たくさんの方々のご支援に感謝しております。

ここで、皆様に私が農の道を選んだ訳といいますか、道のりをお話したいと思います。

私は北海道の室蘭市という工業都市で生まれ、19歳まで住んでいました。工業都市とは言え、海に囲まれた地形なので、私の生家のすぐそばにも漁村や海岸があり小学校の放課後はいつも海へ行って磯辺で遊んだり、漁港で釣りをしたりしていました。

夏休みには母の実家のある安平町という農村地帯で過ごしました。昆虫採集と川釣りという、内陸部の豊かな自然の恩恵を受けて、一日中外で遊んでいました。

私の自然観の基礎はこの時代の原野体験や旅によって育まれたのでしょう。

小学校高学年の時には、友人達と(自然友会)という、釣りと外遊びと愛自然の会を勝手に発足して(笑)活動というよりひたすら遊んでいたという感じでした。

 

13歳の時に、自分の将来を決めました。ロックバンドで東京で活動するという夢です。19歳で上京しあちこちのインディーズバンドで、ニセコに住み始める29歳まで、音楽と旅の暮らしを心から楽しんでいました。旅の途中に出会ったスノーボードを追求しようと、ニセコにひと冬山籠もりしました。

 

(自分の生まれ育った北海道にこそ、生きてゆくのに必要な要素が溢れている)

 

直感的にUターンを決意しました。「なあんだ、ここに全部揃っているじゃないか」

移住1年目の春から、アウトドア働きながら、家庭菜園を始めました。最初は山から土を運んで来て、駐車場の片隅でナスやトマトを育てました。無農薬で育てるのは最初から決めていました。その年は一つずつしか実らなかったのですが、自分の中で、自信というか達成感というか、言葉にならない程の満足感があったのです。

それ以来、私の趣味の家庭菜園は年々、拡大していきました。

そのころ出会っていた本の中に、自然農法家の福岡正信爺の書いた物があり、私の農の基礎となりました。

 

2005年、今の住まいであるニセコ町の古民家を借りました。同時にアスパラ畑と手に余るほどの広大な畑も借りる事が出来ました。

ここに住んでから育てる種類や数も年々増えていき、家庭菜園とはかけ離れたサイズになってしまいました。 自然に寄り添った農で育まれた夏の食卓は、全部我が家の野菜! なんという幸せ。         

 

そして2011年 東日本大震災 福島の原発事故、、、、

 

私の中で、何かが弾け飛びました。

この時も直感で、最初に思ったのは、子供達や妊婦さんに安全な野菜を食べさせなくてはならないという事でした。

放射能汚染はチェルノブイリ事故やモンゴルの核実験の事を本などで、知っていましたので、その年の春は、ニセコが汚染されていないのを確認してすぐに、出来るだけたくさんの野菜を育てました。15年以上無農薬で家庭菜園を営んで来た経験はフルに活かされました。育った野菜は、北海道に保養に来た福島県の母子の皆さんに食べていただきました。

同時期に、仁木農場で奇跡のリンゴでおなじみの木村秋則さんに出会い、自分の農における考えや方向性が肯定される形で後押しとなり、就農するという道を見つけ始めたのです。

 

その年からは、物事の進み方が加速していきました。ニセコ町近隣でで自然栽培で営農している熱意のある農家さん達と出会えたり、私の考えに理解のある研修先の農家さんと出会えたり、全てはご縁で通じ合っていったのです。

 

そして、2014年 様々な分野の方達の理解と協力を得て、47歳という年齢で農業人として新たなスタートを切ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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