支援総額
目標金額 1,200,000円
- 支援者
- 218人
- 募集終了日
- 2022年2月28日
三女婿よりメッセージが届きました!
三女婿とわたしは「遺稿を世に出すためにはどうすれば良いか」を一緒に考えてきました。三女婿は身内であるとともに森太郎と同じ学者という職業であり、特別な思いを持って書籍作成、クラウドファンディングに関わってくれたようです。少々長いですが、ぜひお読みください!
「蛤のふたみ」に見る夫婦の在り方
濱森太郎・千春の三女の婿
――お父さんのこと書いてみたらどうですか。
長年に渡る介護の疲れを癒す暇もなく葬式を取りまとめ、憔悴しきった義母・千春に、ふと語りかけたこの一言を昨日のように思い出す。なぜあの日、わたしはあのようなことを話したのだろう。確かに、義母から「残っている森太郎の原稿をなんとか出せないだろうか」と尋ねられたのは一つのきっかけだった。しかしそれだけではない。自らの専門分野にとどまることなく深く、広い知識を持ち合わせた義父には同じ研究者として憧れを感じていた。また、時々みせるぶっとんだ一面で周囲を驚かせながらも、基本的には、常に人生をポジティブにとらえ丁寧に生きている義母。彼らが50年にも渡って紡ぎあげた夫婦生活という名の一大叙事詩を濱家の中の思い出だけで終わらせるのはもったいない、文章として残すべきだと感じたのだ。
まさか、わたしの一言からこのような大作が生まれるとは夢にも思わなかった。しかし、本書『芭蕉の花咲く庭』を通して義父の魅力を余すところ無く伝えることができ、また義母も執筆を通しながら半生を振り返ることでまた元気を取り戻すことができた。また、わたしたち娘夫婦は知らなかった彼らの出会いや心情の移り変わりも知ることができ、結果的に、夫婦の在り方や理想的な人生について考える貴重な機会を得ることができた。
ここからは私の目から見た義父・森太郎の姿や義父との思い出をお話ししたいと思う。
―――
後に義理の父となる濱森太郎に初めて出会ったのは2010年の冬であった。三重大学の教授であった義父は翌年退官する予定であり、身内だけのささやかな退官記念パーティに「特別ゲスト」として招待されたのである。サプライズの演出が大好きな義母・千春の発案であった。三女にあたる彼女(将来の妻)とは交際して1年ほどであったが、二人とも勉学に勤しみ働いてなかったこともあり、結婚はまだ先と考えていた。義父には交際していることすら知られていなかった。
当時わたしは博士号を取得したての研究者の卵であった。いや、研究者の職を得ていなかったのだから正確にはまだ卵と呼べる代物ですらなかった。そんな中途半端な自分を恥じていたので大学教授の義父に会うのは勇気がいった。研究の世界を知り尽くしている教授という立場である。娘のことを思い「生半可な気持ちで交際しないで欲しい」などといった説教のひとつは当然覚悟した方が良い。説教どころか、もしかしたら激怒されるかもしれない。一生に一度の記念の宴を台無しにしたくはなかった。とにかく「職業柄、父は分野を問わず本が好きだよ」という事前の情報があったので、自分が研究の道に入るきっかけとなった本を1冊ささやかなプレゼントとして持参した。
近鉄の賢島駅を下車し、初対面の(将来の)義母から「今日はよろしくお願いします」とにこやかに挨拶をされ、これから始まることを想像してさらに緊張した。志摩観光ホテルの出入り口をくぐり、エレベータを使って上にのぼり、ぎこちない足取りで一室に入ると、義姉夫婦などに囲まれた義父は楽しそうにしている。彼女には「研究室の先輩だよ」と残念な紹介をされたのだが、義父は全てを悟ったように「二人きりにしてくれないか」と皆に告げた。和やかなパーティは即座に一時中断。わたしだけが初対面の義父の前に残されることとなった。
時間にして10分くらいだっただろう。不安定な研究者の立場への理解を示しながらも、「娘と仲良くやっていってください」と伝えられた。万一のときには職探しも含めて力になるから頑張って欲しいと言われたことを強く記憶している。それは、温かさに溢れたエールであった。安堵して一気に力が抜けた。その後、パーティは再開となったが、共に食したフルコースのディナーは何を食べたか覚えていない。
2011年、わたしは理化学研究所で研究者としてのキャリアをスタートさせた。大学院生であった彼女も無事に就職先が決まったので、期は熟したと決心して挨拶に向かった。このときも義父は既に察していた。こちらが固まって無言のうちから「鮎を食べにいきませんか?」という粋な計らい。車で40分ほどかけて到着したのは緑に囲まれた風情ある建物だった。竹筒に注がれた日本酒を味わいながら、鮎づくしの料理を楽しんだ。理化学研究所での研究の話などもしながら、リラックスした気持ちで「娘さんと結婚させてください」と伝えることができた。翌年春の結婚式には、義父は車椅子の身でありながら三重から東京銀座へ駆けつけてくれた。
結婚後、年に2、3回の頻度で三重に帰省した。後になって長野の山小屋が整備されて以降は、帰省先が三重から長野になることもあった。毎回手の込んだ料理が食卓にずらりとならび、夜遅くまで義父や義姉夫婦と食事を楽しんだ。聞けば、メニューは義父が考えているのだという。また、文学博士である義父の話は物語を聞くようであった。専門の松尾芭蕉だけでなく、歴史、経済、地理・・・。淀みなく流れ出る知識の幅広さにいつも感嘆した。わたしは研究者となったものの、数年間これといった成果が出せずに苦しんでいた。ただ、この帰省の瞬間だけは精神的なプレッシャーから解放されるような気がしていた。「今なにを研究されているのですか?」宴の場で義父に聞かれるたびに、自分がホットだと思う研究トピックを交えながら説明した。分野の違う医学生物学の内容を義父は興味深く聞いてくれた。2016年、2017年に先天性の運動障害の研究成果を相次いで報告した際には、特に興味深そうであった。義父は自身の病気と重ねていたのだと思う。
義父には日本語で書いたアルツハイマー病の総説を校正してもらったこともある。文章のプロの指摘には「なるほど」と思う部分が多く参考になった。その校正原稿は今でも大切に保管している。
2020年の春頃から義父の体調が優れないという知らせをたびたび聞くようになった。ただ、コロナ禍である。ワクチン接種も進んでおらず、基礎疾患のある義父に会いに行くことは躊躇われた。さらに言えば、濱家ではモノゴトをポジティブに言う傾向があり「お肉が食べられないから退院した」などと病状の深刻さは詳しく伝わってこなかった。12月4日の訃報はあまりにも突然であった。もし亡くなることが分かっていたなら、緊急事態宣言下であっても会いにいきたかった。通夜や葬式の間、義父との思い出が頭を巡った。出会いの時から感じていたサポートへの感謝とともに、お返しらしいお返しを何もできていない自分が悔しかった。
―――
義母が粗方の原稿を書き上げてからは、タイトルや文章構成など本書の作成に向けたお手伝いを微力ながらさせていただいた。妻や友人たちの力を借りながら、義母の伝えたいことがより良い形で伝わるように努めた。
義母が書き上げた本書を眺めていると、義父に対する思いが本の至るところに溢れ出ていて、ハッとさせられる。「遺稿を世に出す」というのが当初の目的であったが、50年という長きにわたって連れ添った夫婦の本だと思う。
2022年1月 思い出の山小屋にて
リターン
3,000円
『芭蕉の花咲く庭』送付コース
・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
- 申込数
- 116
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年10月
5,000円
『芭蕉の花咲く庭』+既刊セット送付コース
・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
・濱 森太郎の既刊を2冊お送りします。
- 申込数
- 33
- 在庫数
- 67
- 発送完了予定月
- 2022年10月
3,000円
『芭蕉の花咲く庭』送付コース
・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
- 申込数
- 116
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年10月
5,000円
『芭蕉の花咲く庭』+既刊セット送付コース
・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
・濱 森太郎の既刊を2冊お送りします。
- 申込数
- 33
- 在庫数
- 67
- 発送完了予定月
- 2022年10月
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