私がカンボジア支援に入って行ったきっかけとなったひとつは、学校に集まってもらった生徒のお母さん達でした。10代~30代のお母さん達30人程。簡単な手紙を用意して配ったのですが、配り終わった時、代表のお母さんがそれを全部回収して私に返してきました。そして言いました。

「私達にこれは必要ありません。みんな字が読めませんから…」と。字が読めない大人が多いことは知っていたのですが、集まった全てのお母さん達が自分の名前さえも読めないその現実はとてもショックなものでした。

そのお母さん達に仕事を依頼し、賃金を支払ったときも同様の事が起こりました。

自分の名前も読めず、簡単なお金の計算もできず、支払は困難を極めたのです。

 

 

日本とカンボジアのこの大きな格差に愕然としました

 

カンボジアの国に平和が訪れたのは1990年代に入ってからです。国を立て直すにはそれを可能にする『人材』が必要ですが、その人材がポルポト政権下で皆殺しにされてしまったカンボジアにおいて、教育を担う学校がなく、教える先生もいない、更には先生を育てる『先生』がいないという大変な事態になっていたのです。

 

村の大人たちが読み書きできない国、そんな大変な状態を目の当たりにしてしまったのです。

 

物の溢れる豊かな日本と、村の大人の多くが教育の機会を奪われ簡単な読み書きさえできないカンボジアの国、同じ今を生きる者として、この格差を見て知ってしまった者として、黙っていることはできませんでした。

今まで沢山の恩を受けて生きてきた自分が、今度は、その恩を返していく番だという思いが湧き上がってきました。

 

カンボジアの国に教育は必須です。

私達の様な小さな団体にとって700万円という建築費用は大変大きな金額です。

しかし、私達にできることー「必要なところに支援を届ける」為に今精一杯頑張っています。皆様のお力添え心よりお待ちしております

 

 

 

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