協力隊員が最初に派遣されたのは、1965年(昭和40年)度のことです。
日本を出発した日はそれぞれ異なりますが、ラオス、カンボジア、マレーシア、フィリピン、そしてケニアを加えた5カ国が最初の派遣国と言われています。
殆どは東南アジアの国なのにどうしてアフリカのケニアが?
不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 

協力隊という新しい事業を開始するにあたり、戦争の賠償の一環として協力隊をアジアに派遣すべきという意見もあったそうです。
そんな中、海部俊樹元首相(当時は自民党の青年学生部長でした)だけがアフリカへの派遣を強く訴えたそうです。アフリカと日本はこれまでの関わりが薄く、歴史的なわだかまりもないため、白紙の状態から貢献できるというのが海部元首相の意見でした。
それならば自らアフリカに行って調査をするようにと言われたものの、皆アフリカ行きを渋り、調査団は僅か3人だったというお話を直接聞かせていただき、この写真もその時にご本人からお借りしたものです。


名称もまだ「協力隊」ではなく、「奉仕隊」という仮称で準備が進められていました。その所属先も総理直轄にするか、外務省の管轄下に置くかなど、若き政治家や青少年団体の指導者たちの間で激論が交わされたそうです。
戦後、生まれ変わった日本が協力隊をどのような思いで創設したのか、『持続する情熱』には、その経緯が詳しく紹介されています。
(第2章・4万人突破への歩み「国家の志を青年に託す」)
 

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