プロジェクト概要

 

宮城県名取市にある『熊野那智神社』。幾たびの戦火災害に見舞われても復興し、来年創建1300年を迎えます。

 

その歴史を後世へ残していくために、『濱降神事の復活』『御神宝「懸仏」を熊野那智神社に帰還させるための収蔵庫の新設』を行います。

 

ごあいさつ

 

はじめまして、ページをご覧いただきありがとうございます。宮城県名取市にあります、熊野那智神社宮司の井上幸太郎と申します。

 

熊野那智神社は、719年(養老3年)漁師が閖上浜より上がった光り輝く御神体を引き上げ、この高館山に鎮座したのがはじまりとされています。

 

その後、保安4年(1123年)、鳥羽院の皇女の病を癒したことにより朝廷より特別の許可をもらい、紀州熊野より本宮、速玉、那智の三社の御分霊をいただき国内で唯一、紀州の三社の配置に似せて三社別々にお祀りする名取熊野三社が誕生しました。

 

そのなかで、那智の御分霊を一緒にお祀りすることとなり、熊野那智神社と改称し、今に至ります。

 

明治時代の施策により、三社別々にお祀りされていた名取熊野三社もひとつの神社に集約されそうになりました。しかし、氏子崇敬者の猛烈な反対により、現在の形式を維持しています。

 

地域の人たちにとってこの神社は、子どものころ必ず遠足で昇ってくる場所でもあり、遠くからでも神社御神木を望むことができることから、地域の人々には「なっつぁんさん」と呼ばれ親しまれてきました。

 

 

一度は人が訪れなくなってしまった神社

 

これまで、海から上がった御神体をお祀りしていた漁師の子孫の方が、この神社を守ってきました。

 

しかし、東日本大震災の年に先代宮司が病に倒れ、長らく常駐の宮司がいない状態となりました。それによって、施設の老朽化、山の樹木の荒廃に拍車がかかり、いつしか薄暗い、人を拒むような場所に。

 

一時期は心霊スポットと揶揄され、日中でも訪れる人がいない寂しい神社となってしまったのです。

 

氏子の力で神社を復活へ

 

そこで、総代役員が立ち上がりました。

 

まず、神社周辺の環境整備。薄暗い境内を明るくするために、氏子の手によって樹木の間伐や枝打ちを徹底的に行い、山全体の樹木の更新を行いました。すると、森が明るくなり、御神木も緑が増え、ニホンカモシカなど普通に歩ける環境にまで戻りました。

 

また、永らく開けられていなかったお社の扉を毎日朝晩、6年間毎日麓から通い行ない、参拝しやすい環境をコツコツと整えてくれたのです。

 

 

そんな地道な努力の積み重ねにより、風光明媚な明るい参拝者の訪れやすい神社に生まれ変わることができました。

 

先代宮司がなし得なかったことを、氏子たちだけで行い、神社を復活させた。そんな例は、他にあまり聞いたことがありません。

 

そんな神社を私は引き継ぎ、宮司として、社頭に出る時間を増やし参拝者と対話の時間を増やしたり、年に1回2回ほど神社に関すること、能の題材にもなっている名取老女など題材をみつけて講座の開催などをしています。

 

また、地元デザインコンサルティングチームである『LUCK SHOW』と協力してブランディングを進め、神社境内地で『那智てづくりマルシェ』を開催するなど、神社に興味がある人にさらに那智神社の良さを知ってもらえるように、そして、神社と縁が薄かった人たちにも足を運ぶきっかけづくりを行なっています。

 

 

最近では、神社に来た人が、参拝が終わった後も境内で本を読んだりおしゃべりをしたり、お弁当を食べたりしてゆっくり時間を過ごす姿を目にするようになり、この神社が訪れやすい神社から、もう一歩進むことができてきつつあると感じています。

 

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氏子崇敬者とともに、創建1300年を

 

そんなこの神社もまもなく、創建1300年を迎えます。そこで、『神人和楽』神社にかかわるすべての人が昨日より今日、今日より明日笑顔でいられますように、そして少しでも心の支えになれますようにとの願いを込めて、『濱降神事の復活』、『御神宝「懸仏」を熊野那智神社に帰還させるための収蔵庫を新設』を実施します。

 

 

『濱降神事の復活』

 

閖上浜から高館山にやってきた神様の里帰り、そして、神様の御神徳が地域の隅々にいきわたっていることを見ていただき、神威を高めていただくという宗教儀式として、山から浜へ下る神輿渡御が行われていました。

 

この行事は、地域の人たちにとってはそれぞれの地区の人たちとの交流の場ともなっており、神輿が練り歩く場所には人があふれ、そこかしこに露店が並び、神輿を担ぐ人も見守る人も楽しめるお祭りでした。

 

しかし、平成10年を最後に担ぎ手の減少や道路事情の問題などにより、大規模な神輿渡御を行うことができていません。

 

 

そこで今回、自治体と協力し、山から町、町から海へと神輿を引き継ぎながら市内全域の団結を確認できる行事にしたい。震災からの復興に協力していただいた人たちに、元気な姿を見せることで今までの感謝の気持ちを伝えたいと考えています。

 

■2019年5月26日

名取市高館吉田の熊野那智神社を出発し、市街地を通り閖上地区まで(直線距離でおよそ10キロ)を神輿渡御します。

 

 

 

 

『御神宝「懸仏」を熊野那智神社に帰還させるための収蔵庫を新設』

 

震災以前当社では国指定重要文化財41点、県指定有形文化財114点の「懸仏」といわれる銅鏡が保管されていました。

 

国内で1カ所で100点を超えて所蔵されているのは当社と滋賀県椋川のみで、さらに製造年代は平安後期から鎌倉時代までにわたり懸仏の歴史を知る上でも貴重な資料です。

 

しかし、今は震災の影響で多賀城市にある東北歴史博物館と仙台市にある仙台市博物館にて修復保管されている状態です。

 

そこで今回、災害や戦乱を潜り抜け、さらに明治の廃仏毀釈の荒波をたえて人々に大切に守られていたこの御神宝「懸仏」を熊野那智神社に帰還させるために収蔵庫を新設します。

 

その土地の信仰文化を大切にすることは、自分たちの住む場所を知り、生きてきた人々の思いに思いを馳せることにつながると信じています。

 

懸仏  宮城 に対する画像結果

 

自動代替テキストはありません。

 

 

全国に3000を超える熊野信仰を守る神社があり、それぞれの地域の文化信仰に結びついて熊野信仰は現代に永く伝えられています。そして、それを守るために、地域の人々が協力をし支え合っているのです。

 

私は、このような取り組みが地域で行われていることをもっと多くの人たちに知っていただきたい、そして思いに共感していただける人たち、支援という形で参加をいただけたらと思いクラウドファンディングへの挑戦を決めました。

 

みなさまからいただいたご支援は、神輿修繕費、装束購入費として大切に活用をさせていだきます。(なお、濱降神事が荒天などの事情で中止になった場合でも、神輿の修繕、装束の購入は行います。そのため、返金等は出来兼ねますことご了承ください。)

 

 

氏子崇敬者とともに、創建1300年を


震災から時間が経ち、新しい道路、新しい学校、新しい生活が始まりました。それでも、当時を思い出し、つらいときがあると思います。

 

そんな時は、幾たびの戦火災害に見舞われても、この地域が子供を慈しむ心を忘れない人々が築いた場所であり、そこに生まれたことに誇りを持っていただきたい。そして、その郷土にはいつも変わらず熊野那智神社があるということを覚えておいていただきたいです。

 

それが創建1300年を迎える熊野那智神社の神々の思いであり、宮司をはじめ氏子崇敬者皆々の願いです。

 

ここは格式の高い大きな神社ではありませんし、これからもそれは変わりません。

 

ちょっと買い物帰りに寄ってみよう、虫取りに行ってみよう、少し時間があるから暇つぶしにでも行ってみようか。

 

そして、その様子をニコニコと見守ってくれる神様がいつもいる。境内に足を踏み入れると、自然と神の息吹を感じ手を合わせてしまう。そんな神社にしていくのが私の使命と思っております。

 

熊野那智神社1300年の歴史を、後世に繋いでいくために。みなさまの力を貸していただけますと幸いです。温かい応援・ご支援をお願いいたします。

 

 

進捗状況

 

現在濱降神事専用の神輿の修復を氏子の中から専門技術を持った方に依頼をしております。また、名取市と相談し神輿渡御を閖上まちびらきの平成31年5月26日と定め、関係各所と調整を始めています。

 

収蔵庫に関しても、名取市教育委員会、宮城県教育委員会、文化庁とも相談しながら進めており、現在地盤調査や測量なども終了し基礎設計も進み徐々にカタチになってきています。

 

神輿渡御が『動』、懸仏の帰還が『静』というそれぞれ復興のシンボルとなると信じています。今回は『神人和楽』を目指す私たちにとって、目標達成のための長い道のりの第一歩となります。

 


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