Sakura Donation〜ミャンマーの人々に生活物資を〜
支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 38人
- 募集終了日
- 2022年1月11日
代表者挨拶~パインカンッズォ~
パインカンッズォ(27)
こんにちは!
このSakura Donationの発起人をしております。
ここまでご支援をしてくださった方々、Sakura Donationにご協力くださった方々、本当にありがとうございます。
ここでは私の自己紹介をしながら、私の母国への想い、そしてこのSakura Donationにかける熱い想いを語らせていただきます。
普段は電子技師として、某通信業界の仕事をしています。
千葉県に住んでおり、仕事で日本全国に出張をする日々を送っています。
私の出身はミャンマーのネピドー(Naypyitaw)で、家族は4人います。
少し前まではヤンゴンがミャンマーの首都でしたが今はネピドーが首都です。
ネピドーはヤンゴンよりは小さく人も少ないですが、車道も広く、ホテルや観光名所もたくさんある住みやすい街でした。
ミャンマーの精神的な支柱とも言える、パゴダ(Pagoda)もあります。
子供の時は母から勉強を教えてもらい、良い友人にも恵まれました。
Uppasanti Padoda, Naypyitaw
(PC: Shutterstcok)
2012年からはヤメティン(Yametin)にある大学に進みました。ヤメティン工科大学という大学で、電子工学を主に学びました。
電子通信、PLC、ネットワーク、プログラミングなど、将来エンジニアとして働くための基礎をここで身につけることができました。
また大学時代は、学問だけでなく人生にとって大事な非常に多くのことを学びました。
現在ではもはやライフワークとなったボランティアは、大学時代に本格的に初めました。
私が大学生の時、ミャンマーのエーヤワディー川の周辺で洪水が起きました。
その時は友人と一緒にボランティアとして復興に協力しました。
そのあとも孤児院の子供達にご飯を配ったり、寄付をしたりしたのを今でも覚えています。
ボランティアをしていたときから、自分の国に教育も受けられない、日々の生活もままならない人々がたくさんいるのを目の当たりにしてきました。
活動をしている中で、自分の国の為に、人々の為に生きたい、そのような気持ちが自然に芽生えてきました。
(大学生時代のボランティア時の写真)
来日後、日本人が使わない服を簡単に捨てる姿を何度も見てきました。
高いお金を払って買った服を、気に食わないからと言ってすぐに捨てる。このようなことをする余裕はミャンマーでは、特に農村部ではありません。
もう着られない服があれば、隣の家の小さい子にあげて着てもらう、そのようなことを何回も繰り返します。
そのような何となくの違和感を感じながら生活していたのが、今回Sakura Donationを立ち上げるきっかけになりました。
(大学生時代に寄付をした際の写真)
2018年11月に大学を卒業し、そのあとは日本で就職をするために日本語の勉強に専念しました。
日本の技術力の高さや、日本文化の面白さなどは、インターネットやテレビを通じてミャンマー人の間でも有名です。
ミャンマーには今はまだ、エンジニアが働くことのできる環境は多くありません。
日本で得た経験や知識、技術力を母国のミャンマーに数年後に持ち帰ることができれば、ミャンマーの発展に貢献できるのではないか、そのような思いを持って日本語を必死に勉強しました。また日本で働いて、自分の可能性を試したいという思いもありました。
無事に翌年の6月、日本の企業から内定をいただき、数ヶ月後に無事に来日することができました。
日本で2年間必死で働いて自分の技術力を高めるとともに、出張で日本全国様々な場所に行き、日本文化の多様性を感じる日々を過ごしておりました。
元々旅をすることが趣味の私にとって、最高の日々です。
(出張中の熊本で撮った写真)
その矢先、私の耳にとんでもないニュースが飛び込んできました。
今年(2021年)2月1日、ミャンマーで国軍によるクーデターが発生したというのです。
同時にミャンマー国民の大規模なデモも起きました。
そんな中コロナ禍でミャンマーに帰ることもできない、そんな私たち海外に住んでいるミャンマー人としては、インターネットで情報を待つしかありません。
そして悲しいことにネットで回ってくるのは人々が傷つけられる動画ばかり…。
クーデター以降、ミャンマーの経済は悪化の一途を辿り、失業する人も増えました。
また物理的に家を追われた人も数知れずいます。
日常生活を送ることもできない、その様な希望が見える気配すらない、母国から聞こえてくる悲痛の叫びを数えきれないほど見てきました。
国軍がインターネットを遮断したことにより家族や友人に電話をしても繋がらない、その様な不安な地獄のような日々を過ごしてきました。
日本の皆さんがこの様な表現を好まないことは理解しています。
ただ、これらのことが、この半年以上もの間私の母国ミャンマーで起きてきた現実なのです。
(友人撮影の火災が起きている様子)
約9ヶ月経った今、事態が好転する兆しは見えません。
ミャンマーのような東南アジアの国々はいつでも夏の陽気、そのように思われている方も多くいらっしゃるかも知れませんが、必ずしもそうではありません。
6~10月の雨季は一日中雨が降り続ける日も多くあります。
12~2月には、最低気温が13℃前後にまで下がる日もあります。
また北部では雪が降る地域だってあるんです。
そこで私は少しでもそのような衣食住のままならない母国の方々のためになればと思い、日本で集めた古着をミャンマーに送る支援活動を始めました。
幸い、日本で会った私と同じ想いを持った日本人の友人、ミャンマー人の友人など、たくさんの方々の力を借りることができました。
ミャンマー現地でも、危険を顧みずに私たちに協力してくれる仲間がいます。
彼らは本当に危険な状態にありますが、同胞の助けになりたい一心で一緒に活動してくれています。
ミャンマーに行くことのできない現在の私たちからすると、こんなにありがたいことはありません。
現在では既に約4500人もの方々に衣服を送り届けることができました。
これまで衣服を送り届けてきたことについては、次回以降詳しく書きたいと思います。
これまでは自分たちのお金を使って荷物を発送してきました。
古着を集める過程でもコロナ禍という状況の中で様々苦労をしましたが、予想以上に多くの方のご協力をいただき、予想以上に多くの衣服を集めることができました。
発送にかかる費用も上がり、どうしても自分たちのお金だけでは託してもらった衣服、衣服に込められた想いを届け切ることができない。
その様な状況で、今回クラウドファンディングで日本中の多くの方々からご支援をいただき、この事業をやり遂げたい、この想いを届けきりたいと強く思っています。
まだまだ道半ば、まだ日本から発送できていない半分近くの荷物を送り届ける責務を果たしたいと考えています。
どうか皆様の温かい支援をいただきたいです。
よろしくお願いいたします。
ミャンマーに平和の日々が戻ってくるまで、私たちの挑戦は続きます。
Sakura Donation 代表 パインカンッズォ
(日本語編集 杉浦 真吾)
リターン
2,000円
2000円コース
・スタッフからのお礼メール
・活動報告書
※画像はイメージです
- 申込数
- 13
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年3月
4,000円
4000円コース
・スタッフからのお礼メール
・活動報告書
※画像はイメージです
- 申込数
- 12
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年3月
2,000円
2000円コース
・スタッフからのお礼メール
・活動報告書
※画像はイメージです
- 申込数
- 13
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年3月
4,000円
4000円コース
・スタッフからのお礼メール
・活動報告書
※画像はイメージです
- 申込数
- 12
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2022年3月
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