第11章「そして私は、」
みすずは佐吉の残した言葉を思い、心に誓った。「あなたのくれた生きる力と喜びと、平和への思いを、私はこれからも伝えていきます。そして、世界中で起きた様々な事件や犠牲のことを聞くたび…
もっと見るみすずは佐吉の残した言葉を思い、心に誓った。「あなたのくれた生きる力と喜びと、平和への思いを、私はこれからも伝えていきます。そして、世界中で起きた様々な事件や犠牲のことを聞くたび…
もっと見る医者はみんなの病気を放射能病とよんだ。風邪を引くのと違ってその病気は人が作った爆弾が原因だ。遠くまで飛ばされる放射能。みんなの鼻の穴、耳の穴、爪の間にもへその中にも潜り込み体をじ…
もっと見るそして人々の記憶も薄らぐ事件から50年後、焼津市は平和都市焼津宣言を行い、誓いの言葉を出した。 平和都市焼津宣言 平和 なんという 尊いことば 重々しい…
もっと見るそして佐吉はこの事件や愛吉のことを多くの人に伝え続けたいと、妻のみすずによくこんな話をしていた。 「最近ゴジラっていう映画ができただけぇンな、これがビキニ環礁の水爆実験で放射能…
もっと見る翌年5月、1年3ヶ月あまりの入院治療の後(のち)、22人の第5福竜丸の乗組員は、完全に体が回復したのではないが、自宅療養ということで退院した。遠く太平洋、赤道直下までマグロを追った…
もっと見る愛吉の死を知った佐吉は悲しみの中で思った。「辛くてもじいっと言葉を飲み込んで耐え、あらゆる事を乗り越えてきた愛吉(あいきっ)さんの心を、おらん多くの人に伝えていかなきゃなんねぇなあ…
もっと見るこうしている時にも犠牲者は出ていた。高知県まぐろ漁船第7清寿丸(せいじゅまる)乗組員、吉岡洋一19歳。免疫機能低下で5月10日パラオの病院で死亡。同じく5月10日、関西丸船長、楠…
もっと見るそれから1ヶ月半ほど、輸血と感染症の危険に対する抗生物質の投与など必死の治療が続いていた4月中旬、見えない放射能は愛吉の体も、屈強な佐吉の体も徐々に蝕んでいた。立って歩くことも出…
もっと見る翌1月22日、遠洋まぐろ漁船第五福竜丸140トン、船体の長さ30メートル、乗組員23人。家族や関係者、食産業界からも大いなる期待を受け、遠洋まぐろ漁船第五福竜丸は焼津の港を、南へ南…
もっと見るそして2週間をかけ、ようやく母港焼津に戻った第五福竜丸漁労長は、マーシャル諸島で原爆実験に遭遇し、死の灰あびたらしいと報告した。その時診察した医師はこう話している。「顔の片面が焦…
もっと見るそして私は、 作:新(あら) 器量 この物語は、第五福竜丸事件のドキュメントを元にし、自らも福竜丸の 乗…
もっと見る3,000円
「そして私は、」のCD1枚。名簿記載。
サンクスレター。
10,000円
3000円の引換券に加え、名簿に名前記載&焼津のお土産名簿記載
30,000円
10000円の引換券に加え、焼津のお土産。ギター教室体験券。