動物を種によって差別することを『種差別』(Speciesism)と言います。

・ヒトは上、動物は下。

・犬や猫は保護する動物、牛やぶたやにわとりは食べるための動物。
・インコは飼う動物、アヒルはダウンを取る動物。

 

 

なぜそうなるのでしょう。
それは、共感の範囲の広さです。

 

・犬猫に共感していない人は、犬猫を傷つけても平気です。

・犬猫に共感する人は、犬猫を傷つけることはできませんが、

 家畜は共感していないので傷つけても平気です。

・犬猫にも家畜にも共感している人は、どちらも傷つけません。

 

 

なぜ共感するか。

豊かな感情があることを知っているから。

 

歴史上、「動物には感性(愛情 感覚 感情)はない」と言ってきた研究者や哲学者は多くいました。
専門家がわかっていると思うのは間違いです。
今でもいます。

一般の方でも多いですね。

 

私から見ると、愛情も感情も溢れんばかりにあるのに。



(牛と目を見つめ合って、触れ合って、愛情を感じたことがありますか?)

 

 

愛情や感情が無いと思っている人は、本当に見えていないんだと思います。

 

 

理由は様々。

 知性の上下で見る人。

 地位の上下で見る人。

 食欲を手放したくない人。

 娯楽を手放したくない人。

 金銭欲の強い人。

 自分の感情だけでいっぱいいっぱいな人。

つまり何らかの自分のバイアスがかかった状態でものを見ています。

 

 

それらを取っ払い、自分の固定観念を外して見たときにはじめて

動物が、こんなにも豊かで多彩で微細な、
感性・愛情・感覚・感情を持っているのだということに気がつきます。

 

 

それに心の底から気づいたときには、ヴィーガンにならざるを得ません。

 

 

人間は知性を身につけました。

それがリンゴを食べたからなのか、火を扱えるようになったからなのか、はたまた他の理由なのかわかりません。

知性は諸刃の剣です。

 

感性の無い知性は危険です。

戦争・原発・利益の独占・科学の暴走・差別、

地球を破壊し、動物を破壊し、人類をお互いに破壊します。

 

しかし、感性を伴った知性、共感を伴った知性は、善に向かうと思っています。

 

 

私たちは、動物とは言語でつながれません。

動物が、私たちと同じ言語を持っていたら、私たちは食べられるでしょうか。

動物園や水族館で見世物にできるでしょうか。

 

動物は言語を持っていないのではなく、我々とは異なるコミュニケーションをしているのです。

つまりわかっていないのは、動物ではなく、私たちです。

 

私たちは、動物と感性でつながれます。

目を見て、表情を見て、体の動きを見て、全身の振る舞いを見て。

そうすると、豊かなコミュニケーションがそこにあることに気がつきます。

 

 

動物は、嬉しがり、悲しがり、寂しがり、遠慮して、怒って、構って欲しくて、守ろうとし、大切にしようとし、愛してくれます。

 

 

私は人々がそれに気付かず、

動物を好きなように扱って、利用して、食べて、着て、

当然だと思っているのを、本当に悲しく、辛く思っています。

 

 

すべての動物と感性でつながってくださると大変うれしいです。

 

それは、この上なく大切な気づきです。

世界が根本から変わる気づきです。

 

 

 

 

 

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