おびんづる像(ウィキペディアより)

 

少し長くになりますが、前前回に引き続き “羅漢(阿羅漢)” をご紹介いたします。

 

阿羅漢

阿羅漢(アルハット)は、仏教に限らず古代インド諸宗教を通じて使われた言葉で、「尊敬されるべき修行者」の意味でした。仏教はそれを取り入れたもので、釈尊も阿羅漢と呼ばれましたが、後に釈尊と阿羅漢とは区別され、阿羅漢は「仏弟子の到達する最高の位」とされました。そして大乗仏教がおこると、阿羅漢は「自己の修行のみに専心して、利他行を行わない小乗の聖者」として、大乗仏教の修行者(=菩薩)には及ばない者とされました。

このように、阿羅漢は大乗仏教から姿を消したかに見えましたが、中国において復活します。禅宗が新しい羅漢思想をつくりだしたようです。また、曹洞宗の開祖・道元は仁治三年(1242)43歳の時に『正法眼蔵・阿羅漢』を著わしており、阿羅漢に大乗・小乗の勝劣をつけず、怠ることなく修行するお坊さんこそ真の阿羅漢だと説いています。

 

応現する羅漢

賓頭盧(びんずる)尊者は、十六羅漢の第一に挙げられ、獅子吼(説法)第一、1000人の阿羅漢を所属し、西瞿耶尼州に住すといわれます。彼はある日、王舎城において在家の信者に妄りに神通を現わしたので、釈尊より「軽々しく神通を示すことは止めなさい」と叱られ、のちに「涅槃に入らず、永く南インドの摩利山に住し、私(釈尊)亡き後も人々を救い、人々の供養に応じて大福田となりなさい」と命ぜられました。このように、神通力を使って釈尊に叱られた賓頭盧尊者をはじめ、羅漢は不思議な力を持っていたようです。鎌倉時代の栄西(1141-1215)や道元(1200-1253)も、中国の天台山の石橋において羅漢の応現を受けています。道元は『十六羅漢現瑞記』で「羅漢があらわれる立派な山は、中国では天台山、日本ではこの吉祥山永平寺だけである」と記しています。また曹洞宗の瑩山(1268-1325)も、十六羅漢の第八尊者・伐闍羅弗多羅(ばじゃらぶだら)の夢のお告げにより、能登に永光寺を創建しました。

 

供養される羅漢

羅漢を供養する法式を日本で最初に書いたのは栄西です。その後、道元も瑩山も著わしております。羅漢を供養する目的は、末世を正法に廻し、一切衆生を利益化度するためです。ちなみに曹洞宗では、羅漢を供養する「応供諷経(おうぐふぎん)」を毎朝つとめます。*羅漢を「応供」ともいい、「信者から衣食などの供養を受けるに値する人」という意味です。

応供諷経は、般若心経を読んで十六羅漢に回向し、次のお願いをします。

「不安におののくこの世界を、仏の道に生きる安らぎの世界に変えていただき、迷える全ての人々を正しい道に目覚めさせてくださるよう、お導きください。このようにして、このお寺で常に仏の教えが説かれ、さらには、人々の上に災難が決して起こることのないようにお祈りいたします。」

 

庶民の羅漢

江戸時代には「羅漢について詩をつくれないのは真の禅僧にあらず」といわれるほど、羅漢は禅寺のなかで重要な位置を占めていました。なかでも羅漢をもっとも深く研究したのは曹洞宗の坊さん・面山瑞方(1683-1769)で、懇切丁寧な指導のために “婆婆面山” とよばれました。彼の著書『羅漢応験伝』は羅漢研究の手引き書とされています。このように、江戸時代は羅漢に対する人々の関心がとても旺盛だったようです。

また民間信仰において、賓頭盧(びんずる)尊者は、病気治しの「なでぼとけ」や、一切の苦悩を取り除き幸福を将来する「福の神」として活躍しました。さらには落語の題材になるほど、羅漢は庶民に親しまれていました。

 

まとめ

羅漢は、供養(田植え)することによって大きな功徳(収穫)を得ることから、羅漢を「福田」ともいいます。そして賓頭盧(びんずる)尊者をはじめ十六羅漢は、今日もなお釈尊の遺言を堅く守り、いつでもどこでも出向いて、人々を救ってくれる福田僧として活躍しているようです。禅寺では、山門・本堂・食堂などに奉られておりますので、お参りする機会がありましたらぜひを探してみてください。

 

以上、“羅漢”についてのご紹介でした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

永昌寺副住職 布川浩久

 

【参考文献】

・道端良秀『羅漢信仰史』(1983)大東名著選3

・梅原猛『仏像・羅漢』(1981)梅原猛著作集2

・桜井秀雄『曹洞宗回向文講義』(1999)曹洞宗宗務庁

 

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