福島県南相馬市沿岸部の萱浜地区。2011年の津波で多くの方が犠牲となり大きな被害を受けました。

福島第一原発から22キロ。全てがなくなってしまったこの地に、2013年から毎春、一面の菜の花畑が現れます。

「なにもなくなって涙しかなかったこの地に、笑顔を取り戻したい」。自らも家族4人を失った、福興浜団を主催する上野敬幸さんのその願いから作られた菜の花畑。

そして今年も鮮やかな黄色の絨毯が萱浜を埋めつくし、福興浜団のメンバーたちによって作られた迷路の中で子どもたちの笑顔があふれていました。

 

今年も始まった菜の花迷路

 

福興浜団は「すべての行方不明者が見つかるまで」と捜索活動を続け、また「みんなが笑い合える場所を取り戻すまで」様々な活動を続けています。

この萱浜地区では77名もの方が犠牲となりました。集落の7割が流されたこの場所には今では茶色の更地が広がっています。そんな中に遠くからでも目に飛び込んでくる黄色の菜の花畑。

 

 

4度目となる菜の花迷路造りは昨年10月の種まきから始まりました。

種をまくだけですが、ずっと腰をかがめ続けてする作業は想像以上の重労働でした。それでも、春に見る花と笑顔のために皆黙々と作業をしました。

 

昨年10月に行われた菜の花の種まき

 

 

 

 

冬が終わるとぐんぐんと成長していきます。花をつけ始めた3月終わりには、迷路作りの作業が始まりました。合計4つの迷路を設計図をもとに、ビニールテープで区画を造って図柄を把握し、通路となるところの菜の花を抜いて道を造っていきます。空から全体像を見られる訳ではないので、難しい作業です。

 

 

 

3月下旬、始まった迷路作り

 

 

 

そこから4月中旬のオープンまで慌ただしく迷路作りが続きました。多くの仲間たちが手伝いました。とある日には東京電力の方々も手伝いに来られました。

 

迷路作りの手伝いをする東京電力の方たち

 

この時期一気に進む菜の花の成長に追われながらの、土と汗にまみれた作業。そのかいあって、今年も子どもたちを迎え入れることができました。

 

菜の花迷路を楽しむ子どもたち

 

 

 

ここで起こったこと、今も続いていることを忘れてほしくない。そしてそこから、新しく歩みだす。そのために必要な「笑顔」を上野さんは願っています。

そしていつもこう言います。「生きているぼくらが暗い顔してたら、亡くなった家族や地区の人たちも安心できないでしょ。みんなの笑顔を見てもらうことで、安心してほしいんだよね」。

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