
支援総額
目標金額 3,000,000円
- 支援者
- 108人
- 募集終了日
- 2024年8月30日

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- 現在
- 25,321,000円
- 寄付者
- 291人
- 残り
- 29日
プロジェクト本文
終了報告を読む
はじめに
前回の持国天立像の修復プロジェクトでは多くの方よりご支援いただきありがとうございました。
|慈恩宗 本山慈恩寺
神亀元年(724年)僧行基(ぎょうき)が慈恩寺景勝を見て京に帰り、聖武天皇に奏上。天平18年(746年)勅命でインドの婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)が開山。
平安時代には鳥羽上皇の宣勅により「御願寺」とされ、江戸時代には3ヶ院48坊からなる巨大祈祷寺院として約2812石を幕府より与えられ、鎮護国家の祈願時として1300年以上の歴史が続いております。
HP:https://honzan-jionji.jp/
|慈恩寺テラス
我が国の仏教信仰の在り方を知るうえで重要な史跡である慈恩寺。
慈恩寺テラスは、2014(平成26)年10月に国史跡指定となった『慈恩寺旧境内』の魅力を
わかりやすく紹介する総合案内施設です。
今回の工事は、前回の茅葺替え工事から実に約70年ぶりの全面の茅葺き替え工事で、下地が見え、屋根木部の軒回りの乱れを修正する大修理です。令和4年度より3年かけて工事を行っております。
慈恩寺本堂は、明治41年、古寺社保存法に基づき、国による保存対象となる建造物として特別保護建造物に指定され、改めて制定された文化財保護法に基づき昭和25年、重要文化財に指定されました。
昭和26年から昭和29年にかけての解体修理、続いて昭和51年には屋根茅葺き替え、平成4年、平成16年には屋根の部分葺き替えと差し茅修理が行われてきました。今般、大規模修理から長い期間を経過し、茅葺屋根に著しい劣化。変形が認められたことから早急な修理が必要となりました。
茅葺屋根の劣化は長年の風雨による浸食や周囲から飛来してきた胞子や種子による繁茂によるものが考えられます。
この工事を通じて大切な文化財を守るために多くの皆様に関心を持っていただけるよう、修理過程を現場を映像でご覧いただけるよう取り組んでいます。
慈恩宗 本山慈恩寺 について
昭和50年代生まれまでの寒河江市とその近郊の子どもたちは、秋の遠足や写生などで一度は訪れた思い出の場所がこの本堂が佇む慈恩寺境内です。皆さんが子どもの頃に見た風景のままの茅葺屋根を後世に残したいと考えています。
法相宗に始まり、天台宗・真言宗・修験の外時宗、禅宗等多様な宗派が入り混じっていました。その後、昭和27年(1952年)「天台真言両宗慈恩寺派」となり、昭和47年(1972年)「慈恩宗大本山慈恩寺」として独立し現在に至ります。
プロジェクトを立ち上げたきっかけ
本山慈恩寺には貴重な建物のほか、常設の仏像26躯のほか約40躯の秘仏と大変多くの仏像が安置されております。その中には、今後修理や調査が必要な仏像が多数あります。
平成26年10月に慈恩寺旧境内が国史跡指定を受けたことで、史跡を構成する歴史的重要建造物として慈恩寺本堂を始め、三重塔や仁王門、薬師堂などを後世に残すべく文化財建造物として保存整備が必要となります。
そして文化財保存の必要性をお伝えするために、文化財の価値を多くの皆様に知って頂くために修理内容や修理に携わる関係者の説明や想いなどのできる限りの情報公開をクラウドファンディングを通じて行います。更には文化財の活用により、地域観光や関係人口増加に繋がっていくことが我々の望みでもあります。
そのため、今回の本堂の屋根修理を通して多くの皆様から長く本山慈恩寺へご興味・ご関心を持っていただき、ご支援を賜れればと考えております。
屋根の変形がみられ、雑草やコケに覆われている部分も確認できます。
プロジェクトの内容
前回の解体修理は昭和26年から昭和29年にかけて国庫補助事業によって実施されました。
慈恩寺は山形県寒河江市に位置し、京都や奈良の有名な寺院と比べると知名度は低いものの、鎌倉時代の仏像を中心に当時の優れた仏師による仏像群が数多く現存しています。これは、当時の慈恩寺が日本の仏教文化の中で重要な役割を果たしていたことを示していると考えられます。
< 目標金額 >
300万円
< 資金使途 >
屋根修復費用の一部として
総事業費225,740千円
(負担内訳)
国の補助 169,305千円
県の補助 25,558千円
市の補助 15,437千円
本山慈恩寺負担 15,440千円(内、300万円を本にてクラウドファンディングにて調達)
今後の展望について
今回のプロジェクトにご賛同いただいた皆様には、是非修理後の本堂の屋根をご覧いただければと考えています。また、令和7年度には屋根修理を記念して11年ぶりにご本尊の御開帳となりますので、多くの方にご参拝いただきたいと思います。
最後までお読みいただいて、誠にありがとうございます。
慈恩寺本堂の屋根は、修復や維持にあまり費用の掛からない銅板葺きへの変更も一時唱えられていましたが、寒河江市民の署名等によって現在も茅葺屋根を維持しております。
この度、屋根修理の茅葺職人さんにお話しを聞いたところ、全国の寺社仏閣の茅葺屋根と違い、慈恩寺の屋根は雪深い寒河江の気候と雪の重みを考えてかなり厚みのある構造になっているそうで、全国でもこの様に厚みのある茅葺屋根は見たことがないと話してくださいました。
このように東北地方の過酷な環境に耐え抜く貴重な茅葺屋根を多くの方に知っていただき、ご支援をいただければ幸いでございます。

応援メッセージ

出羽名刹三寺まいり連絡協議会 会長
宝珠山 立石寺 貫主 清原 正田 様
この度、本山慈恩寺様での実に70年ぶりとなる茅葺き屋根の大修理に当たり、クラウドファンディングによる資金調達を図るとの事で、一言応援メッセージを添えさせて頂きます。
山形県はかつて出羽の国として、奥羽山脈や朝日山地に囲まれた盆地に人々が住まう村山地方には、草創からすでに千年以上もの歴史をもつ、古くからの寺院がいくつもございます。
そこで悪縁を絶ち良縁を結ぶ 宝珠山 立石寺(山形市)と縁結びの観音様の 鈴立山 若松寺(天童市)様と若返り信仰の 瑞宝山 本山慈恩寺(寒河江市)様による3寺合同の御利益にあやかる御朱印巡り観光キャンペーンを平成26年より出羽名刹三寺まいり連絡協議会を中心に行われております。それぞれの地域を巡って頂き、是非多くの歴史や文化財に触れて頂ければ幸いです。
そしてこの度の本山慈恩寺様の文化財修理事業は、いくつもの寺院で抱える問題にクラウドファンディングを通じて、多くの人々に知って頂く意義深い事業となります。
プロジェクトの成功を心よりお祈り申し上げますとともに、ご支援者様への感謝と今後更なる幸多きことを願い、応援メッセージとさせて頂きます。 合掌
山寺観光協会:https://www.yamaderakankou.com/
天童市観光物産協会:https://bussan-tendo.gr.jp/

東京藝術大学大学院 文化財保存学専攻 准教授 岡田 靖 様
山形県寒河江市に位置する本山慈恩寺は、古代より栄える出羽の名刹です。古代では摂関家の荘園として、中世には地頭となった大江氏の庇護を受け、中央で展開された文化・藝術が寒河江の地で花開きました。本山慈恩寺の中央に位置する本堂は、1618年に最上氏の庇護によって再建され、古代や中世から伝わる本尊や文殊・普賢菩薩などの珠玉の寺宝を宮殿に納め、多くの人々の篤い信仰によって守られてきました。その佇まいは、薬師堂、阿弥陀堂、天台大師堂、三重塔の堂宇と周辺を囲む院坊、修験の行場である葉山を背にした景観ともあいまって、悠久の歴史を色濃く今に伝えています。
この国指定史跡ともなった本山慈恩寺の伽藍に趣を添えているのが、本堂を覆う重厚な造りの茅葺屋根です。そして春には桜、夏には蓮、秋には彼岸花、冬には雪が景観に彩りをそえ、見る者に感動をあたえています。
本堂の威容を担う茅葺の様相を継承し、本堂を囲む本山慈恩寺の景観を守り、伝えていくことを心より応援しています。
- プロジェクト実行責任者:
- 大江幸友(慈恩宗 本山慈恩寺)
- プロジェクト実施完了日:
- 2024年8月30日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
ご賛同いただいた資金は屋根修復の一部に使わせていただきます。
リスク&チャレンジ
- プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
- 国の補助 169,305千円 県の補助 25,558千円 市の補助 15,437千円 本山慈恩寺負担 15,440千円(この費用の中の一部として)
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プロフィール
神亀元年(724年)僧行基(ぎょうき)が慈恩寺景勝地を見て京に帰り、聖武天皇に奏上。天平18年(746年)勅命でインドの婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)が開山。 平安時代には鳥羽上皇の宣勅により「御願寺」とされ、江戸時代には3ヶ院48坊からなる巨大祈祷寺院として約2812石を幕府より与えられ、鎮護国家の祈願寺として1300年以上の歴史が続いております。
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リターン
3,000円+システム利用料

お礼状
お礼状のみです
- 申込数
- 31
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
10,000円+システム利用料

お礼状・芳名帳への記載・無料拝観券1枚
芳名帳は箱に納め、本堂屋根裏に大切に保管いたします。
お守りは70年に渡り無火災だった茅を詰めたお守りになります。
令和7年度は11年ぶりにご本尊特別拝観も予定しております。
無料拝観券有効期限:令和7年4月から令和7年12月まで
- 申込数
- 45
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
3,000円+システム利用料

お礼状
お礼状のみです
- 申込数
- 31
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
10,000円+システム利用料

お礼状・芳名帳への記載・無料拝観券1枚
芳名帳は箱に納め、本堂屋根裏に大切に保管いたします。
お守りは70年に渡り無火災だった茅を詰めたお守りになります。
令和7年度は11年ぶりにご本尊特別拝観も予定しております。
無料拝観券有効期限:令和7年4月から令和7年12月まで
- 申込数
- 45
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年12月
プロフィール
神亀元年(724年)僧行基(ぎょうき)が慈恩寺景勝地を見て京に帰り、聖武天皇に奏上。天平18年(746年)勅命でインドの婆羅門僧正(ばらもんそうじょう)が開山。 平安時代には鳥羽上皇の宣勅により「御願寺」とされ、江戸時代には3ヶ院48坊からなる巨大祈祷寺院として約2812石を幕府より与えられ、鎮護国家の祈願寺として1300年以上の歴史が続いております。





















