松尾芭蕉の研究者であった夫、濱 森太郎の遺された原稿を世に出したい

松尾芭蕉の研究者であった夫、濱 森太郎の遺された原稿を世に出したい

支援総額

2,033,000

目標金額 1,200,000円

支援者
218人
募集終了日
2022年2月28日

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2022年01月23日 18:18

中山淳雄さんより書評をお送りいただきました!

濱森太郎は三重大学出版会の設立・運営に中心メンバーとして関わってきました。書籍の編集作業の他に、特に力を入れていたのが「日本修士論文賞」の設置でした。今回、過去に日本修士論文賞を受賞され、現在は多方面でご活躍されている中山淳雄さん(Re entertainment代表)に書評をお寄せいただきました。ぜひぜひお読みください!

 

______

 

大学出版会のエンジェルキャピタルを作り上げた濱森太郎教授の人生録

中山淳雄(第4回日本修士論文賞受賞者)

 

私は2007年に処女作『ボランティア社会の誕生』を第4回日本修士論文賞を受けて、出版した。最初の打ち合わせは今でも忘れない。

大学院を卒業し、リクルートの営業マンをしていた私は、飛び込み営業をしていた合間に、三重から車で乗り付けた濱先生と日本橋高島屋前で待ち合わせ、そのまま一時駐車したワゴン車の中で打ち合わせをした。

 

扉を開けた濱先生の最初の第一声は今でも忘れない。

破顔一笑で差し伸べる握手とともに「中山先生、受賞おめでとうございます!」。26歳の、大学院もほうほうの体で逃げ出し、毎日飛び込み営業でボロボロになった私が、人生はじめて「先生」と呼ばれた瞬間だった。

 

三重大学出版会はベンチャーキャピタル(VC)であった。

修士という、学者でいうとひよこどころか卵から出ていないレベルの論文を本にして出版する、というあまりに割の悪いビジネス。私は幸運だった。この本が編集者の目にとまったおかげで、その後PHP研究所や日経BPから出版の機会を頂き、先月に6冊目となる『推しエコノミー』を上呈したところだ。すべては日本修士論文賞から始まっており、濱先生との出会いがなければ、これらは実現していない。

 

私自身は学者ではなく、DeNA・デロイト・バンダイナムコ・ブシロードといったエンターテイメント企業で働いており、そしてカナダやシンガポールなど5年間海外赴任した経験などももとに執筆をつづけ、商業出版の世界を経験してきた。そのためその後になってから、三重大学の試みがいかに無謀かつ志あふれるものだったかを知ることになる。

 

私は大学院時代は情報生産者を多く生み出す上野千鶴子研究室に所属していた。日本で最も頭が良かったと言われる人々がだいたい37年、ときには10年以上かけて書き上げる博士論文であっても、本として出版されるものは3割くらいといったところだろう。そんな中で修士論文を本にしてあげようというエンジェルは三重大学出版会の「日本修士論文賞」以外には、少なくとも日本では存在しない。私が歴史学・社会学などの東京大学の修士課程を卒業した40-50人くらいのレファレンスのなかでみても、修士論文を出版しましたという事例は2例くらいしか知らない。

 

しかし、個人として1冊の本になるという効果は、会社でいうIPOに近い効果がある。研究という非常に個人的な営みの成果を、他人の目にさらし、1冊の出版にかかる数百万円の投資を賭ける人がいたということの証明になる。それはどんなに売れなかったとしても、ググれば検索には載ってくるし、図書館にいけば少なくとも何十年たっても保存される。だからこそ、こうしたベンチャー出版社を率いてきた濱先生が202072歳で早逝され、その奥様である濱千春さんがクラウドファンディングで「濱森太郎の足跡」自体を本にしていこうという試みは十二分に理解できる。本になることで濱先生の足跡は、未来永劫残されるのだ。

 

本書は濱先生を知らない人には読みづらいものかもしれない。

彼の個人として、夫として、大学教授として、出版会編集長としての様々な記録である。ただ、彼本人を知り、恩人として感謝が絶えない私としては、深く、岩に染み入るように拝読させていただいた。私が知る編集者としての側面のほかに、研究者としても査読論文が通らない苦しさや難病を抱えながら50を超えて中国北京で苦労しながら教鞭にたったり、ヨットを手に入れて海に乗り出したり、川魚の養殖場を作ろうとしたり、食事への異様なほどのこだわりなど、この本を通すことで、本当の濱森太郎をよりよく知ることができた。「世の中とつながっていたいから」と妻の手をとりながら眠っていく闘病中の話や「おかしろかったよ(江戸時代の面白かったよという意味の言葉)」と亡くなる数週間前に最後にかけた妻への感謝の言葉など、涙なしには読めなかった。

 

松尾芭蕉は40にして旅をはじめ、50にして早逝した。『おくの細道』は彼の晩年奮起して日本中を旅した記録であり、この本が完成した1694年の同じ年に芭蕉は亡くなっている。生涯芭蕉を研究してきた濱森太郎にとって、50を過ぎてから出版会、海外渡航、事業といった活躍は、まさに自身を芭蕉を重ねてきたのではないかと個人的には思う。自失しながら江戸時代に夢遊しているかのようにふるまったり、なにより(濱先生にしか出来ない芸当だが)夢遊病としての江戸語りのなかで一度も松尾芭蕉が登場しなかったという事実から、彼が一生涯を通して研究しつづけた松尾芭蕉に、研究と活動の果てに最後は同一化することができた「研究の完成型」のようにも感じた。

 

「旅に病んで夢は荒れ野をかけめぐる」

 

本当に良い一句だ。高校時代にテスト勉強で記憶していたこの芭蕉の辞世の一句が、濱森太郎の人生を通して、まるで全然別の言葉のように彩りもって感じられるようになった。私は関東の旅先で出会った一期一会の1人でしかない人間ではあるが、たしかにその一期一会で濱先生から頂いたものは、私自身の晩節まで思い出される大切なものだ。

 

本書が出版されることを心より期待し、支援いたします。

リターン

3,000


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『芭蕉の花咲く庭』送付コース

・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。

申込数
116
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

5,000


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『芭蕉の花咲く庭』+既刊セット送付コース

・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
・濱 森太郎の既刊を2冊お送りします。

申込数
33
在庫数
67
発送完了予定月
2022年10月

3,000


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『芭蕉の花咲く庭』送付コース

・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。

申込数
116
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年10月

5,000


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『芭蕉の花咲く庭』+既刊セット送付コース

・お礼のお手紙をお送りします。
・完成した書籍1冊をお送りします。
・濱 森太郎の既刊を2冊お送りします。

申込数
33
在庫数
67
発送完了予定月
2022年10月
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