【熊本地震】

地震がまた起きました。熊本ほかで被災された方々にお見舞い申し上げます。数多くの断層があり、誘発されて多くの地震が起きている今まであまり例のない今回の地震。どうか、お気をつけください。また私は応援しかできませんが、支援に行かれる方、頑張って下さい。

妻が幼少を過ごした熊本。土砂で埋もれた橋を見て「あの橋を通って幼稚園に行ってたんだ・・」。これ以上被害が拡大しないことを祈ります。

報道を見ておりましたら、「まさか、自分のところでこんな地震が起きるとは思わなかった」ということをまた耳にしました。何度も何度も起きているのに、伝える力がまだまだ足りないのでしょうか。自分のこととして捉えてもらえるよう、もっと頑張らなければと改めて思います。

 

【大川小学校校舎保存】

話は変わりますが、先月末、84人もの児童らが犠牲になった宮城県石巻市立大川小の校舎が震災遺構として「保存」されることがついに決まりました。

津波被災後、シンボリックになっていた建物を震災遺構として保存するか解体するかはこれまで各地で議論がなされてきましたが、その多くは解体されました。被災された方、とくに肉親を亡くされた方々にとって、それをいやでも思い出させる建物がずっと目につくところにあるのは辛すぎる、とわたしも色々な方から聞きました。

 

大川小校舎

 

反対に、写真や映像でなく、現実のものが未来においてあの津波があったことを伝える力があるのもひとつの事実だと思います。今神戸の街を歩いても、どこで震災があったのかまるでわかりません。唯一、原爆ドームがあることで広島に原爆が落とされたことをわたしも感じることができます。

 

校舎前の祭壇

 

大川小では地震発生後、教職員の指示で児童らは校庭にとどまり避難が遅れたことで、押し寄せた津波に巻き込まれました。遺族や住民からは「後世に教訓を伝えるために保存すべきだ」という意見と「見るのがつらい」として解体を求める意見が出ていました。

 

それでも、たとえ現物がなくなっても伝え続ける方法は他にもあります。大川小では永沼さんの息子さんをふくむ4人の子は見つかっていません。震災から半年後に当時6年生の女の子が見つかってから変わっていません。その女の子の母親は、永沼さんとともにパワーショベルを使ってずっと児童の捜索を続けていました。女の子の父親は、校舎保存の是非をめぐる公聴会で、解体を求める立場からこんなことをおっしゃっていました。


「想像してほしい。
わが子が帰ってこない喪失感を。
泥のにおいに包まれたガレキの中から、わが子を掘り出すことを。
津波の恐ろしさを伝え、後世に語り継ぐ方法は他にもある。
命を救うのは教育だ。
あの校舎ではないと思う。」

 

校舎内で行われた慰霊祭

 

大川小の解体を求めるご遺族のその理由の大きなところに「観光客」があります。「有名」な大川小には震災後連日多くの人が訪れます。大型バスが横づけされ見て回ります。

 

本当にひどいのが、記念撮影をしたり、トイレがないからと用をたす人もいるのです。ご遺族がそれを見て胸が締め付けられるのは当然です。わたしも、一度も手をあわせることもなくスマホを向けて帰っていく数多くの人を見ています。慰霊碑の裏で便をする「女性」を見たときには開いた口がふさがらない衝撃でした。

 

多くのご遺族の方々にはそれぞれ思いがあり、必ずしも一致しません。今回「保存する」という結論が出たからには、二度と同じことを繰り返さないための一助になってほしいと思います。また、現物が残されるかか無くなるかが一番の問題でなく、ひとりひとりの意識に残っていくか無くなるかが一番の問題だと思います。

 

水没していた地域を重機で捜索する永沼さん

 

「こんな悲劇がなかったことにされたら、息子は何のために犠牲になったんだ」。永沼さんはいつかおっしゃっていました。

 

「起きたことを忘れないで、そこから未来を考えてほしい。汐凪の犠牲が無駄にならないように」。大熊の木村さんもいつかわたしに話してくれました。

 

わたしは写真を通して伝えていきたいと思います。

 

校舎近くで捜索をしていた永沼さん