たな決意を込め描いたのがこの作品です。

 

妻・小畑延子の故郷である神戸が壊滅的な被害を受けたのを目の当たりにし、もがき苦しみながらも一歩踏み出すことの大切さを改めて感じていたのです。
 

 

《太子の兄弟(大阪)》2012年

 

 

2011年から1年間、西成のドヤに腰を据え作品制作に没頭しました。

 

長く生きていると、家族や友人を見送る経験が数多くあり、自分を振り返ってみた時心残りだったのが「青春の地をもう一度描いておきたい」という欲求でした。

 

飛田新地をはじめとする西成地区は30代前半を過ごした地で、絵を描きながら住み込みで働いていたこの場所が再開発の波に飲み込まれる前に、なんとしてもそこにあった営みを描き残さねばならないという衝動が私を突き動かしたのです。

 

西成区太子で見た中で最も印象的だったのは、手を繋ぎ助け合う貧しい兄弟の姿です。私は静かに佇む兄弟を描くことで、目に見えなくともそこに漂う空気や温度を残しておきたかったのです。

 

私にとって絵を描くということは、ただ実直にあるがままの現実をキャンバスにうつすだけではなく、その裏にある人々の生きた証を留め置くことなのかもしれません。 

 

 

 

夫・宇野マサシのこと 小畑延子(書家)

 

『月刊美術』(2008年6月号)のコーナー『田沼武能のアトリエを訪ねて』にて、
夫婦の特集をしていただいた際の一枚。

 

 

結婚直後、先人の俳句、詩、ことばを素材にして書作品を制作している私に、「借りものではなく、内から湧いてくる言葉をかかなければ人の心を打たない」と宇野は言いました。私もそれなりにキャリアを積んできましたから納得するには時間がかかりました。が、新たな境地へ誘われるように、現在の書風に辿り着きました。

 

私へのこの諫言はまさに宇野自身の姿勢、生き方です。

 

73才を過ぎても自転車の荷台に画材を入れて街中を走り、気に入った風景があれば、ふきさらしの土手で、炎天下の下町で、現場の空気をキャンバスに閉じ込めようとするのが、彼の絵画への執着です。

 

 

制作中の小畑。
5歳の時、事故で両手首の上から先を失いながらも、
身体全体を使って表現する躍動感溢れる書で人々の心を打ちます。

 

 

 

主な活動

 

1973年:新宿紀伊國屋画廊で初の企画展を開く。

1976年:銀座の現代画廊・洲之内徹に見出され二度の個展を開催。

1977年:梅田画廊・土井憲司と出会う。作品買い上げ。

1983年:昭和美術史を支えた羽黒洞の木村東介と専属契約を結び、朝日アートギャラリーや柊美術店、松坂屋(大阪、銀座、上野)、そごう(豊田、神戸)等の大型デパートで展覧会を実施。

1997年:アート紀元の伊藤幸和と出会う。美術ジャーナル画廊や新宿三越、梅田画廊、ギャラリーアビアント、豊田画廊他個展を開催。

2005年:妻であり書家・小畑延子との「下町の夫婦展」が江戸東京博物館で開催され、その模様はN H KのE T V特集「ぶつかりあいから芸術が生まれる」として放映された。

著書に『ぼくの旅』(2014年、皓星社)がある。目下、豊田市の「矢作新報」に随筆連載中。

 

2005年に江戸東京博物館で開催した「下町の夫婦展」。
地元平井の知り合いをはじめ、多くの方に足を運んでいただき、大盛況のうちに終えることができました。

 

トップページにもあります《橋》という作品は、瀬戸内寂聴さんの著書
『それでも人は生きていく 冤罪・オウム・反戦・反核』(2013年、皓星社)
の装画としても使われた思い入れのある作品の一つです。

 

 

プロジェクト概要

 

ご支援いただいた資金は、画集の製作費の一部に充てさせていただきます。このほか、デザイン費用や、作品そのものを撮影する費用として皆様にお力添えいただきたいと思います。

 

【制作予定画集について】

・B5サイズ画集『賚ーらいー』

・著者:宇野マサシ

・発行部数:500部程度

・版元:株式会社皓星社

 

【資金使途】

用紙代・製本代・印刷代:1,000,000円

レイアウト代:200,000円

作品の写真撮影代:300,000円

 

《画集へのお名前掲載》

Special thanksとして、画集の巻末に全員のお名前を掲載させていただきます。

掲載をご希望されない方はその旨、匿名ご希望の方は合わせてご指定の名義をご記載ください

 

ぜひ皆様に完成した画集を手に取っていただき、日本の津々浦々に埋もれている「生活のにおい」を感じ取っていただければ、画家にとってこれ以上の幸せはありません。

 

また、この混乱した情勢が終息した暁には、開催時期は未定ではありますが、出版記念の展示会を開き、皆様に直接作品を見ていただきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。

 

<プロジェクト終了要項>

製作物:B5サイズ画集『賚ーらいー』

出版完了予定日:2022年1月31日

著者:宇野マサシ

発行部数:500部

版元:株式会社皓星社

 

プロフィール

宇野マサシ(事務局:株式会社皓星社)

宇野マサシ(事務局:株式会社皓星社)

1948年愛知県豊田市に生まれ、高校二年生の時書道家を志して大阪の書道用具店へ住み込んだが挫折。二度と郷里には帰れないと思い、この時から放浪の旅が始まった。ある日、ふらりと立ち寄った書店で佐伯祐三の画集に出会い、書道の線に通じるものがあると感じたのが油絵の道を歩む契機となった。単身上京後は新宿美術研究所にて山口長男、麻生三郎らから基本を学び、同時にボナール、スーチン等の色彩の持つ生命力に感銘を受ける。その後は日本海側を中心に寝袋での旅を続け、働きながらその原風景を描いた。長く滞在した大阪の西成、東京の山谷は今でも第二のふるさとだと感じている。現在は書家である妻・小畑延子と共に下町平井で暮らす。

リターン

3,000


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お気持ち支援セット

※他コースに加えてご支援いただける場合、お気持ちを上乗せしてご支援いただけるコースです。ご希望のご支援口数をお選びください。
また、ご希望の方はSpecial thanksへお名前を掲載いたします。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

5,000


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画集+絵葉書セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載

完成した画集と絵葉書のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

10,000


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画集+絵葉書+小色紙セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・小色紙

完成した画集と絵葉書と小色紙のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。

支援者
2人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

30,000


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画集+絵葉書+額装スケッチセット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・額装スケッチ

完成した画集と絵葉書、スケッチのセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。
スケッチ作品には額がついています。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

50,000


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画集+絵葉書+額装油絵(小品)セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・額装油絵小品

完成した画集と絵葉書、油絵小品のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。
油絵小品には額がついています。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

100,000


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画集+絵葉書+額装油絵(0号)セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・額装油絵(0号)

完成した画集と絵葉書、油絵のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。
油絵は額つきで、0号サイズです。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

200,000


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画集+絵葉書+額装油絵(4号)セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・額装油絵(4号)

完成した画集と絵葉書、油絵のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。
油絵は額つきで、4号サイズです。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

300,000


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画集+絵葉書+額装油絵(6号)セット

・画集
・絵葉書5枚
・Special thanksへのお名前掲載
・額装油絵(6号)

完成した画集と絵葉書、油絵のセットです。
絵葉書は7種のうちよりランダムで選んだ5枚をお届けいたします。
油絵は額つきで、6号サイズです。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年2月

プロフィール

1948年愛知県豊田市に生まれ、高校二年生の時書道家を志して大阪の書道用具店へ住み込んだが挫折。二度と郷里には帰れないと思い、この時から放浪の旅が始まった。ある日、ふらりと立ち寄った書店で佐伯祐三の画集に出会い、書道の線に通じるものがあると感じたのが油絵の道を歩む契機となった。単身上京後は新宿美術研究所にて山口長男、麻生三郎らから基本を学び、同時にボナール、スーチン等の色彩の持つ生命力に感銘を受ける。その後は日本海側を中心に寝袋での旅を続け、働きながらその原風景を描いた。長く滞在した大阪の西成、東京の山谷は今でも第二のふるさとだと感じている。現在は書家である妻・小畑延子と共に下町平井で暮らす。

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