プロジェクト概要

鎌倉-南北朝時代、後醍醐天皇のためにその身を捧げ、明治以降は大楠公(だいなんこう)と称される、武将 楠木正成(まさしげ)。その息子、正行(まさつら)との今生の別れは「桜井の別れ」として有名です。2017年9月、「桜井の別れ」の場面を描いた大型の絵馬が、大阪府河内長野市の加賀田神社で発見されました。

 

135年前、氏子たちによって奉納されたと推定されるこの絵馬は、地域の人々に正成らが尊敬されていたことを示しています。今回は、この絵馬を綺麗に模写復元、楠木正成を祭る湊川神社に奉納するために皆様からのご支援を募りたく、プロジェクトを立ち上げました。

 

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明治を生きた氏子たちの想いを、未来へ。「桜井の別れ」絵馬を模写復元。

 

はじめまして、大阪府にある加賀田神社 宮司の田中義光です。平成26年から29年にかけて行われた当社の本殿保存修理工事の中で、楠木正成らを題材にした絵馬が発見されました。

 

調査をしてみると、正成と息子・正行の別れを描いた「桜井の別れ」を題材にしたもので、明治15年(1882年)の本殿修理の竣工を記念して氏子らによって奉納されたであろうと推定されることがわかりました。

 

氏子をはじめとした地域の方々に、正成・正行親子が愛され、敬われていたことを示す貴重な資料です。しかし、長い年月の中で、制作当時の彩色が薄れている箇所も多くなっております。描かれているのが親子の今生の別れの場面ということもあり、絵馬を模写復元して、正成を祭る兵庫県神戸市の湊川神社に奉納したいと思っています。

 

135年前の氏子たちが、大楠公への敬愛を込めた絵馬を模写復元・奉納するために、どうか皆様の暖かいご支援をお願いいたします。

 

135年の時を超えて発見された絵馬と共に

 

生涯を通して、後醍醐天皇に仕えた武将 楠木正成

 

楠木正成は、単なる武将や知略家ではなく、郷土や人々の暮らしを大切にした武士で、後醍醐天皇による建武の新政の成立に大きな役割を果たしました。しかし、建武の新政が2年余りで窮地に陥り、反旗を翻した足利尊氏の大軍と戦い、延元元年(1336年)に湊川の戦いで戦死しました。

 

正成は、当時人々が集い心の拠り所としていた社寺が戦いで疲弊したため修理寄進し、郷土と人々の暮らしを思い、庶民の素朴な神仏への信仰を大事にした人物だと地域で脈々と語り継がれてきたのだと思います。そうした共感が、明治15年の当社本殿修理竣工にあたり、楠木正成を画題にした絵馬が奉納された理由だと考えています。

 

正成、生まれの地(大阪府千早赤阪村)

 

全国でも珍しい、明治前期の極彩色が残る加賀田神社

 

加賀田神社は、「加賀田神社創建の年は詳(つまびやか)ならず、単に11月卯日(うのひ)に宇佐八幡を勧請(かんじょう)したり」(大阪府全志巻之四)とあるように、いつ創建されたかは不明ですが、520年以上の歴史を有しているだろうと思われます。

 

元禄16年(1703年)に、氏子で堺在住の谷善右衛門が、私財を投じて社殿を改修・現存の本殿が完成しました。その後、享保5年(1720年)には本殿が極彩色に。

 

幾度かの修理を経て、明治15年(1882年)に屋根と彩色の修理を行い、今日に至ります。この修理の竣工を記念して氏子一同により奉納されたと見られるのが、今回見つかった「桜井の別れ図絵馬」です。

 

加賀田神社

 

当社に絵馬があることは一部の者は把握していたものの、神輿の後ろに隠れたまま詳細な研究は行われておりませんでした。平成26年から行った本殿彩色修理の際に、修理を担当した技術者が絵馬を見つけたことで、本格的な調査を行うことになりました。

 

調査の結果、背景に楠木氏の菩提寺である観心寺が描かれた「桜井の別れ図絵馬」であること、明治時代初期の特徴的な彩色(ウルトラマリンブルー・エメラルドグリーン・プルシャンブルーなど)で描かれていること、絵師は明治15年に本殿の彩色を担当した大西安太郎であるだろうことがわかりました。

 

この絵馬が貴重な文化遺産であると判断して、膠(にかわ)による剥落止め処置などの保存処理を行いました。

 

大西安太郎による極彩色の本殿

 

135年前に描かれた「桜井の別れ絵馬」模写復元プロジェクト

 

絵馬は、横1,900mm×縦1,180mmの寸法で、胡粉下地に極彩色で描かれております。鮮やかな彩色を遺しているものの、絵具が剥がれ落ち木地だけになっていたり、絵具が色褪せ、変色した箇所も見られます。

 

そこで、まず絵馬を赤外線撮影や斜光撮影、目視での観察を行い、画面の欠失箇所の図柄や彩色を確認します。次に、写真撮影を行い、原寸大のプリントを原図として、絵馬の模写下絵を描きます。画面は、オリジナルと同じ大きさ・素材・形状で複製を作り、そこに模写した下絵を写し、原画と類似した膠絵具で彩色、模写します。最後にオリジナルと同じ額木を取付けて、模写復元完了とします。

 

【絵馬の説明図】​

 

 

① 明治十五年(1882 年)七月
同年 6 月に本殿の屋根葺替えと彩色修理が竣工。本殿彩色を手掛けた絵師 大西安太郎が制作したと推測される
② 楠木正成
鎧に菊水紋が描かれている。本殿に描かれた武者像のタッチやウルトラマリンブルーやエメラルドグリーンといった色が使われている
③ 嫡男・楠木正行
④ 観心寺金堂(本堂)
国宝でもある、大阪府下最古の建造物。
⑤ 観心寺中院(山門を入ると左手)
楠木正成の菩提寺で、 正成の 8~15 歳までの学問所ともなった。
⑥ 三重塔(観心寺 建掛塔)
⑦ 当郷 氏子中
加賀田村の氏子が奉納、と記す

 

 

楠木正成最後の地、湊川神社へと奉納いたします

 

現状維持・修理した後、新聞でも取り上げていただきました。地域の方々にも喜んでいただき、「新聞で見た、見せてほしい」と多くの問い合わせがありました。保存処理をしたものの、往時の色鮮やか絵馬を皆様にご覧いただきたい、そして公を重んじた正成の魅力を地元だけでなく全国に発信していきたいとの思いから、今回の模写復元プロジェクトにたどり着きました。

 

模写復元が完了した後には、楠木正成が祭られる神戸市の湊川神社への奉納を予定しております。絵馬が発見された後、湊川神社様にご相談したところ、このような貴重な絵馬が遺されていたことを心から喜んでくださり、奉納についても快諾していただきました。

 

今回、皆様からご支援を頂くことができれば、2018年7・8月で下絵を制作、9〜11月で模写復元、12月初旬には湊川神社への奉納を予定しております。

 

奉納を予定している神戸・湊川神社

 

135年の時を越え、現代から未来へと大楠公への想いを継承していきたい

 

若き頃の正成は、加賀田の地を訪れ、大江時親に兵法を学んだとも言われています。そうした所縁のある土地に遺されていた絵馬からは、地域の人々の心に正成らが生きていたことを示しているように思います。

 

明治の人々の想いを現代に蘇らせ、奉納後にはできるだけ多くの方にご覧いただけるよう湊川神社様とご相談しております。また、当社でも現物を展示、地域の方々にご覧いただけるようにいたします。そうして、絵馬を通して南河内と神戸の地をつなぐ架け橋ができればと思っております。

 

どうか、本取り組みへのご支援・ご賛同をよろしくお願いいたします。

 

【資金使途】

皆様から頂いた支援金は、絵馬模写復元・奉納プロジェクトに関わる以下の費用に充てさせていただきます。

絵馬模写復元制作費:1,700,000円
輸送取付費:200,000円
チラシ他広告費:400,000円
リターン準備費:200,000円
手数料:550,800円

計:3,050,800円

 

 


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