第二回いのち支える映画祭上映作品 『十字架』 五十嵐 匠監督

 

先日、ある地方都市で中二の女子生徒が自殺した。学校三階の渡り廊下から飛び降りたのである。その日、少女は身体検査の時間が終わっても教室に戻ってはこなかった。不審に思った担任が探しまわり、倒れている少女を発見した。彼女は遺書を残していた。そこには次のように書かれていた。「中学校生活は本当に楽しかった。この学校にいじめも虐待もなかった」。

 

では、彼女は何故死を選んだのだろうか?遺書は次のように続く。「このまま生きて大人になっても、自分の思い通りにいかないことはわかっている。私は中学校の楽しい思い出のままで死にたかった」。部活でも活躍し絵をかくことが好きな聡明な少女だったという。彼女は友人たちにいじめで排除もされていなかったし、教師との関係も、よく冗談を言いあったりして良好だったという。では一体なぜ?

 

ネットから垂れ流されるあふれるほどの情報の中で私たちは生きている。少女は、そんな情報の渦に巻き込まれながら、大人になるにつれ、格差がどんどん広がり、弱者が次々と排除されてゆくこの国に生きてゆく自分の将来が見えていたのかもしれない。そこにまだ大人になりきれていない少女特有の絶望があったのかもしれない。私は映画「十字架」のフジシュンの死をいじめによるものとして描いた。しかし、現代に生きる中二の心の闇は我々の思いもよらないところで深く、そして進行していると感じた。

 

では、どうやってその心の闇を取り除くことができるのだろうか。どうやってその闇が発するかすかな信号を受け止めることができるのだろうか。そのためには各々の家庭生活の中で、彼らのそばにしっかりとよりそい、アンテナをはって見つめ続けることしかないのかもしれないと思った。

©重松清/講談社

©2015「十字架」製作委員会(アイエス・フィールド ストームピクチャーズ BSフジ)

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