映画祭発起人の藤井順次郎と申します。そもそもこの映画祭は、映画という親しみやすい媒体を通して、日頃、自殺問題に関心がない方々にも関心を持ってもらうために発案したものです。

 

それは、私自身が会社で直属の部下を自殺で亡くした過去があり、せめて責任をとろうと会社を辞めたら、今度は自分の父が首を吊ってしまったという、非常に辛い体験があったからです。

 

自殺で人を亡くすということが、こんなにも辛いものだとは知りませんでした。自殺報道を伝える新聞にも、そんなことは書かれていません。残された者が、自責と後悔と懺悔と反省とで苦しんでいるなどということは、それまでの人生で誰も教えてくれませんでした。そして、周囲の無理解に対する怒りや怨恨や呪詛や絶望で頭が狂いそうになるということも、まったく知りませんでした。

 

もうあれから6年になりますが、当時の気持ちを思い出すだけで苦痛です。一言で言えば、地獄の苦しみ。比喩ではなく、本当に地獄でした。死んだ方がマシとさえ思いました。ですが、私が死ななかったのは、まだ自分の兄が生きていたからです。もし私が自殺すれば、兄にとっては、父と弟を立て続けに自殺で亡くすことになります。二人立て続けに自殺されることの苦しみを自分自身よく知っているだけに、その地獄を兄に与えることだけは、絶対に避けなければならない、と踏みとどまりました。

 

会社を辞めた後、アフリカにボランティア活動をしに行きました。実際に活動したのはほんの半年ほどの期間でしたが、そこでは日本の社会とは大きく隔たる現実を目の当りにしました。アフリカではどの国でも地域のコミュニティーの力が強く、一人で孤立している人はどこにもいません。おカネは誰も持っていませんが、助け合いの精神で皆が生き生きと暮らしていました。聞くところによると、どうやら、アフリカでは自殺する人はほとんどいないらしいのです。

 

だとすると、もしかして自殺は日本特有の社会問題なのではないか、という疑念が生じてきました。私の部下も私の父も、社会のサポートがあったなら、ひょっとして救えた命だったのかもしれません。しかし、当時の私はそういう考えには至らず、ただひたすら自分を責めました。その結果、自分一人で非常に苦しみました。でも、人と人とのつながりが自殺を減らすことができるとすれば、どうでしょうか? 実際、アフリカではそうした社会が存在しているのです。

 

そう、これは明らかに日本社会の問題なのです。日本では未だに、自殺は個人の問題とする風潮がありますが、それは違います。自殺は社会の問題です。片や、アフリカのように自殺者がいない社会があるのに、片や、日本のように毎年3万人近くの自殺者を輩出する社会があるというのは、どう考えてもおかしいのです。

 

親密な人を自殺で亡くすことくらい、悲しいことはありません。どうして助けてやれなかったのか、と、多くの人が自責の念を抱くことになります。亡くなった人との距離が近ければ近いほど、自責の念は増加します。でも、日頃からそういう危機感を持っている人は少ないでしょう。それは、自殺の危機は誰にでも訪れるのに、どこか他人事として捉えているからです。まるで、かつての私のように。

 

そして突然、予想もしなかった事態に巻き込まれ、右往左往して自分を見失うことになるのです。そうならないためには、自殺問題に対する予備知識が絶対に必要です。本当に突然、人は死ぬのです。死なせないためにできることは、いくらでもあります。たかがメール1本、電話1本で、その人の命が救えるかもしれません。誰かとつながっているという感覚ほど、自殺予防に役立つものはありません。私自身は兄という存在があったことで、自殺の誘惑から逃れることができました。

 

知って欲しいのです。誰かの自殺がもたらす後悔の大きさと、誰かの自殺を防ぐためのほんの些細な方法を。そして私は、自殺問題を知ってもらうためには、映画という日常的なメディアが最も適しているのではないかと思いました。コトバでメッセージを伝えるより、映像を通したメッセージの方がはるかに多くの人に伝わります。だから、映画祭という方法が良いのではないかと考えたのです。

 

こういう発想自体は良かったらしく、すぐにライフリンクの清水代表からも、映画祭実行のGOサインが出ました。しかし、いざ作品選定を進めてみると、自殺問題を我々の社会の課題としてきちんと描いている作品は少ないことがわかってきました。例えば、映画の中で自殺者が出る話であっても、その主人公の特有の悲劇と描かれたり、逆に変に美談に仕立てられていたりと、ほとんどの作品では自殺は個人に起因する問題として処理してしまっているのが現実でした。また、残された者の悲しみについても、描き方が足りない作品が多く見られました。

 

そんな中、出会ったのが、今回上映したいと思っている『十字架』です。

初めて観た時は衝撃でした。映画館の中で呻き声をあげそうなくらい、激しく嗚咽しました。私個人は父親の立場に感情移入して、何もしてあげられなかった後悔の念を思い出してしまいましたが、この映画は観る人によって、弟の立場に共感する人や、母親の立場に共感する人、そして、もちろん「親友」扱いされた主人公に共感する人など、さまざまな観方が可能となっている作品です。

 

この作品で描かれているのは「いじめ自殺」ですが、テーマを教育問題だけに押しとどめることなく、自殺で残されたすべての人が背負う十字架をテーマにしている点で、非常にユニークな観点を持つ作品です。自殺をテーマにした映画祭を実行するなら、まさにうってつけの作品ではないかと思いました。

 

自死遺族のことはニュース性が低いためか、メディアでもあまり語られることがありません。しかし、もっと知って欲しい問題だと思います。だから、この作品はなんとしても映画祭で上映しなければなりません。仮に年間3万人の自殺者がいるとすれば、その背後には、毎年10万人以上の自死遺族が発生している計算になります。それが10年経てば、100万人以上。決して他人事ではないのです。

 

ちなみに、もう1本の映画、『人生、ここにあり』を上映予定ですが、これもすごく良い作品です。この2本を同じ日に上映し、命の大切さについて考えてみる。1年に1度くらい、そうした日があっても良いのではないでしょうか? そこで今回の映画祭を実現させるために、ぜひ、皆様のご寄付をお願いしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。


 
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