お早うございます。松竹大谷図書館の武藤祥子です。

10月に入りまして、プロジェクトもあと21日となり、最近直接ご支援をお預かりする事も増えてきました。「今すぐ支援を…」とのお言葉と共に、松竹大谷図書館のカウンターでお預かりしたり、「パソコンは使わないので…」との事で遠方からご支援を送って下さったり、といずれもお心のこもったご支援を託していただいております。

目標金額まであと約90万、皆様のお気持ちに応えられるよう頑張ってまいります!

 

さて、前回の鶴田浩二さんの新着情報に続き、今回も【映画台本】 作品リストより、美空ひばりさんの作品をご紹介いたします。

 (※番号は台本作品リストの番号です)

 

65 『悲しき口笛』(1949)家城巳代治監督

66 『東京キッド』(1950)斎藤寅次郎監督

67 『とんぼ返り道中』(1950)斎藤寅次郎監督

68 『母を慕いて』(1951)斎藤寅次郎監督

69 『あの丘越えて』(1951)瑞穂春海監督

70 『リンゴ園の少女』(1952)島耕二監督

71 『ひよどり草紙』(1954)内出好吉監督

72 『伊豆の踊子』(1954)野村芳太郎監督

73 『七変化狸御殿』(1954)大曾根辰夫監督

74 『娘船頭さん』(1955)萩原徳三監督

75 『ふり袖捕物帖 若衆変化』(1956)松村昌治監督

76 『希望の乙女』(1958)佐々木康監督

77 『ひばり捕物帖 自雷也小判』(1958)深田金之助監督

78 『東京べらんめえ娘』(1959)佐伯清監督

79 『千姫と秀頼』(1962)マキノ雅弘監督

80 『新蛇姫様 お島千太郎』(1965)沢島忠監督

 

本年は、美空ひばりさんの生誕80年にあたります。「歌謡界の女王」と呼ばれた大スターの美空ひばりさんですが、実は映画にも170近くの作品に出演しており、そのほとんどが主演作です。

 

歌好きの両親の影響を受け、幼少期より歌唱力に優れていた美空ひばりさんは、父が率いるミソラ楽団で1945年12月に横浜の杉田劇場にて8歳で初舞台を踏みます。当時歌謡漫談で活躍していた川田晴久にその才能を見込まれ、舞台の評判を聞いた、喜劇の神様といわれた映画監督の斎藤寅次郎の目に留まったことで、1949年には映画へも出演します。

上の写真は、リストにある全ての台本です。左上より、65 番の『悲しき口笛』から、80 番の『新蛇姫様 お島千太郎』まで、16作品が揃っています。

 

数本の映画に出演後、初めて主演した『悲しき口笛』(1949年)は、同タイトルの主題歌と共に大ヒットし、当時12歳の美空ひばりさんの人気は高まりました。この作品での燕尾服で歌い踊る美空ひばりさんの姿は、現在でも良く目にしますね。

1950年5月には、二世部隊記念碑建立基金募集のため、川田晴久とともにハワイ・アメリカ西海岸で約2ヶ月間公演。帰国後、川田晴久と2人で主演した『東京キッド』(1950年)が公開されると、同名の主題歌のレコードも大ヒットし、人気を集めます。監督は斎藤寅次郎で、両親を殺された越後獅子の主人公を演じた『とんぼ返り道中』(1950年)、生みの母と育ての母との親子愛を描いた『母を慕いて』(1951年)など、この時期美空ひばりさんを主役に据えた作品を多く監督しています。

 

『あの丘越えて』(1951年)では、同じく当時人気スターだった鶴田浩二と共演。鶴田浩二演じる大学生を慕う、山の牧場でのびやかに育った娘を演じました。同年の5月新芸術プロダクションが設立され、美空ひばりさんは川田晴久ともに専属となります。

そして連続ラジオドラマを映画化した『リンゴ園の少女』(1952年)でも主題歌の「リンゴ追分」がヒットし、当時最大となる70万枚の売り上げを記録。『ひよどり草紙』(1954年)では、相手役に歌舞伎俳優の中村錦之助(後の萬屋錦之介)を抜擢、中村錦之助はこの映画をきっかけに映画俳優としてデビューしています。また、『伊豆の踊子』は、戦前より6度も映画化された川端康成の名作で、ヒロインの踊子・薫役は、各時代で人気を集めていた女優が演じており、野村芳太郎監督がメガホンを取ったこの1954年版でも、人気絶頂だった美空ひばりさんが石濱朗を相手役に薫役を演じています。

 

(左)『伊豆の踊子』(1954年)台本、(右)台本カバーは経年劣化のため破損し「イ豆の踊子」となってしまっています…お名前をお入れするときは新しいカバーに作り替えますのでご安心ください

 

『七変化狸御殿』(1954年)はオペレッタ形式の喜劇で、高田浩吉、川田晴久、伴淳三郎、堺駿二などの名優が勢揃いし、狸の世界を舞台に歌あり踊りありの荒唐無稽な喜劇を繰り広げる作品です。『娘船頭さん』(1955年)は、水辺の町潮来で漁師の祖父、渡しの船頭の兄と暮らす娘と、東京からやってきた美術学校生のはかない恋が、『伊豆の踊子』に続いて石濱朗を相手役に描かれています。『ふり袖捕物帖 若衆変化』(1956年)は、1955年に美空ひばりさんの映画でデビューしてたちまち人気を集めた大川橋蔵との共演作です。2人の高い人気に1955年から1958年にかけて共演作が数多く製作されました。

 

映画会社と俳優との間に専属契約が結ばれていた時代に、美空ひばりさんはその人気ゆえ、1社にとどまらず複数の映画会社の作品に出演していましたが、1958年7月には、東映と専属契約を結び、新芸プロを離れてひばりプロダクションを設立します。東映との専属契約後の第1作目であるミュージカル映画『希望の乙女』(1958年)は、美空ひばりさんの芸能生活10周年記念の大作です。東映では、タイトルにひばりの名前が冠せられた映画が、1963年12月に東映との専属契約を解除するまで14本製作されました。シリーズものも多く、『ひばり捕物帖 自雷也小判』(1958年)などの「ひばり捕物帖」シリーズ(4作品)、『東京べらんめえ娘』(1959年)から始まる「べらんめえ」シリーズ(10作品)が作られています。

1962年は、美空ひばりさんがブルーリボン賞の大衆賞を受賞した年です。当時20代半ばで既に140本近くもの映画に出演しており、この記念すべき年に公開された映画が、時代劇の巨匠マキノ雅弘が手掛け、中村錦之助と共演した大作『千姫と秀頼』で、東映の全盛期を支えてきた2人の大スターの共演は話題を呼びました。

東映との専属契約が終了した後は映画への出演は減少し、1965年に公開された、川口松太郎の名作の映画化『新蛇姫様 お島千太郎』では、それまで舞台で共演していた林与一と初めて映画で共演して息の合った演技を見せましたが、1971年に公開された芸能生活25周年記念映画『女の花道』と、ドキュメンタリー映画『ひばりのすべて』を最後に、映画界から離れ、歌手としての活動が中心となっていきます。

 

国民栄誉賞も受賞した、稀代の大歌手であり大スターの美空ひばりさんですが、こうして主演した映画作品を見てみますと、日本映画にも欠かせない存在だったことがわかりますね。

 

次回の新着情報では、永遠の青春スター、石原裕次郎さんの映画台本の作品リストをご紹介します。

新着情報一覧へ