なぜ、エストニアから「毛織物(ニット)」の輸入ビジネスをはじめたのか?

 

そもそも、私、高橋が、何をやっていたのか、どこにもアップしてなかったので、いまさらなんですが、自己紹介します。


これは、10年以上前に書いた、お客さまへの手紙です。長文ですが、全文掲載します。

 

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このたびは『北欧エストニア編込ニット』をお買い上げ頂き、誠にありがとうございました。

 

当ショップは99年7月に楽天市場に出店いたしました。その当時はインテリア雑貨店として運営しておりましたが、ただセレクトするだけでなく、自分達で買い付けたい、オリジナル品をみつけたいと、外国の情報を集めてまいりました。買い付けに行ったり、輸入雑貨に詳しい方とコンタクトを取ったり、いろんなことをしましたが、「これだ!」と確信を持てるものには巡り会えませんでした。そんな折、社長の弟さんから、バルト3国のエストニアというところに、手編みのニットがあることを教わりました。

 

北欧にある小さな国、手編みのニット・・・なんだか、すごく惹かれたのを覚えています。

 

調べてみると、北ヨーロッパに伝わる伝統のニットは、中近東にその起源があり、バイキングにより、バルト海から北ヨーロッパ全域に広がったということがわかりました。 アランセーター、ノルディックセーター、カウチンセーターなどなど・・・。それに匹敵するような、まだ誰も知らない新たな伝統ニットがあるのかもしれない、それを紹介するのが自分!?

 

成田を出発し、デンマークで飛行機を乗り継ぎ、丸1日、バルト3国の一番北の国エストニアの首都タリンに到着しました。

 

「やった!」そう思いました。タリンは手工芸の宝庫、まさに「セーターおばさん」の街だったのです。城壁に囲まれた旧市街は中世そのもの。街全部が世界遺産なんです。石畳の曲がりくねった路地、高い尖塔や小高い丘に立つ城、ユトリロのような情景。その路地の中に伝統のカーディガンやミトン、靴下などを売るクラフトショップが何軒も並んでいます。城壁にはセーターの壁と呼ばれるニットだけの市場があり、外の路上では、腕にセーターを抱えた「セーターおばさん」が「セーターはいらんかね」と声をかけてくるんです。 帰国して東京国立市のアトリエで販売したところ、ものすごい好評でした。

 

本格的に仕入れようと、次に向かったのが「エストニア人の(心の)故郷」と書かれている、サーレマー島。ここだったら、本格的なニットをあつかう業者がいるかもしれない。 長距離バスに何とか乗り込み、船にゆらゆら揺られ7時間ぐらいかけて、着きました。島のメインストリートらしきところにある、おみやげ屋さんをのぞいて、「やっぱり!」と踊りあがりました。デザインも質も、断然いままでの数段上、というニットが並んでいます。色合いもカラフルで、モチーフや配色のセンスもよくひとめで気に入りました。でも、手にとるもののほとんどが、日本人には大きすぎます。落ちついて話を聞いてみると、ニットの会社のようなものはなく、個人がお店に持ち寄り、サイズは小さいものはほとんど作られないとのこと。いちばんの目的である、日本への輸出も断わられました。

 

ニットを作っている人のところまでなんとか辿りつきたい、そして日本まで送ってもらえるよう、交渉したい、そんな気持ちばっかりがあって、伝えようがない。とにかく無念でした。悲しくなりました。

 

それからの出張は、小さいサイズを求めて古都タリンをひたすら奔走の日々でした。郵便局を利用しての発送は条件がきびしく、毎日10キロのダンボールをホテルから歩いて持ち込んでいました。小さい雹(ひょう)のような雪は、積もらない雪です。ダンボールを両手でもっているので防ぐこともできず、突風が吹くと下から舞い上がり顔をたたきつけ、寒さのあまり涙が出ました。 それでもめげずに、1日30件以上お店を回った日もありました。凍りついた石畳は歩きなれてないせいもあり、夕方になるとひざがガクガクして転ぶこともしきりでした。日本人サイズを作ってくれませんか? 日本に送ってくれませんか? たどたどしい英語での交渉は全て失敗しました。商社の経験もない、満足に英語もしゃべれない、自分には輸入なんて無理ではないか?

 

そんなある日、エレベーターを待っていると「観光ですか?」と声をかけられました。(あれ、日本語だ)と思い、振り返ると、日本人の年配の男性。「いえ、ビジネスです」と答えると、ほう、といった表情。そのあと、何日か、フロントでお茶を飲んだりしていろいろ話を伺いました。その方は海外専門の投資家だったんです。フランチャイズや不動産開発とかをしてるんだとか。もう滞在もあとわずかという日に、「どうしていいかわからなくて、正直やめようかと思っていたんですが、いろいろ話を伺って、自分だってやるぞという気になりました。ありがとうございました」というと、「あなたは、とてもユニークな人だね。けれど、たぶん、このままでは埒が明かないでしょう。明日もう1度ロビーで会いましょう」 翌朝、とんでもない急展開が待っていました。なんと、エストニア人の青年を連れてきて、「彼がニッターの村につれてってくれるから、そっから先は自分でおやんなさい」と。

 

ぽつぽつと家が増えはじると、町のロータリーに出て、またなにもない、見渡すかぎりのまったいらな雪景色。森の中をどかんと通しただけの一本道。そんな景色の繰り返し。「もう少しで着きます」と声をかけられたのは4時間後。凍った湖を横にし、なだらかな丘が終わり、高台を登りきったところに、ラトヴィアに程近い、最果ての小さな村「カルクスヌイア」はありました。 小屋の前で、二人の女性が出迎えてくれました。たどたどしい英語で、日本人は小さいこと、明るく楽しい柄にしてもらいたいことなど、一生懸命伝えました。そう、ついにやれたんです。日本人サイズで、たくさん発注することが!

 

私にとって、だからこの『北欧エストニア編込ニット』は、大冒険の末にみつけた宝物みたいなニットです。この『北欧エストニア編込ニット』は、必ずやお客様を心から暖めるおしゃれなカジュアルウェア、リラックスタイムのかかせない1着として、お役に立てることと確信しております。

 

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「世界には、こんな場所や人や手工芸品があるんだ、教えてくれてありがとう」と言う、嬉しいお声をたくさんいただきました。おばあちゃんニッターとの温かい交流の輪もできました。このような繋がりを、もっともっと広げたいと思い、途上国の産品の流通支援をはじめました。

 

そして、いま、カンボジアの読み書きできない女性が紡ぐシルクの物語を全国に届ける活動に命をかけてます!応援お願いします!

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