*本プロジェクトについて、

ご質問・ご不明な点がございましたら、

こちらまでお問い合せください

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今回は、ご支援いただきました皆様に、

御礼としてお送りするリターンの一つ

「スリッパ」にまつわるお話です。

http://www.abesangyo.jp/pages/hakama-jitate.html

 

河北町は、古くから日本有数の “草履の産地” として知られていました。

現在は、その草履作りの伝統を活かして、

スリッパが特産品となっております。

草履作りがどう生まれて発展し、スリッパ作りへとつながったかを

ご紹介させていただきます。

 

この地方では、古くから粗末な藁草履の類はありましたが、

雪が多いために常用する期間が少なく、

上方のような履物の発達は見られませんでした。

 

また、一般の履物の中で “草履” はもっとも下賤なものとされ、

「草履作りは賤しい仕事」され、顧みる者がほとんどありませんでした。

この社会的な古い因習を打破し、現在の状況まで発展させるためには、

先駆者たちの並々ならぬ努力と苦労があったことでしょう。

 

現在、 “山形草履表の発祥の地” と言われているのは、

ここ谷地(やち)であり、

谷地の田宮五右衛門の活躍によるところが大きいようです。

田宮家は名家で、八代目・五右衛門は商業を営み、貨運を興隆しました。

商用のために度々江戸と往来しているうちに、

文政年中(1820年代)伊勢流や遠州流の草履編造技術を習得して帰り、

副業として付近農家の婦女子に伝習しました。

 

この地方の農家の女性にとって、

夏は田畑仕事がありましたが、冬は木綿などを織るくらいでした。

また農家が作っている米の中には酒米もあり、

この酒米の藁(わら)は、草履づくりに調度良い長さでした。

原料にも恵まれている百姓にとって、

草履作りは生活を支えるための最適の副業でした。

そこで、五右衛門は農家に冬仕事として草履作りをすすめました。

はじめは「草履作りは賤しい仕事」と思われ大変苦労したようですが、

次第に効果を上げ、天保頃(1830年代)には

ようやくこの地方の産業の一つとして普及するようになりました。

 

九代目・五右衛門も、父親の仕事を継承し、その発展に努力した人で、

江戸の菱屋・池田藤兵衛の指導と斡旋を得て、

谷地の草履を始めて江戸に出荷することができました。

 

十代目・五郎は、益々その販路を広め、

江戸のほかに常陸や上州方面まで販路を拡張しました。

 

そして十二代目・五郎、

この人こそ「山形草履表」の名を全国に広めた功労者でございます。

慶応元年(1865年)に誕生、明治十年(1877年)家督を継ぎました。

当時、農家の冬の副業として細々と行われていた草履づくりを、

なんとか主産業として高めたいと考えた彼は、苦労の末

明治22年(1889年)に日本初の「ぞうり表圧搾機」を発明。

この機械は翌年の〈第3回内国勧業博覧会〉で名誉褒賞を受賞、

専売特許も取得しました。

質が良く値段の安い「最上ぞうり」の製造は盛んになり、

それに伴って流通量も増大。

その名も一躍日本全国に広まっていきました。

「最上ぞうり」は文字通りこの地方の主産業となったのであります。

 

その後、生活様式の変化に伴い、

草履作りは昭和40年頃から次第にスリッパ作りへとシフトしていきました。

スリッパは現在、発展途上国での生産が主になっていますが、

高級「かほくスリッパ」は、

山形だからこそできる、独自の製品作りを大切にしております。

リターンの商品に関する詳しい情報は、

阿部産業株式会社のサイトをぜひご覧ください。

「HAKAMA JITATE リゾート・スリッパ」

〈山形エクセレントデザイン2011・エクセレントデザイン大賞〉

*50,000円をご支援くださった方へ送らせていただきます。

http://www.abesangyo.jp/pages/hakama-jitate.html

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