お早うございます。松竹大谷図書館の武藤祥子です。

 

プロジェクトも22日目となりまして、お蔭様でこれまで頂いたご支援がもう少しで40%に届きそうです!しかしプロジェクトの成立にはあと約151万円のご支援が必要です!引き続きプロジェクトへのご協力・応援をどうぞよろしくお願い致します。

 

さて少し間が空きましたが、9月18日9月19日の新着情報に続き、今回も【音貞アルバム】に貼り込まれた資料の中から、サンフランシスコでの義援興行に関する新聞記事をご紹介します。

 

(前回の新着情報までのあらすじ)
最初の興行地サンフランシスコで興行の売上を持ち逃げされた川上音二郎・貞奴一座。劇場代や宿泊費などの負債を抱え、衣裳や小道具も差し押さえられ大ピンチに。そんな川上一座に、現地邦人たちが手を差し伸べ、6日間の義捐興行が行われましたが、その収入と寄付金だけでは、窮地を脱する事は出来ませんでした。

 

そこで10日後、再度の義援興行が催されました。

「開場広告 又意外九幕 意外九幕 此度川上一流の壮優連を以て来る八月五日より向ふ三日間毎日午後八時より當座に於て開場仕候間賑々敷御来観の程奉希上候敬白 明治三十二年八月四日 興行人菊水座々主 百拝 在留諸君 入場切符は午後三時より売出申候」

 

9月18日の新着情報でご紹介した音二郎の御礼広告が載った8日後に掲載された菊水座という劇場の開場広告です。8月5日より3日間、毎日午後8時より菊水座で上演される事が報じられています。

 


同じ台紙には、再度の義援興行が行われる事と、この興行により残った負債のうち幾分かを償却したのち、川上一座が北行しようとしているのを、とにかく送り出してやろうとする現地邦人の心情を報じる新聞の切り抜きが貼られています。また青木という名前を含む6名の有志が25ドルを一座の汽船賃として寄付した事や、他の有志が旅費の周旋を始めている事など、サンフランシスコの現地邦人が、災難にあった川上一座の為に、色々と骨を折っている状況が記載されています。現地邦人の義侠心が感じられる内容ですが、それだけ応援したくなる魅力が川上一座にはあったのでしょう。

 

菊水座での義援興行の演目、『又意外』と『意外』は川上一座の人気演目で、最初の義捐興行同様に衣裳や小道具を使用しなくても上演できる現代劇でした。2演目とも、最後の大詰が犯人捕縛の場であったり、裁判の場であったり、という推理劇で内容もそれなりに複雑であったと思われますが、川上一座の欧米公演の中でも、日本語の台詞を理解できる現地邦人の観客が多い義援興行ならではの狂言建てであったと思われます。

 

『又意外』明治27年2月浅草座絵本番付表紙
『又意外』明治27年2月浅草座絵本番付挿絵

 

『又意外』は、この義援興行が行われた5年前の、明治27[1894]年2月浅草座で初演されています。初演時の新聞には、音二郎がフランスでの演劇視察中に見聞した話を元にしたとあり、絵本番付の表紙にもわざわざ「佛蘭士(フランス)土産」とありますが、実際は当時世上を騒がせた華族の御家騒動を下敷きにした内容でした。前の月に同じく浅草座で初演された『意外』も、当時起こった成り済まし事件を題材にするなど、音二郎には観客の関心を引くテーマを見抜いて素早く取り入れる才能がありました。

 


上の写真は、菊水座義援興行の『又意外』の配役が掲載された、現地の日本語の新聞です。俳優の名前の中に、音二郎の実弟、「川上磯(川上磯二郎)」(黄色枠)と「鶴子」(赤枠)の名前が見えますが、この義援興行の翌日、鶴子は現地邦人の画家・青木年雄に預けられる事となります。

 

義援興行の後、現地邦人の主だった人々から、一日も早く帰国する事を勧められ、また一座の内にも「日本へ帰りたい」という声もあったようですが、音二郎はフランスまで行く事を主張します。しかし資金も無く、足手まといの者があっては重荷になるし、また、つらい目に合わせるのも可哀想という事で、まだ子供の鶴子を青木年雄へ預け、音二郎の弟の磯二郎を西洋人の学僕に入れる事になったようです。

 

こうしてサンフランシスコを旅立った川上音二郎・貞奴一座は、その後シアトル、タコマ、ポートランド、シカゴと巡演していきます。

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