7月29日(日)の「戦没学生のメッセージ」コンサートに登場する作曲家を一人ずつご紹介するシリーズ、第3回は戦没学生の鬼頭恭一さんです。

 

鬼頭恭一(1922~1945)(佐藤明子氏提供)

◆鬼頭恭一(1922~1945)

 

鬼頭恭一さんは大正11年6月10日、愛知県に生まれました。実家は裕福な酒問屋でしたが音楽的な環境ではなく、昭和17年、両親にも内緒で東京音楽学校を受験します。そして見事合格。東京音楽学校予科に入学し、翌18年4月、本科作曲部に進みました。同期生はやはり7月の演奏会でご紹介する村野弘二さん、現在もお元気で作曲活動を続けていられる大中恩さん他、鬼頭さんを含めて全部で7名でした。

 

鬼頭さんは、作曲を信時潔、理論を橋本國彦、ピアノを水谷達夫に師事しました。本科に進学してわずか半年余りで、学生の徴兵延期措置が撤廃され、昭和18年11月15日仮卒業となります。「仮卒業」というのは、学生の就学期間を短縮して卒業させる「繰上げ卒業」とは異なり、学校に籍が残る休学扱いで、戦争が終わって無事戻ってくれば復学するという前提でした。

 

仮卒業後、鬼頭さんは同年12月に大竹海兵団に入団。すぐに三重海軍航空隊で約3か月の基礎訓練を経た後、翌19年、九州の築城(ついき)海軍航空隊に配属となります。音楽学校の学生であった彼は、軍歌演習の際、同期生の輪の中で、軍歌を一節ずつ歌って指導する姿が見られたと言います。彼の作曲ノートの中には、「築城にて」と付記され、その地で作曲されたことが判る曲がいくつか残されています。今回も演奏する歌曲《雨》もその一つです。(築城については橋本先生のプラス情報に詳しく書かれています)

 

右上に「築城航空隊にて」と記された《無題(アレグレット ハ長調)》の譜面

 

その後、鬼頭さんは築城から茨城の霞ケ浦海軍航空隊に転属となります。霞ヶ浦海軍航空隊は大正11年に設置され、当時東洋一の航空基地と謳われていました。そしてその地で、開発中のロケット戦闘機「秋水」の飛行訓練中に事故で亡くなりました。鬼頭さんは、ある伝聞では、突然目の前を横切ったヘリコプターのために操縦を誤り、掩体壕に激突して殉職したと伝えられています。事故が起きたのは終戦を目前にした昭和20年7月29日のことでした。(大石泰)

 

 

◆プラス情報「鬼頭さんの足跡をたどる~築城レポート」

 

4月3日の午後、福岡県築上郡築上町[ちくじょうぐんちくじょうまち]にある航空自衛隊築城(ついき)基地とその周辺を訪ねました。

鬼頭恭一さんは昭和19年6月頃から翌年5月まで、海軍築城航空隊(通称:築城空[ついきくう]、現・航空自衛隊築城基地)で訓練を受けていました。昭和14(1939)年に築城飛行場の建設が始まり、昭和17(1942)年10月に築城海軍航空隊が開設されました。

築城空は昭和20(1945)年9月にGHQに接収され、現在では戦前の建物は残されていないとのことでした。それでも築城を訪ねたのは、鬼頭さんが当地で作曲した歌曲《雨》の背景や彼の心情を理解するには、築城の地に立ってみることが必要ではないかと感じたからです。たしかに譜面があれば演奏はできますし、ご家族への葉書にも近況は書かれています。しかし、鬼頭さんの軍隊生活も音楽への思いも、戦後生まれには想像を越えるところがあるのも事実です。その隔たりを築城に行くことで少しでも縮められたら、との思いがありました。

 

JR日豊本線築城駅

 

築城基地は福岡県築上郡築上町にあります。JR小倉駅から日豊本線で46分(特急で31分)の築城駅で下車し、10分ほど歩くと基地の正門です。

航空自衛隊築城基地正門

 

ここから基地渉外室長様のご案内で「航空参考館」(資料館)を見学しました。近年の自衛隊の活動が紹介されるのと併せ、旧軍時代の関係者やご遺族から寄贈された軍人手帳、帽章、手紙、寄せ書きなどが展示される一コーナーがあります(展示物の撮影は不可)。入隊や見送りなど折々の集合写真もあります。鬼頭さんのお顔やお名前は確認できませんでしたが、写真から当時の雰囲気が伝わってきました。鬼頭さんが戦友を見送ることもあったかもしれません。いつ自分が呼ばれるか、いつどのような命令が下るかわからない軍隊生活の一端を垣間見ることが出来ました。

基地を出て、周辺に点在する旧軍の戦跡を訪ねました。遺構群については行橋市教育委員会のホームページや訪ねた人のブログなどにも詳しく紹介されています。

 

稲童1号掩体壕[えんたいごう]

 

掩体壕とは戦闘機を敵機空襲から隠すためのいわば防空壕です。基地内の格納庫ではすぐに見つかってしまいますから、鬱蒼とした繁みや風景に紛れるよう、点在させて作られています。稲童1号掩体壕はコンクリートで覆われた有蓋掩体壕です(屋根の代わりに竹や枝で覆ったものは無蓋掩体壕と言われます)。行橋市の市指定史跡として管理され、案内板もあります。周辺には住宅もあります。

 

稲童地区地下通信司令部跡遠景
稲童地区地下通信司令部跡(反対側から網が張られている)

 

少し離れた地点に地下通信司令部跡がありました。入り口は網で塞がれているうえ、その位置が高いので、中をのぞくことはできませんでしたが、網の隙間からカメラをかざして内部の写真を撮影したところ、地下に降りていく急な階段が見えました。

 

稲童地区地下通信司令部跡(地下に降りていく急な階段)

 

鬼頭さんの日常風景にはこのような軍事施設があり、訓練に明け暮れていたのでしょう。築城を訪ねて軍隊生活の一端を垣間見たことで、鬼頭さんの歌曲《雨》についても、歌詞や曲の背景や作曲者の心情が、より現実的な実態として見えてきたようです。

築城基地を出ると、基地内から喇叭の練習が聞こえてきました。今も起床から消灯まで、朝食、国旗掲揚、国旗降下などラッパを合図に自衛官の生活は行われています。(大学史史料室 橋本久美子)

 

 

 

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