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5月から進めて参りましたゆどうふのクラウドファンディングへの挑戦もついに1週間を切りました!
数字的に達成までまだハードルがあります。
ここまで多くの若者と対話をしながら共に頑張ってきました。
何とかこのプロジェクトを実現させたいと思っております。
ご支援を考えて悩まれている皆様、ご支援するつもりでまだされていないという皆様、ぜひこの機に応援よろしくお願い致します!
ひきこもりの若者の思いを形にするアサーションハウスを作りたい (ゆどうふクラウドファンディングプロジェクトページ)
https://readyfor.jp/projects/ yudofu-akiya-project


ゆどうふのクラウドファンディング応援インタビューも今回が最後となります。
今回は岐阜大学准教授でJYCフォーラム事務局長の南出吉祥さんにお話をうかがいました。
南出さんは教育学(青年期教育) をご専門に研究をされており、ゆどうふは支援者研修、 JYCの活動等、さまざまな場面でサポートいただいています。大変フットワークの軽い方で、私たちの拠点のある町田市にも何度も来ていただいています。
JYCにつきましてはインタビュー内で詳しく触れておりますが、ゆどうふも参加団体としていつもお世話になっています。
それではぜひ最後までお読みください。

Q. 若者支援という分野はこれまでどのような歩みをしてきたのでしょうか

政策課題として公的に認知されるようになってきたのは約15年前 ですが、実践そのものはそれ以前から展開されていました。 それが公的施策となったのが15年ほど前になりますが、 当時は今より自由度が高かったといえます。現在のように、 対象者の限定化や来所理由、 目的に追い立てられているということはなく、 利用者から自然に出てくるニーズに答える形で支援が展開されてい ました。「若者」という括りだけをキーワードにして、ある種「 ごちゃまぜ」の支援が展開されていたと言えるでしょう。 しかし制度の拡充・整理や時代状況が変遷していくなかで、 徐々にプログラム化された支援や成果主義の圧力が強まっていくよ うになってきました。
この動きは「若者支援」だけのものではなく、 公的施策全般における動向でもあります。 本来は結果よりもプロセスが大事になる教育や福祉、あるいは「 そこにある」こと自体が意義を持つ公園ですら、利用目的や結果( 成果)が問われるようになった。これは競争原理、 経済的価値が教育や福祉、 公共施設など公的なものにまで介入し浸透しつつあることの表れで す。そこから、公的事業・施策は可視化できるもの、 つまり成果が見えやすいものにシフトしていきました。 そこで生じるのは、目の前の若者たちのために「いい実践」 をすることよりも、その実践を評価する人・機関に対し「 いい実践をしているように見せること」に力点が置かれてしまう、 という構図です。

Q.JYCとはどのような団体なのでしょうか
前例がないため実践モデルがなく、 個別団体の試行錯誤に委ねられていた2006年当時、 モデルがないなら自分たちで実践を交流し、 相互に学びあっていこう、ということで始まったのが、 今年で14回目を迎える「全国若者・ひきこもり協同実践交流会」 になります。毎年1回、全国各地を会場にして、 さまざまな領域の実践者が自分たちの実践を持ち寄り、 分野の壁を越えつつ「教える―教えられる」 の関係を超えて学び合っていくという交流会になります。
先ほどお話したように、 若者支援政策の状況も不安定きわまりない状況で、 実践で大事にしたいことと政策の方向性とのズレや矛盾も少なくあ りません。また、理念や方法論の違い、 分野の隔たりや委託事業をめぐる競争構造など、 実践の裾野が広がるにつれ、実践者・ 団体同士のすれ違いもまた大きくなってきています。
そんな実情に対し、常に「現場」に立ち返り、 実践を通して乗り越えていこう、 ということで続けられてきたのがこの実践交流会で、 そこを基盤に立ち上げられたのが、 JYCフォーラムというネットワーク団体です。
「ないならつくる」「問題は実践的に解決していく」「 誰もが皆この社会に生きる当事者」「一緒に模索し育ちあう」「 支援/被支援を超える」「適応から創造へ」などなど、 この実践交流会からたくさんのフレーズが生み出されてきています が、それらを単なる「お題目」にとどめるのではなく、 実態ベースで社会に広めていくという課題を背負い、 日々奮闘しています。

Q.30年後の社会の理想像はありますか
目指す社会像としては、「若者が排除・孤立させられることなく、 誰もがこの社会に生きる当事者として、 自分らしく暮らしていける社会」を掲げていますが、 その一端として象徴的な言い回しをすれば、「 安心してひきこもれる社会」になっていたらいいなと思います。
とりわけ「異質排除」「競争原理」の強い日本社会においては、 ひきこもっている状態そのものによる困難(収入、生活サイクル、 社会関係など)以上に、「ひきこもっている」 ということに対するマイナスイメージこそが強くのしかかり、 本人および家族を苦しめてしまっています。 そうした世間のまなざしを解除させ、「 しんどくなったら安心して休める」ような社会になったとしたら、 だいぶ生きやすい社会になるだろうし、 かえってひきこもり状態も減っていくのではないかと思っています 。そもそも「ひきこもっていること」が問題なのではなく、「 ひきこもっていることで苦しんでいる(苦しめられている)」 状態こそが問題なのであって、 そこを見間違えないようにしていくことが大事です。

そして、より具体的な社会のありようとしては、「家庭」「学校」 「職場」以外の社会的な場(社会的居場所)が、 ごく自然に社会のなかに位置づいているような状態にしていくこと も欠かせないように思います。児童館や青少年施設・公民館・ 図書館などの公共施設をはじめ、 近年では子ども食堂やコミュニティカフェなど、 さまざまなかたちで社会的居場所づくりは展開されてはいますが、 まだまだ試行的な取り組みにとどまっていて、誰もが立ち寄れる「 あたりまえ」の場にはなっていません。
社会との接点を持つ開かれた場であるとともに、 安心できる関係性のなかで誰もが自分らしく居られるという場は、 個人化され競争化された社会のなかでどんどん奪われてしまってい ますが、多くの人びとが求めてやまない場でもあります。
居場所では、そこに来る人に様々な役割、出番が付与されます。 社会に求められ、承認されている、 社会参加しているという事実が、 就労だけでなく様々な回路を使って創出されたらと願います。 そんな場が社会に広がっていけば、「 弱い者がさらに弱い者を叩く」という負の連鎖を乗り越え、「 多様な人びとが、多様なままにともに生きる」 という共生社会を築いていくための土壌になっていくのではないか と考えています。

Q.空き家プロジェクトについて
このプロジェクトは若者たちにとって、「 自分たちなりの場づくり」という、 とても重要で豊かな経験の場となるでしょう。今の社会では、「 既に作られた枠のなかにどう適応していくか」 ということが常態化しており、就労はもちろん、 暮らしや遊びすらも「既に枠づけられたもの」 という日常が広がっています。与えられた選択肢のなかで「 選ぶ自由」しか与えられていないような状態です。それに対し、「 自分たちでつくる」というもう一つの選択肢があり、 そこにはその場にかかわる具体的な人がいて、「わたし」がいる。 そんな経験を経ていくことで、各自が「自分の人生の主人公」 だということを掴んでいくことができるようになっていくのではな いかと期待しています。

その中で重要なのは、 その場が常に変化に開かれている状態にしておくということです。 完成された場は、いつしか「あたりまえ」のものになり、柔軟さ、 多様性を失っていきます。 その場をつくってきた人たちにとっては「自分たちの場」 であっても、その場に後から参入してくる人たちにとっては「 誰かがつくった場」となってしまい、 その溝が居場所の運営においてさまざまな軋轢をもたらしてしまう ことがあります。
そうした課題は、社会的な場や活動の運営にとって、 常についてまわる難しさなんですが、 それを乗り越えていくためには、 たえずメンバー各自の声を聴き取り現状を振り返りながら、 風通しを良くし、 その都度の変化を受け入れていける状況を創出することだと思いま す。

また、いきなり「誰でも」 としてしまわないような工夫も必要です。 社会に開かれているという状態はとても大事なことなんですが、 開かれ過ぎた場においては、 どうしても一般社会と同様のマイノリティ構造が生じてしまい、 生きづらさを抱えた人たちが来づらくなってしまうような状態も生 じえます。
理想としては、社会的な場を奪われがちな人たち自身が、 自分たちにとって居心地の良い場をつくっていきながら、 そこに地域の人たちが一人、 また一人と入り込めるようなイメージです。 そこで生まれる小さなふれあいが、「当事者にとっての居場所」 という枠組みを超えて、「 誰も排除しない地域コミュニティの拠点」 としての機能を生み出していくのではないかと思っています。

Q.最後に一言お願いします
競争レースのメインストリートから外れてしまった若者たちが、 非常に強い疎外感を抱え、苦しめられているという現実があり、 その問題の解決は喫緊の課題としてあります。しかしその一方で、 彼らは「競争レース」 というレールから外れたところにいるからこそ、 そこで展開されうる豊かな学び、 経験があるということを教えてくれました。
この学び・経験は、学校に行っているかどうか、 働いているかどうかにかかわらず、 すべての若者に保障されるべきものです。その意味で、この「 空き家プロジェクト」が持つ意義・可能性の射程は広く、 競争社会への適応を迫る風潮に風穴を開けていく可能性を秘めた取 り組みだといえるでしょう。
そしてまた、こうした学び・経験には「答え」はありません。 無理に「答え」を求めようとすると、 自分自身がその答えに従属した「道具」になってしまいます。 答えがないからこそ、みんなで模索し探求していく。 そのプロセスにこそ、 人が育つカギがあるんだということをどこまで掲げていけるか。 そんなことが、 全国各地の実践現場で問われているように思います。
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