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支援総額

329,000

目標金額 1,300,000円

支援者
14人
募集終了日
2016年4月29日

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2016年04月08日 21:07

交響協奏曲・合奏協奏曲・独奏協奏曲・古典調律法の確立

KFアーカイブは、音楽の考察のみならず、文化の発展を通じて、社会の構造を捉えていく、観点や方法を供することが可能です。様々な時代や地域の文化や伝統を考察することから、楽譜に接したとき、音楽が流れてくるような感覚を高められます。

 

最高の演奏では、音楽が自然に展開され、解釈した形跡がなく、音楽が自然に誕生したよう、一つ一つの要素が活き活きとして、意義を持ち語りかけてきます。楽譜の範疇ではなく、音楽の社会における役割、文化の人生における意義、作品の歴史における位置など、総合的かつ多角的に深めてゆき、そうし他演奏が生まれます。

 

交響協奏曲・合奏協奏曲・独奏協奏曲の発展

 

ルネサンス期に声楽で誕生したコンチェルト様式は、初期バロック音楽の独唱声部と合唱部分あるいは独奏楽器と合奏部分を対比する音楽となり、イタリアでヴァイオリン属の器楽曲となり、ミサや器楽の序曲として使用されました。

 

交響協奏曲concerto ripienoは独奏と合奏が対比せずヴァイオリンと通奏低音の旋律や和声が強調されます。合奏協奏曲concerto grossoはボローニャでボノンチーニらが発達させ、コレルリはクリスマス協奏曲(Opus 6/8)で降誕節ミサ用パストラールを編入しました。フランスの大クープランが王宮のコンセール第6番としました。

 

ドイツのムファットは主役楽器obrigatoの音量を変化させながら、応答楽器ripienoが合奏tuttiする様式を多用して、ロンドンでジェミニアーニらが流行させました。ヘンデルは二重協奏曲(HWV 333)に発展させました。ナポリ楽派の様式によるヴァッセナール伯爵(伝ペルゴレージ)の弦楽合奏曲集第2番も大編成です。マンハイムのシュターミッツやウィーンのハイドン(Hob.I:104)やモーツァルト(KV 364)が協奏交響曲symphonie concertanteをなしました。

 

独奏協奏曲concerto soloは三楽章制です。ナポリ楽派の序曲から発達しました。ボローニャでトレッリが「四声の協奏曲集」(Opus 6)を出版しました。ヴェネツィアでアルビノーニが「五声の協奏曲集」(Opus 2)を出版、コレルリはクリスマス協奏曲(Opus 8/12)の合奏tuttiをリトルネッロ主題で開始、独奏soloで発展して主題に回帰させました。ダッラーバコの「協奏曲集」(Opus 5)やヴィヴァルディの「和声と創意への試み」(Opus 8)で完成しました。

 

 

François Couperin & Giuseppe Torelli

 

器楽協奏曲はヴァイマール時代にエルンスト公子から委嘱されたバッハが、最新のイタリアの協奏曲を鍵盤楽曲に編曲して確立しました。簡素な和音や音型による伴奏に旋律が補完され、独奏協奏曲の芸術性を高めました。ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲(Opus 3/9)は、チェンバロの協奏曲(BWV 972)になり、ヴァイオリン協奏曲(Opus 7/5)は、オルガンの協奏曲(BWV 594)になりました。ライプツィヒ時代のイタリア協奏曲(BWV 971)に結実しました。

 

独奏協奏曲として、テレマンは三提のヴァイオリン協奏曲(TWV 53:F01)を作曲、バッハはケーテン時代のヴァイオリン協奏曲第2番(BWV 1042)をライプツィヒ時代にクラヴィーア協奏曲(BWV 1054)に編曲、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲(Opus3/10)は四台のクラヴィーア協奏曲(BWV 1065)に編曲しました。また、ヘンデルがオルガン協奏曲(第13番HWV 295)を作曲しました。ヴァイオリン協奏曲からクラヴィーア協奏曲が確立しました。

 

Joh. Seb. Bach, Italienisches Konzert, BWV 971

[Klavierübung 3. Teil](1735年)

 

▶ピアノ協奏曲―バッハ門下ゴールドベルクミューテルエマヌエル・バッハ(H. 472)、クリスティアン・バッハ(Opus 1/4)、ハイドン(Hob.XVIII:11)、モーツァルト(第23番KV 488)、ベートーヴェン(第4番Opus 58)、メンデルスゾーン(第2番Opus 40)、シューマン(Opus 54)、ブラームス(第2番Opus 83)、リスト(第1番S. 124)、ショパン(第1番Opus 11)、チャイコフスキー(第1番Opus 23)、サン=サーンス(第4番・Opus 44)、ラヴェル(M. 82)、シェーンベルク(Opus 42)

 

▶ヴァイオリン協奏曲―テレマン(TWV 51:G08)、ルクレール(Opus 7/3)、ナルディーニ(第6番Opus 1/6)、ハイドン(Hob.VIIa:001)、モーツァルト(第5番KV 219)、ベートーヴェン(Opus 61)、パガニーニ(第1番MS 21)、メンデルスゾーン(Opus 64)、シューマン(Opus 134)、ブラームス(Opus 77)、チャイコフスキー(Opus 35)、シベリウス(Opus 47)、チェロ協奏曲―ボッケリーニ(G 482)、シューマン(Opus 129)、サン=サーンス(Opus 33)

 

▶フルート協奏曲―テレマン(TWV 51:A5)、ペルゴレージグルックモーツァルト(第1番KV 313)、オーボエ協奏曲―モーツァルト(KV 314)、トランペット協奏曲―ハイドン(Hob.VIIe:1)、ファゴット協奏曲―モーツァルト(KV 191)、ホルン協奏曲―モーツァルト(第2番KV 417)、クラリネット協奏曲―ウィンターモーツァルト(KV 622)

 

Wolfgang Amadeus Mozart, Klavierkonzert 23, KV 488(1786年)

[Paris, Bibliothèque nationale, Département de la Musique, Ms 226]

 

 

古典は先人が探究した芸術の宝庫です

文化は人類が到達した探究の極致です

 

ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、1685年にアイゼナハで生まれ、1695年に両親を亡くし、オールドルフでパッフェルベル門下の兄ヨハン・クリスティアンに育てられ、南ドイツ楽派の大家フローベルガーやケルルの鍵盤楽曲を学び、1700年にリューネブルクで北ドイツ楽派の大家ラインケンの高弟ベームにオルガンを学びました。ラインケン作品のドイツ式奏法譜にある自筆の署名で関係が明確になりました。1701年にハンブルクでラインケンに会いました。

 

ドイツのシュトルンク・ブルーンス・フィッシャー、フランスのグリニー・ボワヴァン・デュマージュのオルガン音楽を学び、ツェレでフランスの宮廷音楽を聴き、1705年にアルンシュタットからリューベックへ旅して、ブクステフーデに会いました。1710年にヴァイマールでテレマンとヴァルターと会い、1713年にレグレンツィ・コレルリ・トレッリ・ヴィヴァルディらの協奏曲を編曲してリトルネッロ形式を習得、1714年にフレスコバルディを研究しました。

 

1716年にハレでオルガンを試奏してクーナウと会い、1717年にドレスデンのヴォルミエに招待され、ハイニヒェンやヴェラッキニと会い、ピセンデルが入手したイタリアの最新音楽を研究しました。1719年にケーテンからハレに旅をしましたが、ヘンデルに会えませんでした。1720年にハンブルクでラインケンの前でオルガンを演奏しました。1729/31年にドレスデンでザレンカやハッセと会い、1739年にライプツィヒでドレスデンのリュート奏者ヴァイスとクロプフガンスに会いました。

 

1740年頃から明瞭で流麗なギャラント様式が隆盛した時代にパレストリーナやカルダーラによる古様式stylo anticoの研究に没頭しながら、ヴィヴァルディのリトルネッロ形式やペルゴレージのホモフォニー書法など最新音楽も編曲して、新旧や地域を問わず、音楽の探求に打ち込みました。1742年にフーガの技法(BWV 1080)や14のカノン(BWV 1087)を作曲しました。1745年にベルリンのエマヌエールを訪問、グラウン兄弟、ベンダ兄弟、クヴァンツと会い、1747年にフリードリヒ大王の御前で六声フーガを演奏、音楽の捧げ物(BWV 1079)を献呈しました。

 

1749年にミサ曲 ロ短調(BWV 232)を完成、シュープラー・コラール集(BWV 645-650)を編纂、ライプツィヒ・コラール集(BWV 651-667)を改訂しました。晩年にカノンやフーガ、コラールやモテットなど、対位法の伝承に意欲を示しました。大バッハの音楽芸術は、様々な時代と地域の伝統を吸収して形成され、後世に作品として継承されました。

 

Reincken, An Wasserflüssen Babylon[Anna Amalia Bibliothek蔵]

自筆署名「ゲオルグ・ベーム氏の下にて、1700年にリューネブルグで筆写完了」

(Il Fine â Dom. Georg: Böhme descriptum ao. 1700 Lunaburgi)

 

1706年にバッハがアルンシュタットで四週の休暇でリューベックへ旅行をしましたが、ブクステフーデの音楽に魅了され、二月も不在にして叱責された事件が発生、コラールの演奏に奇妙な変奏や音色を混入して困惑していると指摘され、北ドイツ・オルガン楽派の半音階進行による幻想様式stylus fantasticusや前衛音楽tonus peregrinusが理解されず、長大な即興で急速に展開したことから、南ドイツの持続する音価でおだやかに演奏するよう注意されました。任意の主調から転調して即興を繰り広げる新しい奏法によります。

 

理解不能とされた前衛音楽の作品として、前奏曲とフーガ(BWV 533)やトッカータ(BWV 565)などが伝承され、前者に脈絡なく様々な音型を追加されて、流れに沿わず立ち向かいながら進む強い意志を感じさせます。後者は音響効果を最大に発揮するよう即興を主体とした作風です。ブクステフーデのフーガ(BuxWV 174)と類似しております。現代では大家の傑作と不動の古典とされる権威ある作品も構想された当時は前衛すぎて理解されない好例です。

 

1708年にローマでヘンデルとスカルラッティが競演して、チェンバロでの対決はスカルラッティが勝利しましたが、オルガンではヘンデルが圧倒しました。両者の能力よりも伝統によります。大胆な転調で即興する奏法を知るよしもないイタリアの観衆が圧倒されたからです。ヘンデルはハレのツァッホウから、バッハはリューネブルクのベームから奏法を伝授され、両者ともリューベックでブクステフーデの前衛的で幻想的な奏法を体験して、長大な即興を展開しました。

 

アルンシュタット時代のフーガ(BWV 578)は、北ドイツの主題展開にイタリアの器楽様式を結合させた新様式の模索が意図されます。僅かに四小節半の美しい主題からいかに長大な音楽を展開するか、技巧の要素も加味して構想されます。1714年にヴァイマールで作曲したトッカータ(BWV 540)、1720年にハンブルクで演奏した幻想曲(BWV 542)、1739年にライプツィヒで出版した前奏曲「聖アン」(BWV 552)など、長大なオルガン音楽に発展させ、礼拝音楽よりも芸術音楽として、後世に伝承されるべきであると意識して作曲しました。

 

Joh. Seb. Bach, Präludium und Fuge Es-dur, BWV 552

[Klavierübung 3. Teil](1739年)

 

 

大バッハの音楽教育

到達した探究の極致です

バッハは本物の芸術作品を使用した音楽教育に徹して、音楽芸術の極意を門人に伝えました。通奏低音の基礎に優雅な旋律を声部の関係に配慮して和声を構築して作曲しました。着想inventioを得て、構成dispositioを決め、工夫elaboratioを重ね、表現elocutioを磨き、装飾decoratioを施し、発話pronuntatioに至る、文章を設計する修辞学の手順を作曲に応用しました。ボンポルティによるヴァイオリン用のインヴェンツィオーニ(1712年)を鍵盤楽器に応用しました。

 

インヴェンションとシンフォニア(BWV 772-801)の序文に「クラヴィーアの愛好者、特にその学習希望者へ、(1)二つの声部を綺麗に弾き熟すだけでなく、更に上達したならば、(2)三つのオブリガード声部をも正しくかつ鮮やかに処理して、よい楽想invenzioneを得るだけでなく、それを巧みに展開して、特にカンタービレの奏法をしっかりと身に付け、同時に作曲への強い関心を養う明確な方法を教示する正しい手引き」とされます。

 

▶インヴェンション第2番(BWV 773)は八度のカノン、第6番(BWV 777)は音階の上下行、第7番(BWV 778)は叙情的な旋律、第14番(BWV 785)は転回形の構成です。インヴェンションは二声、シンフォニアは三声です。

 

▶シンフォニア第1番(BWV 787)は三声のフーガ、第5番(BWV 791)はトリオ・ソナタ、第11番(BWV 797)は協奏曲の書法、第12番(BWV 798)は符点のリズムが、それぞれの小品に単純化されて提示されます。

 

Joh. Seb. Bach, Inventionen und Sinfonien, BWV 772-801(1723年)

[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 610]

 

インヴェンションは長男フリーデマンの教育のために作曲されました。長男フリーデマンや愛妻マグダレーナのための楽譜帳が伝存して、バッハによる初期教育の一端が伺えます。キルンベルガーによるとバッハは弟子の進度に合わせて、初歩から少しずつ難度を上げて指導しました。フリーデマンとエマヌエールによると親指を使用する打鍵から指導して、運指練習曲(BWV 994)から小さな前奏曲(BWV 924-943)に移行しました。ゲルバーによるとインヴェンションとシンフォニアから、フランス組曲、イギリス組曲、パルティータ、平均律クラヴィーア曲集に移行しました。

 

「平均律クラヴィーア曲集Das Wohltemperirte Clavier」とは「全部の調整が可能な調律による」という意味です。後期ルネサンス音楽にて、ゴルザニスは「24の調によるパッサメッゾとサルタレッロ」(1567年)で均等な半音を持つ音階を構成して、ガリレイは「24の長調・短調によるリュート組曲」(1584年)で楽器の調律に応用しました。長旋法は明るく、短旋法は暗く、調号にシャープをもつ嬰種調は高揚、フラットをもつ変種調は沈静した印象とされました。

 

ヴェルクマイスターはオクターブを十二分割した任意の主調から転調を可能にする調律Wohltemperierteを開発して、主題を変奏することなく、旋律を多用することなく、単一主題フーガを長大に展開できるようになりました。

 

平均律クラヴィーア曲集では、調性の印象や多彩な転調で前奏曲とフーガが展開されます。マッテゾンは『新管弦楽法』(1713年)や『通奏低音大教本』(1731年)で調性の印象を詳述、バッハの門人キルンベルガーも調律を研究しました。

 

▶平均律クラヴィーア曲集 第1巻(1722年)第13番嬰ヘ長調(BWV 858)・第16番ト短調(BWV 861)・第17番変イ長調(BWV 862)・第23番ロ長調(BWV 868)

 

▶平均律クラヴィーア曲集 第2巻(1742年)第3番嬰ハ長調(BWV 872)・第7番変ホ長調(BWV 876)・第14番へ短調(BWV 883)・第19番イ長調(BWV 888)

 

Joh. Seb. Bach, Das Wohltemperierte Clavier I, BWV 846-869

[Berlin, Preuzische Staatsbibliothek, Mus. Ms. Bach P 415](1722年)

 

バッハは自作品を絶えず改訂を重ねて初期稿より芸術性と完成度の高い音楽にしました。旧作を再利用する際にも改良を怠りませんでした。優れた芸術作品を演奏することは、優れた音楽語法を体験することであり、優れた作曲技術を会得できます。アグリコラによるとバッハが通奏低音を教える際に規則を説明して、通奏低音の演奏で与えられる音を用いて純正な四声の楽曲を実作させました。通奏低音をリアリゼーションすることは、和声原理を実践して作曲方法を訓練することです。音楽の基礎は低音にある確信は無伴奏チェロ組曲(BWV 1007-1012)に現れます。低音楽器で様々な情趣が大胆で繊細な格調を伴いながら歌い上げて温雅な情緒の音楽を展開しました。究極では一本の通奏低音に集約されます。

 

フォルケルは『バッハ伝』(1802年)で純粋な四声の通奏低音を基に諸声部を書き込み、和声進行の概念を明確にして、コラールに移行、バスを与えてアルトやテノールを考える段階を経てからバスも作らせたとしました。和声自体の透明さと声部全体の自然さ、旋律自体の流麗さに配慮して、低音の土台に流麗な旋律を配置して、透明な和声を構築する実践で門人を育成しました。門人と真摯に向き合い、門人の就職まで真剣に取り組みました。門人の才能を証明する多数の能力証明書が現存します。芸術を理想として追求しながら、現実の社会で確実な手段を活用しました。一人の音楽家として、浩瀚な音楽書法に通暁しながら、一人の芸術家として、多大な文化遺産を伝承しながら、一人の教育家として、門人の人生全体に責任を持ち続けました。

 

Johann Sebastian Bach

E. G. Haußmann画 (1748年)

[Bach-Archiv Leipzig蔵]

 

 

新しいことは古いことの捉え直しです。

古典や伝統は、審美の根拠、創造の端緒になります。

 

音楽家の見識はバッハやそれ以前の音楽に対する造詣によります。アンブロジウス(350年)から大バッハ(1750年)まで1400年間に音楽語法を発達させながら伝承されてきた系譜を追跡してこそ、バッハへの深い理解を得られます。

 

生前から古風とされたバッハの門人が細々と確実に継承しました。門人キルンベルガーは『種々の作曲教育法に於ける考察』(1782年)で「ヨハン・ゼバスティアン・バッハの全作品には純粋な書法が見られ、彼の作品は完全に統一された性格を備える。実作が証明することは、拍子、旋律、和声と楽曲を美しくする全要素を駆使している」と証言しました。

 

人間の個性はあらゆる人類の文化に精通して、自らの審美眼と判断力を高めて養われます。バッハの音楽性は西洋音楽のあらゆる音楽芸術を究極まで洗練させた極致であるからこそ、西洋音楽の規範となりえました。先代や同代のあらゆる音楽家を研究して、個性として昇華しました。イギリスの堅実な和声、フランスの典雅な風情、イタリアの明朗な旋律、北ドイツの峻厳な抒情、南ドイツの温和な楽想を独自の感性で統合して、苦労の末に老熟した作風を大成しました。

 

文化は人類のあくなき探求の賜物です。バッハは先人の実作を研究して、自身の作品を創造して、音楽を文学や哲学と同等の学芸としました。哲学・美学・科学・文学・歴史・音楽とあらゆる探求を深めることが大切です。芸術を味わうことは、人間を感じることです。巨匠とされた音楽家は、美しい音楽を演奏したのみならず、明らかに人間として愛される存在でした。音楽そのものではなく、音楽を通じて、人間を感じて、その人間が愛されたからこそ、後世に残されました。

 

今回は交響協奏曲・合奏協奏曲・独奏協奏曲や調律法の確立を記しました。

 

次回はヴァイオリン奏者と弦楽奏団の系譜と音源記録について叙述します。

 

KFアーカイブを今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

長文にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。

 

平成28年4月8日

特定非営利活動法人 KFアーカイブ会長 中西 泰裕

リターン

3,000


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当法人の賛助会員権と閲覧制限解除のアクセス権[半年分]

▶︎特定非営利活動法人 KFアーカイブの賛助会員権と一日当たりのダウンロード制限を解除できるアクセス権[半年分]を差し上げます。KFアーカイブシステムに登録された音源をお好きなだけ再生してお楽しみ頂けます。

支援者
11人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年6月

10,000


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古典音楽を味わう会にご招待

▶KFアーカイブの使用方法をご説明します。古典音楽を鑑賞する観点をご提案します。先人の演奏を楽譜に突き合わせながら聴き進めて、感動を与える仕組を発見して鑑賞できます。

▶西洋の古典音楽や日本の伝統音楽から、各時代または音楽家ごとに特色あるテーマを選定して、多角的な観点や文化的な要点を通じて、主体的に認識を深めて、音楽を味わい楽しむ集いにご招待します。

▶古典の構造を分析して、先人の発想を把握して、人類の文化発展の軌跡を追跡して、人間の思考様式や発想方式を把握する過程をお伝えして、先人の知恵を活用する方法をお話しします。上記の賛助会員権とアクセス権の特典も附属します。

支援者
4人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年9月

50,000


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古典音楽を味わう会のリクエスト、または、法人用閲覧制限解除のアクセス権[半年分]

▶個人の方からご支援を賜りましたら、「古典音楽を味わう会」のリクエストをお受けします。上記の特典も附属します。

▶法人の方からご支援を賜りましたら、法人全体で使用可能な閲覧制限解除のアクセス権[半年分]を差し上げます。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年9月

100,000


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講演会のリクエスト

▶企業や団体の方からご支援を賜りましたら、その事業所や営業所に伺いまして、「古典音楽を味わう会」のリクエストをお受けしてお話しします。上記の特典も附属します。

▶古典文化や芸術作品の解説に留まらず、現実的なテーマに合わせ、幅広い領域の事例を交えて、人類の文化に内包される人間性や創造性につきましてお話しします。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2016年9月

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